我が子2人を殺めた「タイ人妻」事件 姑に土下座、法廷で明かされた“壮絶イジメ”
夫が法廷で述べた「妻批判」
証人出廷した夫は、義母と同様、被告の全てを否定した。証言台と傍聴席の間に立てられた衝立でその姿は見えない。
「(被告は)子供にみすぼらしい弁当を持たせていた。私学に行っているとは思えない、ひどい弁当でした。握り飯と、ちょっとの魚が入った弁当ですよ。なぜだと聞くと被告は『ただのいじめです』と。おかしな親子関係だと思いましたね。子供には被告から遺伝した貧血の持病があり、通院していました。医師に言われたのは、鉄分を摂るようにと。17品目作るように言われていたんですよ。でも被告はそれができなかった。
そして粉ミルクを息子にあげるときも、普通なら温度をチェックすると思いますが、非常に煮えたぎってるお湯を入れて、そのまま飲ませようとしたところを見ました。私は『あっ、この人にはもう育児を任せられない』と。
会社でも、自分のことを『マダム』とか『オーナー』とかそういうふうに客や子供に吹聴する。客から『それは違うでしょ』と言われても見栄を張って……」
金に汚く、接客態度も悪く、育児もできない妻……。夫の真偽不明な批判は止まらない。その間、側にいたフルカワ被告は、首をたびたび横に振りながら否定の意思を示していた。このほか義妹からは「被告が夫(義弟)と不倫をしていた」そして義母からも「夫(義父)と不倫をしていた」といった証言まで飛び出した。
正反対の“いじめ”証言も…
第三者から見た家族像は、これと大きく異なる。宝石店に派遣されていた社員は、供述調書に「起こるべきして起こった事件」と告白をしている。
「被告人の夫には良い印象がなく、態度が横柄。義妹も同様で、ルディーポンさんが挨拶しても返事もしないし、指図をし、雑用ばかりさせていた」
「専務(義母)は毎日社員に説教していたが特にルディーポンさんに集中し、土下座もさせていた」
「長男と長女は義母を○○○ママ(○○○は義母の名前)と呼んでいた」
加えて、派遣会社の社長は「宝石店とは15年ぐらいの付き合いがある。平成31年4月から令和2年3月まで61人派遣した」としたうえで、
「なぜこんなに多いかと言うと、一回派遣された社員が、もうあの宝石店に行きたくないと辞退するから。毎日仕事終わりに専務(義母)から説教があると聞いている。ルディーポンの土下座を見るのが辛いといって辞退する社員も多かった。殺害された長男も、専務と同じような口調でルディーポンに話していた。社員同士の話は禁止で、その理由は派閥をつくる、というものだった」
義母については、被告に手を出していたことも認めている。が、それはあくまでも被告に非があったとの主張だ。
「被告には問題が多く見られ、あまりにひどい態度のときは、ついカッとなり、叩くこともあった。特に最近は問題行動が多く、叩くことが多かった」(義母の調書)
さて、当のフルカワ被告は法廷でどう語ったか。裁判所も認定した婚家のいじめが存在したにもかかわらず、被告人質問では「私は夫と離婚することを全く考えたことがなかった。彼のことを愛していたし、家族のことも愛していた」と涙ながらに語り、動機を次のように明かした。
「事件の2日前から家族で離婚の話になり、離婚届をもらったらすぐに署名するようにと言われ、署名したら一ヶ月以内に帰国するようにと言われた。もともと離婚したくなかったのでそれを聞いてびっくりして、頭が真っ白になった。私は子供と離れ離れになりたくなかった。以前、義母から『これから子供たちはタイに行かせない、もしあなたの両親が孫に会いたければそっちが日本に来るように』と言われていた。そういうこともあって、タイに帰ったらもう二度と子供に会えないと思った」
離婚に応じてしまえば、一人でタイに帰国することになり、子供たちにも二度と会えなくなる。事件当日の朝に「子供を殺そうと、包丁を取って、何度も躊躇ったが、一緒に暮らせないなら殺そうと決めた」という。
「そのときは自分、わからない、きっと頭おかしかった。きっと子供たちは悲しんでいたと思う。母親が悪いことをして、悲しかったと思うし、とても痛かったと思う……」
泣きながら語っていたが、子供たちはもう戻ってはこない。
検察の論告では、「大人の事情を子供に向けるのは筋違い。まさしく子供の命より自分の気持ちを優先した身勝手な犯行」と指摘。一方、判決時には、周囲にママ友も相談できる知人もいなかった被告を「精神的視野狭窄のなかで突如感情が爆発し、犯行に及んだ」と認定している。
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