熱海土石流、生き延びた人々が語る前日の“異変”と現場の惨状 「もし屋根が割れていなかったら…」
7月3日に静岡県熱海市伊豆山(いずさん)で起きた土石流災害。死者は10名に上るが、なかには命からがら助かった住民も。彼らはどのようにして生き延びることができたのか――
***
土石流に蹂躙された伊豆山地区では、まさしく生死を分ける恐怖に晒された住民も少なからずいる。
ダイビングショップ「熱海いずさんマリンサービス」を経営する大久保衛さん(62)が振り返る。
「私の家は土石流が流れたラインのすぐ東側に建っています。3日は仕事が休みでゆっくりお茶を飲んでいたら、10時半ごろにガラガラと雷みたいな音が聞こえてきました。聞いたこともない大きな音だったので窓を開けたら、右手の山がゆらゆら揺れている。その時すでに土砂が流れていたのでしょう」
10分ほどして、岩や大木とともに最初の波が押し寄せてきたという。
「隣の家には90代の老夫婦が住んでいて、その日はたまたまお友達の80代の女性が遊びに来ていた。私の家にもインストラクターの友人が来ていたので、二人で3人のお年寄りをおぶったりして、何とか上の方へ避難させたのです」
そのまま様子を見ようとしたところ、
「立て続けに2回目、3回目が来ました。最後が一番ひどくて、家の前の電柱をはじめ、公民館の建物まで丸ごと流され、うちの庭先にくっついてしまいました。家の裏は10メートルくらいの崖なので、どこにも出られなくなりました」
大久保さんと老夫婦の家は流失を免れたというのだが、
「その隣の家は流されてしまい、住んでいた30代の女性は見つかっていません。そうして身動きができないまま留まっていた時、目の前の家の2階から全身泥まみれの女性が下りてきたのです」
頭から泥をかぶったまま脱出を試みたその女性、川口紗希さん(29)に聞くと、
「最初にドーンと音がして、何だろうと思って家の戸を開けたら、その瞬間にバーッと一気に土砂が入ってきました。そのまま土砂と一緒に流され、ベッドと壁の間に挟まれた状態で耐えていましたが、2回目の土石流で屋根が割れて隙間ができたので、ベッドを踏台にしてその割れ目から外に出ることができたのです。もし屋根が割れてなかったらと思うと……」
屋根が開いた時、ちょうど手の届く場所に貴重品の入ったリュックがあったという。
「それを持って屋根から這い出て、まずお隣の家にリュックだけ投げ入れさせてもらいました。ベランダから入れてもらって着替えていたら、最後の3回目でその家の玄関にも土石流が来たので、みんなで家から逃げたのです」
裏手の崖の上を通りかかったレスキュー隊員に大久保さんが声を掛け、全員救助された。自宅を失いながらも川口さんは、右手の二の腕と足に少しけがを負っただけで済んだという。
不幸中の幸い
今回、ツイッターで拡散された中に、土石流の猛威と対峙する赤い建物が写る動画がある。リカーショップ「丸越酒店」である。
「その映像が撮られた時は、すでに避難していました」
とは、店を営む女性。
「最初の土石流の時はまだ店にいて、道路が寸断されたので上ってくる車をUターンさせていました。それが一段落して店に戻ったら、大きな音がして電線が激しく揺れ、外から“逃げろ”と声がしたのです。土石流はもう玄関先まで来ていたので、急いで逃げました」
現在も、建物は無事だという。
一方、熱海駅前で「イワオ理容室」を営む斎藤巌さんは当日朝、伊豆山地区の自宅を車で出発。店に着いた後、仕事中に自宅の流失を聞かされたという。
「私の家の並びの一段上に住んでいる友人が、『今まさにお宅が流されている』と電話をくれたのです。毎朝8時には出勤していたのが不幸中の幸いで巻き込まれずに済みましたが、うちは川の上流部にあるので、最初の土石流で流されてしまったようです」
その“第1波”が起きるまでは、
「うちの周りでは誰も避難しておらず、第1波の後、警察や消防に誘導されて避難を始めたというのですが、公民館に向かう途中で第2波に巻き込まれてしまった人もいたと聞きました。私の近所でも連絡が取れない人が何人かいますが、コロナの感染を恐れて避難所に行きにくい気持ちもあり、結果として避難が遅れてしまったのではないでしょうか。避難する側になって、そう感じています」
前日夜から当日の明け方にかけては「異変」があったという。
「屋根を叩く激しい雨音が続き、川の中を石がゴロンゴロンと流れていく大きな音も聞こえました。朝、出かける時に川を覗いてみると、茶色く濁った水が、見たこともない勢いで流れていたのです」
おのおの死と隣り合わせになりながらも、しかと生を拾い上げたわけである。