芸術界の東大「東京藝大」の鋳金(ちゅうきん)研究室に潜入 頑張れば「奈良の大仏」も作れます?!
熱気で睫毛(まつげ)が燃えそう
次は鋳金である。
「彫金はどちらかと言えば一人で机に向かって、地道にやる作業。鋳金は逆に、一人じゃできません。チームワークが必須(ひっす)です」
工芸科鋳金専攻の城山みなみさんは、大きな目をまばたきさせながら、そう言った。
鋳金は、型を使って金属を加工する技術である。例えば壺(つぼ)なら壺の鋳型(いがた)を作り、そこに溶かした金属を注ぎ込む。冷えてから型を取り除くと、金属の壺のできあがりというわけだ。
「教室が砂場になってるんです。土間砂といいまして、川砂から作っているようです」
「床が全部、砂なんですか? どれくらい深いんですか」
「さあ、どれくらいでしょう。大きな作品もできるくらいなんで、相当深いですよ。底まで掘ったことがないんで、わかりません」
どれくらい深いかもわからない砂場。不思議な作業場だ。「たぶん鋳金が、金工の中では一番失敗が多いと思います」と城山さん。思い通りにいかないことがとても多いそうだ。
「まず原型を作ります。いろいろなやり方があって、これはその一つなんですが……粘土で作りたい形を作って、それをシリコンで置き換えてから、耐火材を混ぜた石膏(せっこう)で型をとります」
「型を作るだけで、粘土、シリコン、石膏……と使うんですか?」
「そうなんです。この型を作るのにとても手間がかかるんですよ。型そのものを電気窯(がま)やレンガ窯で何回も焼いて作ることもありますし。粘土、石膏、シリコン、ワックス……といくつもの素材を利用して作ることもあります。土で型を作る時は、様々な種類の土を何層にも重ねたりします。それから、鉄骨を入れて型を補強したりとか」
型の材質によって、複雑な手順があるのだ。
「型ができたら、シャベルで砂を掘って砂場の中に埋めます。型の上には穴があけてありまして。そこに、溶かした金属を入れます」
「金属は、そばで溶かしておくんですか」
「そうですね。型にどれくらい金属を入れるかを導き出す計算式があって、それに従った量のインゴットを買ってきて、温めながら叩いて割って……大きな壺の中で溶かします。一千度とかで。この溶かし方にも手順があるんですよ。ゴミが入っちゃいけないので、藁(わら)の灰で蓋をしたり。脱酸のためにリン銅というものを入れたり……」
お菓子を手作りするために、板チョコを割って溶かすのとは次元が違う。
「溶かした金属を流し込むのを吹きって言うんですけど、この作業が一人じゃできないんですよ。特に男性の協力がいりますね。重い壺を、何人かでせーの、で持ち上げて、よいしょって流し込むんです」
「真っ赤に溶けて、輝いている金属をですよね」
「はい。熱気で睫毛が燃えるかと思うくらいですよ……」
「凄くダイナミックな光景でしょうね」
「吹きは一人ではできないので、みんなでスケジュールを合わせてやります。そのためか、ちょっとイベント的なところもあって。吹きをやる日には、お神酒(みき)を供えて……作業が終わったらみんなでお酒を頂きます」
「なるほど、チームワークですね」
「他にも窯立てといって、型を焼くための窯を一から、煉瓦(れんが)を組み立てて作ることもあります。これもみんなでやります。協力する機会は多いですね」
「窯まで自分たちで作るんですか!」
「鋳金の鞴祭では、自分たちで作った窯でピザを焼きますよ。美味しいです」
工芸科では、何かとピザを焼くようだ。
「これが、城山さんが作った作品ですか」
僕は城山さんのポートフォリオをめくる。そこには、細い棘(とげ)が無数に生えた巻貝があった。
「はい。その巻貝の型が、これです」
「これは、また……凄いですね」
見せてくれた写真はもはやSFだった。巻貝の型なので、中心に巻貝らしき形はある。しかしそこに無数の色とりどりのパイプが繋がっているのだ。巻貝の棘一本に対し一本のパイプが繋がっていて、それらパイプは互いに合流しながら上へと流れて太いパイプになっていく。動物の血管を思わせる。
「そうか、金属がちゃんと隅まで流れるように、道を作るんですね」
「はい。湯道(ゆみち)です。それから金属からはガスも出るんですよ。そのガスを抜くための道もつけないとなりません」
型自体が、美術作品として成立するんじゃないかと思うほど、複雑な形状だった。
「金属を入れたら……冷えるのを待ちます。半日か一日くらいで固まるので、そうしたら掘り出して、型を割ります。石膏だとハンマーで割り開けますね。土の型ならバリバリ剥(は)がしていく感じで」
当たり前のように言う城山さんだが、ちょっと考えてみるとこれも驚きである。あれだけ苦労して作った型は、この時点でなくなってしまうのだ。
「それから仕上げです」
この仕上げもまた、手間がかかるのだという。
「ちゃんと、端っこに金属が行きわたってなかったり、穴が空いていたり。そういう失敗がだいたいあるんですよ。それから、作った道のところに不要な金属が入ってしまうことも多いし、はみ出してバリもできますから。いらないところを削って、穴を埋めて、足りないところは付け足して……最後に着色をして、ようやく完成、です」
ふう、と城山さんは息を吐く。
型で作ると聞くと、入れて冷やしてそれで終わり、のような気もしてしまう。だが実際には、複雑な作業の連続なのだ。
「ちなみにバリとか取り除いた部分は、とっておきます。また次回、溶かして使うんですよ」
大事な金属は、無駄にはしない。
「しかし、これは大変な作業ですね」
「そうですね、手間がかかります」
「大きな作品を作るとなると、かなり難しいんじゃありませんか?」
「難しいでしょうね。奈良の大仏は鋳金で作られたそうですが、どれだけの手間がかかったのかと思います」
見上げるほどの巨大な大仏を思い、僕も城山さんもため息をついた。
離れたくても、離れられない
藝大生たちの話を聞いて、よくわかった。金属という素材は、つくづく扱いにくい。硬くて重くて何かと手間がかかり、値段は高く、危険も隣り合わせ。何もそこまでしてモノを作らなくてもいいじゃないかと思えてくる。
工芸科のこの執念とも言うべきモノづくりへの想(おも)いは、どこから来るのだろう?
