ポール牧は一万円札を全部千円札にして財布を厚くしていた…元ゆーとぴあ・ホープの 「昭和芸人回顧録」
ギャンブルに走った芸人たち
1986年、47歳の若さで逝ったのはピン芸人の東京ぼん太さんである。胃ガンだった。
ぼん太さんは1960年代から70年代前半、超が付くほどの売れっ子だった。背負っている唐草模様の風呂敷包みがトレードマークで、栃木弁丸出しのトークで笑わせた。
「ぼん太師匠の地元である栃木県の宇都宮でよく飲ませてもらいました」
だが、ぼん太さんは急失速する。1976年、バカラ賭博に興じていたことから逮捕・送検されてしまい、謹慎を余儀なくされたからだ。2年後に復帰したものの、人気は戻らず、失意のまま逝く。
「昔の芸人はみんな下積みで苦労したから、売れた時、金が入ってきても使い道を知らないんですよ」
だからギャンブルに走ってしまう芸人が珍しくなかった。1970年代から80年代にかけて、モノマネ芸で一世を風靡した故・佐々木つとむさんもそう。麻雀などに目がないことで知られた。
ホープとは友人として親しく、一緒に麻雀に興じたこともある。3、4日連続でやったことも。
「だけど、お互いにそろそろ芸に打ち込まなくては思い、2人で池袋のスナックで飲みながら『もうギャンブルは控えよう』と誓い合ったんですよ」
その直後の1987年9月、佐々木さんは同棲していた女性に刺殺されてしまう。女性も佐々木さんに詫びる文面の遺書を残し、自死した。ギャンブルを背景にした金銭トラブルなどが原因と見られた。佐々木さんはまだ40歳の若さだった。
ホープが一番、人生を教わったと思っているのはマジシャンのマギー司郎(75)だという。
「出会ったころは一緒にストリップ劇場に出ていました。すると、ストリッパーのヒモになった芸人について、マギーさんは『ああいうのはダメだからね』って批判するんです」
女性の人生や将来を考えず、依存するからである。マギーは「ヒモになるくらいだったら、俺は自分の彼女をストリッパーにするよ」と言った。女性に甘えず、運命共同体になるということだった。
やさしい人で、ホープが窮地に陥ると、惜しむことなく助けてくれたという。
「この間、テレビのBS放送で『ホープちゃん、これまでにあげた5000万円返してね』と言われましたよ。さすがに盛りすぎですけど(笑)」
たけしもやさしい。
「(1990年代に)新宿の歌舞伎町で一緒に飲んだ時、僕が気落ちしていたら『どうしたの、ホープちゃん、金ならあるよ。今だったら200万円くらい』って。本当は芸のことで考え込んでいたんです」
それでも、たけしは元気のないホープを心配し、腕時計を外して、「このロレックス、溶かす(売る)と4、500万円になるから」と言い、渡そうとした。
「良い先輩や仲間に恵まれました」
ホープは57歳だった2007年、大腸ガンを患い、手術を受けた。63歳の時には肺ガンになり、余命半年と宣告された後、左肺の上半分を切除した。約半年後には胃と小腸にもガンが見つかり、また手術を受けた。
早世した先輩や仲間が多いことから、一時は「自分もか」と観念した。だが、まだやり残したことがあると思い直し、闘病に励んだ。
4つのガン手術をすべて済ませてから約8年。今はすっかり元気だ。自分の半生をモチーフにした高齢社会応援ソング「人生100年を噛み締めろ」を弟子の1人でシンガーソングライター・北脇貴士たちと一緒に歌っている。YouTubeでも公開している。好評だ。
https://www.youtube.com/watch?v=8GTwb0Mr_Kw
まだまだ笑いを取りたい。昭和の芸人魂は不滅なのだ。
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