フランスの極右政党から立候補した日本女性 「移民受け入れで日本はこの国を反面教師にしてほしい」

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 フランス国籍を取得した元日本国籍の女性が、フランスの県議会選挙に“極右政党”から出馬するというニュースが、今年の4月末、フランスメディア「actu.fr」などで報じられました。日本出身の女性が国籍を変えて外国で政界に挑むというだけでもびっくりしましたが、移民反対のイメージが強い「国民連合」からの出馬ということにさらに驚きました。どのような経緯で出馬に至ったのか、その思いをご本人に直接伺いました。

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「政治には、もともと特に興味はなかったんです」

 と語る女性の名は、犬飼敦子さん(58)。パリ市内の国立中学校で日本語を教える正規の教員です。出身は東京・新宿区だそうです。

「フランスに行きたいというのは、5歳くらいの頃から言っていました。でも、なぜなのかは分からないんです。親がフランスに関わる仕事をしていたわけでもないですし。強いて言うなら、本棚にあった父の『フランス絵画大全』でロートレックなどフランスの絵を見ていたくらいです。あまりにも小さい頃から言い続けていたので、親も反対することなく、『あ、そう』という感じで送り出してくれました」

 渡仏にあたっては、日本のテレビやラジオなどでフランス語を勉強し、東海大学文学部のヨーロッパ専攻西欧課程に進学。ここでもフランス語を中心に学んだという犬飼さんは、在学中に反原発やアパルトヘイト反対のデモに参加された経験があるそうです。

「学園祭などに他校の人たちが来て、そういったデモのビラを配ったのが、運動に参加したきっかけでした。大学と同時に通っていた語学学校にも、掲示板に運動への参加を促すものが貼ってあったかもしれません。世界のどこかでつらい目に遭っている人がいるなら、それをなくしたいし、嫌なことには嫌と言ったほうが良いかな……くらいの気持ちで、特に政治活動に参加しているという感覚はありませんでした。時代的に学生運動のピークは過ぎていたけれど、まだ活動している人はいたし、デモに参加する女性も少なくなかったです」

 そして大学2年時には、パリのソルボンヌ大学で夏期講座を受講するためにフランスへ。

「40年弱前のパリは、街並みはもちろんきれいで、空気も日本とは違うと感じたけれど、何よりフランスの公務員は立派でしたね。親切丁寧で自分の仕事に誇りを持った人達が多かったです。フランス国鉄も今とは違い、必ず時間通りに運行していたのを憶えています。2か月の滞在の後に日本に帰国し、フランスへの思いはさらに強まりました。大学卒業後の数年間は、働きながらフランス語の夜間学校に通いました。結局、フランスに移住したのは27歳の時です」

 渡仏2日後には免税店で働きはじめ、翻訳の仕事を経て、フリーペーパーの無料広告で募集した生徒に日本語を教える生活をしていたという犬飼さん。当時の生徒の一人であったフランス人男性と結婚され(その13年後には離婚)、2人の子供にも恵まれました。家族を養うための仕事と育児を両立するという生活を送り、政治に関わることはありませんでした。

正規職員という選択とフランス国籍

「義母は教職に就いており、彼女が勤めていた学校で日本語教師を探しているという話があったんです。話を聞きに行ったら、実は探していたのは中国語教師。それでも『まあ日本語でも良いでしょう』ということになり、臨時教員として職を得ました。10年ほど勤めた1999年、正規教員にならないかというオファーを受けました。

 ただ、フランスの正規教員は公務員ですので、フランス国籍を取得しなければならないのです。日本は二重国籍を認めていないので、正規教員になるためには日本の国籍を放棄するしかない。結婚した時も国籍は変えませんでしたが、2か月間考えた後、正規教員の道に進むことを決意し、フランス国籍を得ました。

