ワクチン供給の希望「COVAX」が頓挫した理由
先進国にとっては“リスクヘッジ”
新型コロナウイルスのワクチンに関連したニュースで、COVAX、あるいはCOVAXファシリティという名称の供給の枠組みを目にすることは多いであろうが、その独特のメカニズムに関する説明は少ないように思える。ポイントは、「持てる者も持たざる者も、平等に」という考え方だ。
COVAXに参加する国や地域には、2種類ある。ひとつは、自ら資金を出して自らのためにワクチンを購入する国など。この文章では便宜的に「先進国」と呼ぶ。もうひとつは資金を出さずにワクチンの供給を受ける国・地域、「途上国」だ。先進国も途上国も、ともに人口の20%のワクチンを受け取れるというのが原則だ。
では、資金を出す先進国側にとってのメリットは?
まずはリスクヘッジ。ある先進国がワクチンを開発している製薬会社と個別に購入交渉をしても、その製薬会社の開発が失敗すれば、ワクチンは手に入らない。これに対し、COVAXは複数の製薬会社(発足当初は9社)から購入するので、何社か開発に失敗したとしても、成功した社から人口の20%分は受け取れる。複数の株式を組み合わせる投資信託をイメージしてもらえば分かりやすいかもしれない。
それに、間接的に途上国側のワクチン確保を支援するのだから、国際貢献として胸も張れるというものだ。
このように、ワクチンをめぐるいわば投資信託で「持てる者も持たざる者も、平等に」供給・接種が進めば、国境など一顧だにしないウイルスとの闘いで人類は優位に立てるはずであった。
供給実績は計画の3分の1以下
しかし、現状は極めて厳しい。
計画では、2021年の上半期までにCOVAXは3億3720万回分のワクチンを世界に供給しているはずであった。実際には、7月2日現在、9500万回分を134の国や地域に供給できたに過ぎない。供給実績は計画の3分の1以下に止まった。
なぜ、COVAXは大苦戦を強いられているのか、少し時間を遡って検証したい。
COVAXは何もないところから誕生したわけではない。既存のスキームが活用されている。Gavi(Gaviワクチンアライアンス)とCEPI (感染症流行対策イノベーション連合)だ。ともにダボス会議(世界経済フォーラムの年次総会)で発足した国際的な官民連携の枠組みである(Gaviは2000年、CEPIは2017年)。Gaviは途上国でのワクチン接種を後押しし、CEPIはワクチンの開発を支援する。ここでは、Gaviに絞ってさらに考察を深めよう。
Gaviでいう「官民」のうち、「官」は、Gaviに出資する先進国、WHO(世界保健機関)、世界銀行、UNICEF(国連児童基金)など。日本も2011年から出資国となった。「民」はアフリカなどでマラリアなど感染症の対策を支援してきた「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」や製薬会社など。こうした国家や国連機関、そして民間組織の幅広い協力で、麻疹(はしか)、肺炎球菌、子宮頸がんの主原因であるHPV(ヒトパピローマウイルス)などの感染症に対する11種類のワクチンの接種を途上国で進めている。
Gaviは低価格でワクチンを調達し、低価格で途上国に供給する。前述の11種類のワクチン全てを子どもに接種するコストは、アメリカでは約1200(約13万円)ドルかかるのに対し、Gaviが支援する国々では約28ドルで済んでいる。
価格のコントロールだけでなく、Gaviはワクチンの品質を保ちながら運搬・保存する「コールドチェーン体制」の整備や、接種を担う医療従事者たちに対するトレーニングなども実施している。
ちなみに、個人でもGaviを資金面で支援できる。「ワクチン債」への投資だ。「ワクチン債」、正式には2006年に設立されたIFFIm (International Finance Facility for Immunisation)が発行する債券を購入するという方法で、いま注目度が高まっているESG投資の1つといえる。
話をGaviのワクチン調達に戻そう。
