睡眠から五輪選手のパフォーマンスを高める――高岡本州(エアウィーヴ代表取締役会長兼社長)【佐藤優の頂上対決】
東京五輪の選手村1万8千床の寝具を提供するエアウィーヴは、2008年の北京以来、五輪とともに成長してきた。寝具業界にイノベーションをもたらしたそのマットレスはいかに誕生したのか。採算のとれない伯父の機械工場を引き受け、畑違いの寝具で革命を起こした高岡社長の経営術。
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佐藤 いよいよ東京五輪が始まりますが、選手村のすべてのベッドには、エアウィーヴのマットレスが敷かれるそうですね。
高岡 オフィシャル寝具パートナーとして、1万8千床の寝具を提供しました。
佐藤 どの国の選手もエアウィーヴの寝心地を体験して、試合に臨むことになる。感慨深いですね。
高岡 そうですね。コロナで開催が危ぶまれましたが、これ以上、感染が広がることなく、安全・安心な状態で開催してほしいです。
佐藤 エアウィーヴの広告には浅田真央さんが出ていますが、そもそもオリンピックとの関係が非常に深いそうですね。
高岡 はい。私どもは、オリンピックとともに成長してきました。初めてオリンピック選手にマットレスを提供したのは、発売の翌年、08年に開催された北京五輪でした。その前に国立スポーツ科学センターで使っていただいたことがきっかけで、水泳チームの方々が北京に持っていった。その中には北島康介選手がいました。
佐藤 その北島選手は、100メートルと200メートル平泳ぎで世界新記録を出し、金メダルを取りました。
高岡 その時には、これで売れると喜んだのですが、ぜんぜん売れませんでしたね。
佐藤 どうしてですか。
高岡 製品自体が知られるようにはならなかったからですね。次は10年のバンクーバー冬季五輪で、この時には浅田真央さんが使ってくれました。そこで感想を聞きに行くと、鋭敏な身体感覚でとらえたマットレスの感触を教えてくれたんですね。翌年の四大陸選手権に向かう時には、浅田選手の手の甲に「マットレス」と書いてあったのが話題となりました。それで私どもは浅田さんにブランドアンバサダー就任と広告契約をお願いし、一気に知名度が上がりました。
佐藤 エアウィーヴはどんなマットレスなのですか。
高岡 エアファイバーと名付けたポリエチレン樹脂の3次元構造体です。従来の低反発のウレタンマットレスと違い、高反発で、洗うこともできます。
佐藤 それがオリンピック選手から広がっていったのですね。
高岡 はい。エアウィーヴは、オリンピックとともに進化してきたところがあります。12年のロンドン五輪では、日本チームに体重や疲労度に応じて使い分けてもらうために表裏で異なる硬さのマットレスを3種類150本提供しましたし、14年のソチ冬季五輪では、体の部位ごとに硬さを変えたマットレスを用意しました。そして16年のリオデジャネイロ五輪では、硬さの違うマットレスを6種類作り、選手の体形に合わせて、選べるようにしました。
佐藤 徐々にカスタマイズできるようになってきた。
高岡 そして今回の東京五輪では全選手の2万人です。ただそれだけの人数となると、どうカスタマイズするのかが大きな問題になりました。そこで私どもは、マットレスを3分割することにしたんです。ポリエチレン樹脂の密度を変えて表裏で硬さの違う三つのパーツを作り、選手の体形に合わせて入れ替える。それによって各選手に最適なマットレスを作り出せるようにしました。
佐藤 競技によって体形は大きく変わってきます。
高岡 人間で一番重いのは頭で、これは枕で支えます。次は腰、肩、脚の順番で、寝ている体に重力が掛かります。ただ体形によってそのバランスは違う。そこで体形に合わせ、寝た時に背骨がまっすぐになるよう硬さの違うパーツを組み合わせるのです。そうすると寝返りの時に体の軸が動かず、筋肉を使わずにすみます。だから体が楽になる。
佐藤 それは自分で判断して組み合わせるのですか。
高岡 問題はそこで、2万人を短期間では計測できません。ですから身長、体重を入力し、正面と横から自身の体をスマートフォンで撮影すれば、最適なマットレスの硬さの組み合わせが出てくるアプリを開発しました。
寝具業界のイノベーション
佐藤 2万人への対応という難題が新しい発想や仕組みにつながったのですね。
高岡 追い込まれることで、新しい製品ができました。すでに発売もしていて、いまは分割できる商品が売り上げの約3割を占めています。新商品ができただけでも五輪効果がありましたが、さらにロジスティクス(物流)の問題まで解決できるようになりました。
佐藤 なるほど、マットレスはかなり大きな荷物ですからね。
高岡 3分割すれば、段ボール箱に入れて運べるサイズになります。ですから寝具のロジスティクスも大きく変えることになった。
佐藤 しかも生体データが取れますよね。それは今後のビジネスの貴重な財産になるのではないですか。
高岡 残念ながらオリンピックで採った体形データは私どもでは使えませんが、エアウィーヴが測ったという事実は残ります。だから次のパリ五輪で、どんな寝具がいいのか、アドバイスすることはできるでしょう。これは私どものアドバンテージだと思います。
佐藤 今後もオリンピックとの関係は続きそうですね。
高岡 スポーツの世界では、1980年代に道具が進化しました。カーボンなどの新素材が誕生し、また個別化した。90年代以降は飲料や食事の科学的研究が進み、スポーツドリンクやプロテインなどの市場ができました。これからは寝ている時間を最適化することで、最高のパフォーマンスを引き出すことが求められてくると思います。
佐藤 寝具というのは死角でしたね。
高岡 実は、寝具にはまったくイノベーションがなかったんですよ。100年ほど前にスプリング構造のマットレスが誕生しますが、以来、ほとんど変わっていない。
佐藤 特殊な業界なのですね。
高岡 寝具売り場には、買うことを決めた人しか行きません。その時に商品を見て触って心地良さそうなものを買いますが、決め手はその会社を知っているかどうかです。だから寝具業界は最初に大きなシェアを獲得した会社がそのまま残っている。
佐藤 ブランド力ですね。
高岡 そうです。私どもは新規参入ですから、まったく知られていない上に、売り場にも置いてもらえない。だから別の方法でブランドを育てていくしかありませんでした。
佐藤 それがオリンピックだった。
高岡 発売してから軌道に乗るまでだいたい4年かかりましたが、徹底して「一流」を攻めました。まずはトップアスリートに使ってもらう。アスリートは一流であればあるほど、身体感覚が鋭敏です。エアウィーヴで寝ると腰が楽になることも、一般の方が1週間かかるところを一晩でわかります。あるいは、ホテルでも一流のハウスキーピングの専門家がいると、すぐに採用になります。そうしたところから入って、徐々にブランドを確立してきました。
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