「それが、自分でもわからないんですよね」
鋳金専攻の城山さんは、不思議そうに首を傾(かし)げる。
「作業が押して、何日か泊まりが続くと、すっぴんですし。粉塵が凄いので、手拭(てぬぐ)いが必需品で、目だけ出るように顔に巻いて。いつも長袖(ながそで)に安全靴、軍手を二重につけて、ジーンズにモンペはいての作業です。たまには綺麗にネイルとかやりたいなーって思うこともあります」
「普通の女子大生が羨(うらや)ましくなったり?」
「うーん。普通の学生になりたければなれたんですけど、でも私、結局藝大に来ちゃったんですよね。どういうわけか離れられないんです。美術は、好きかどうかはわからないんですけれど、腐れ縁的な存在ですね……」
腐れ縁。決して肯定的ではない言葉が出てきたことに、ぎょっとした。
彫金専攻の岩上さんも、似たようなことを言う。
「私、もともと藝大に行く気はありませんでした。高校が美術系だったんですけれど、なんというか美術ばっかりやってて、視野が狭いまま将来を決めていいのかなって思ったんですね。環境を変えたくなったんです。でも、他に行きたいところもなくて」
ぽつりぽつり、続ける。
「それで一年間フリーターしたんです。なんだか、美術が嫌いになってたところもあったので。美術と関係ないバイトをして過ごしてました。でも、暇な時に何するかっていうと……雑誌を読んでは、このレイアウト作ったりする人になりたいとか。ジュエリーを見ては、これを作る人になりたいとか……そんなことばかり考えてしまうんですよね。じゃあ、やっぱり美大行くかなって。どうせなら藝大を目指してみようって」
「結局、美術に戻ってきてしまったんですね」
「離れられないんです。何だか、引き戻されたみたいな。人間って、美術から逃れられないものなのかもしれません。正直、彫金も向いているとは思えなくて。夏休み頃は、いじけてたんです。みんなうますぎ、私向いてないって……。課題に追われてたりすると、作るのが嫌になりますよ。でも、課題とか何もなしに家にいても、やることなくて……結局、何か作りたくなるんです」
岩上さんが眉を八の字の形にする。
「これから自分がどうなっていくのか、不安になりますね。もう少し美術、やってみようって今は思ってますけれど……」
「僕も、藝大に入るまでは紆余曲折(うよきょくせつ)がありました」
鍛金専攻の山田さんも頷く。
「もともと、うちの両親が美術系の大学に行くことに反対だったんです。東大を目指せ、そういう方針で。ですが受験に何回も失敗してしまって。その間に妹の方が先に合格しちゃったりして、さすがにそろそろやばいぞ、となったところで親も藝大を目指すことを認めてくれたような次第で」
「そうだったんですか」
「でも藝大に入っていなくても、何かしらの形でモノづくりはしていたと思いますよ」
「モノづくりは、山田さんの中ではどんな位置づけなんですか?」
しばし考えてから口を開く山田さん。
「人生そのもの、ですかね」
「それがなくては生きていけないということですか?」
「いえ。他にやりたいこともないっていうか。変な言い方ですけど」
不思議なことに、三人とも燃えるような情熱を持ってモノづくりをしているわけでもないようだ。
なぜだかわからないけれど、この世界に戻ってきてしまう。何をしてもいいと言われても、結局モノを作ってしまう。そんな自分に、彼ら自身も戸惑っているようだった。
何だかふわふわした理由だな、と思っていた僕も、三人から同じ話を聞くと考えが変わってきた。
そういうものなのかもしれない。
やりたいからやるのではなく、まるで体に刻みこまれているように、例えば呼吸することを避けては通れないように、人はモノを作るのかもしれない。
鍛金の自由の女神像、彫金の日本刀の龍、鋳金の大仏……どれも、ちょっと凄すぎる。あれだけの技法を発展させるには、やりたい人がいた、くらいでは足りないのではないか。
つまり美術が面白いからではなく……美術から逃れられない人が常に存在したから、あそこまでの作品が生まれたのではないだろうか? そんな気がしてくる。
「そういえば、こないだ嬉(うれ)しいことがあって」
取材の終わる間際(まぎわ)に、岩上さんが控えめに笑った。
「私の、父方の祖母の、その父……ひいお祖父(じい)さんですね。その人が、彫金の彫り師だったんですよ。これ私、彫金に入ってから知ったんです」
「そうなんですか!」
「まあ……技術は受け継いでいないようなので、それがちょっと残念なんですけど……でも、嬉しかったです」
岩上さんに技術が受け継がれているかどうか、僕にはわからない。だけど美術の世界と体が繋がって離れないところは、確かに血として受け継がれているような気がした。
ひいお祖父さんはひ孫のことを、どこかで優しく見守っているのだろうか。
[2/2ページ]