「稲葉篤紀監督」は戦訓にできるか…屈辱にまみれた“北京五輪の悲劇”
「季節外れの桜を咲かそう」
7月23日開幕の東京五輪では、2008年の北京大会以来、13年ぶりに野球が復活する。前回は阪神のオーナー付SDだった星野仙一監督が侍ジャパンを指揮した。本番直前の08年7月、星野監督は、代表24選手全員に「北京の夏に季節外れの桜を咲かそう」と書いた手紙を送り、金メダルへの熱い思いをアピールした。
だが、真夏の北京で桜が咲くことはなかった。
中日、阪神監督時代に3度指揮をとった日本シリーズでいずれも敗れた星野監督は「短期決戦に弱い」といわれていたが、北京でもその不安は現実のものになった。
故障や不振の選手が相次ぎ、ベストの打線が組めなかった“星野ジャパン”は、継投失敗や拙守など作戦面でも歯車がかみ合わず、メダルどころか、まさかの4位に終わった。
東京五輪では、稲葉篤紀監督率いる“稲葉ジャパン”が北京五輪の雪辱を期すことになるが、くしくも稲葉監督は当時星野ジャパンの一員だった。13年前と同じ轍を踏まないためにも、なぜそうなったのか、“北京の悪夢”をもう一度振り返ってみよう。
「オレのミス」
08年8月13日の1次リーグ初戦、日本はいきなり強敵・キューバと対戦した。星野監督は必勝を期して、エース・ダルビッシュ有を先発させた。
だが、北京入り前に背中の張りを訴えるなど、本調子ではなかったダルビッシュは、フォームのバランスを崩し、球が高めに浮く。2回にアルフレド・デスパイネ(現ソフトバンク)のタイムリーで1点を先制され、3回にも1点を失ったあと、2対2の5回にも無死二、三塁のピンチを招いて降板。代わった成瀬善久もデスパイネに2点タイムリーを浴び、無念の黒星スタートとなった。
日本は翌14日に台湾、15日にオランダに連勝し、軌道を修正したかに見えたが、同16日の韓国戦で痛恨の2敗目を喫する。
6回に新井貴浩の2ランで先制も、7回に和田毅が先頭打者に四球のあと、李大浩に同点2ランを浴びる。9回にも3番手・岩瀬仁紀が決勝タイムリーを許し、さらに悪送球などで計3失点。9回に1点を返したが、3対5で敗れた。
試合後、星野監督は「オレのミス。7回に和田が無死で四球を出したところで川上(憲伸)に継投しとくべきだった」と短期決戦の継投の難しさを吐露した。
日本はその後、カナダ、中国に連勝して4勝2敗としたが、8月20日の1次リーグ最終戦で米国と0対0のままタイブレークに突入。11回に岩瀬が4点を失い、3敗目となった。
急きょ導入が決まったタイブレークへの対策が不十分だったことに加え、韓国戦でリリーフに失敗した岩瀬を再び重要な局面で起用したことが凶と出た。失敗した直後に再度チャンスを与え、自信を取り戻させる星野監督の“情の采配”は、長丁場では一定の効果を生み出すが、短期決戦ではうまくいかなったのだ。
しかし、星野監督は同22日の決勝トーナメント準決勝の韓国戦でも、2対2の8回から岩瀬を投入し、李承燁に決勝2ランを献上。この敗戦により、金メダルは絶望となった。
敗因は継投失敗だけではなかった。
ライトが定位置でレフトの経験がほとんどないGG佐藤を「絶対負けられない1戦」で不慣れなポジションに置いた結果、いずれも失点につながる2つのエラーを招いた。バックのエラーは、投手を「自分がミスを取り戻さなければ」と力ませ、さらに失点を重ねる悪循環へと導く。短期決戦の怖さである。
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