 もし日本語教師の仕事をしていなければ、そして正規教員へのオファーがなければ、フランス国籍を取得しなかったでしょうし、選挙にも出馬していなかったでしょう」

 正規教員として働く一方で、子育てにもはげむ日々。やはり政治とは縁遠い暮らしでした。

「とはいえ、元夫は国民戦線(2018年に党名を国民連合に変更)の支持者でしたから、国民戦線がどういう主張をしているかは知っていました。それでもド・ゴールとかムッソリーニのような歴史的な政治家の話をするくらいで、現在の政治に関して話すことはほとんどありませんでした。ただ、国民戦線の主張は、メディアで聞いても読んでも分かりやすいという印象はありました。他政党のものは何度か聞き直さないと分かりにくいような内容だとも感じていました。

 それに国民戦線が世間から『極右政党』と呼ばれていることにも疑問がありました。日本でいう『右翼』のように、街宣車を走らせたりといった過激な活動をしていたわけではありません。日本から来た私にとっては、フランスらしさを取り戻そうという至極まっとうな主張をしているだけで、極右には思えませんでした。

 国民連合に現在も極右のイメージがついて回るのは、2011年まで党首だったジャン=マリー・ル・ペン氏の人種差別的発言などの影響でしょう。現在、国民連合は、フランスで働き、フランスで消費する移民を認めていますし、国民戦線当時とは違うのですけどね」

 ニコラ・サルコジ元大統領やジャック・シラク元大統領などの右派と、フランソワ・オランド元大統領やフランソワ・ミッテラン元大統領などの左派が、代わるがわる政権を握るフランスにおいて、ジャン=マリー・ル・ペン氏が率いた国民戦線は極右政党として有名でした。

 初代党首である彼は、2010年の訪日時に靖国神社を参拝したことが日本でもニュースになりました。「日本は美しい国。日本の(二重国籍を認めない)国籍法は、私たち国民戦線の考え方とまったく同じだ」という発言がメディアで取り上げられています。

 フランスで政権を取ったことはありませんが、反移民の立場から、移民2世、3世の暴動が起こった2005年以降、支持を伸ばしました。若者や失業者、肉体労働者が主な支持層だといわれています。2011年にル・ペン氏の娘マリーヌ・ル・ペン氏が国民戦線党首となり、移民を制限付きで受け入れるなど、父親より穏健な政策を提案しています。

 マリーヌ氏は2017年の大統領選挙に出馬しましたが、中道といわれる共和国前進のエマニュエル・マクロン氏に敗れました。これに危機感を抱き、犬飼さんは党員として国民戦線に加わることに決めたといいます。国民戦線は翌年に党名を変更し、国民連合となりました。

「この人(マクロン)が大統領では、初めて私がフランスを訪れた数十年前に感じた“誇り高きフランス”がなくなってしまう――これはいけないと思いましたね。彼は、2018年に仏領西インド諸島アンティルを視察した際に、元強盗犯で、しかも上半身裸の現地の若者と写真を撮り、物議を醸したこともありました。そのような写真が世界中に報道されるフランスは、恥ずかしいと思いました。またマクロン大統領は、十分な受け入れ策がないまま大人数の移民の受け入れを進めています。大統領としてどうなのだろう、と思います。私が好きだと感じたフランスを取り戻してほしいという思いで国民連合に加入しました」

 国民連合は現在、反マクロン派からの支持も厚く、反移民などの極右というイメージを払拭するべく、より寛容な穏健主義に舵を切っています。まさに犬飼さんを擁立したこともそのひとつであるのかもしれません。彼女の擁立は、外国人を受け入れるという姿勢のアピールだと指摘するメディアもあります。

 とはいえ、党員になっても政治活動に積極的ではなく、4年に1度の党大会に参加したほかは、年に1度、県下の党集会に参加する程度だったそうです。どういった経緯で、立候補することになったのでしょうか。

「国民連合の地域代表が私と同じ教員ということで、お互いのことは知っていました。今回の県議会選挙(6月20日、27日の2回投票)の出馬者登録の締め切り間近に、その彼から立候補の打診を受けましたが、2度、断りました。私でなくても他に候補者はいるだろうと思いましたし、政治家というのは交渉や駆け引きに長けている必要があると思うので、子供たち相手の仕事を30年以上続けてきた自分には向いていないと思ったんです。それでも3度目の出馬要請に、これはよほどのことだろうと思い直しました。私でも力になれるならやろうと思いました。私が好きになったフランスを取り戻す手伝いができるならと決心しました」

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