なぜGaviはワクチンの調達価格と途上国向けの供給価格の双方を抑えられるのか。その要諦として、まずは「人道性」があるが、加えて重要なのは、製薬企業側に「薄利多売」の魅力を提案できること。つまり、Gaviは数多くの途上国をカバーすることによって大きな「市場」を持っている。そうなると、企業側はワクチン1本あたりの価格を引き下げて販売しても、Gaviの「市場」のスケールメリットで利益を得られる。しかも、途上国との個別交渉では支払いが滞るリスクがどうしても頭をよぎるが、世界的な官民連携のGaviが顧客だと、そうした不安も払拭される。Gaviのホームページを見ると、現在では世界の子どもの半数を対象にワクチンを接種しているので、自分たちは製薬企業との価格交渉で「絶大な力(tremendous power)」を持つと記されている。
この「力」が、COVAXとしてのワクチン調達でも功を奏すると期待された。
「公衆衛生における史上最大規模の努力」
2020年4月24日、WHOはCOVAXの土台となる「ACTアクセラレータ(ACT Accelerator)」の立ち上げを宣言する国際会議をオンラインで開いた。ACTは、“Access to COVID-19 Tools”の頭文字をとったもの。ACT アクセラレータは新型コロナウイルスに対処するためのツールへのアクセスを加速させる枠組み、ということになる。そのツールの筆頭は、Gaviの実績を基礎にしたワクチンの調達と供給であった。
会議はWHOのテドロス・アダノム事務局長が進行役を務め、フランスのエマニュエル・マクロン大統領、ドイツのアンゲラ・メルケル首相をはじめとする首脳ら、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」のメリンダ・ゲイツ氏など、錚々たる顔ぶれがこの新しい枠組みへの期待を語った。
その中でも、国連のアントニオ・グテーレス事務総長のスピーチの一節が、ACT アクセラレータ、ひいてはCOVAXの理念を簡明に表している。
「新型コロナのない世界を実現するには、公衆衛生における史上最大規模の努力が必要だ。データは共有されねばならず、(ワクチンなどの)製造能力を準備し、リソースを動員し、地域が関与し、政治は脇に置かれる」
そう述べたグテーレスは「できると確信している(“I know we can do it”)」と強調した。彼は、おそらく、理念の最後の部分「政治は脇に置かれる(“politics set aside”)」については確信がないことの裏返しとして、各国に「政治的な思惑を優先させるな」と訴えかけたように思える。
資金力の前で霞んだ「人道性」と「スケールメリット」
果たしてワクチンの開発が急ピッチで進むと、政治が露骨なまでに前面に出てきた。アメリカをはじめ先進国はCOVAXの枠組みの外でワクチン確保を急ぎ、内政面での成果として誇示した(その筆頭はジョー・バイデン大統領だろう)。かと思えば、供給・接種の遅れに対して人々の不満が高まったEU(欧州連合)は、域内からのワクチン輸出に制限をかけられるようにするという、なりふり構わぬ措置を打ち出した。
たちまち、途上国や医療に携わる国際的なNGOからは「先進国がワクチンを買い占めている」という非難が噴出した。実際、アメリカやEUは人口の約2倍、カナダにいたっては人口の約4倍(調査によっては5倍)ものワクチンを確保してしまうという事態になった。
つまり、製薬企業との交渉において、先進国の豊富な資金の力が、「人道性」や「薄利多売」をアピールするCOVAXの力を凌駕したのだ。
もっとも、こうした先進国側の「自国ファースト」はやむを得ないことで、予見されていた事態だという指摘も少なくない。医学誌「ランセット」(2021年6月19日号)は、米デューク大学が主導する医薬品供給の分析組織(Launch and Scale Speedometer)の幹部の話として、国家の指導者は自国民を守る義務があるため、ワクチン・ナショナリズムは不可避であり、はじめからその要素を織り込んでCOVAXの枠組み作りを検討すべきだったと指摘している。
もう一つ、COVAXの理念から外れた政治的な動きとして表面化したのは、言わずと知れた「ワクチン外交」だ。いちはやく自国内の感染状況が落ち着いた中国は、東南アジアからアフリカ、さらにはヨーロッパの一部まで、「一帯一路」構想で鍵を握る国々を中心に自国製のワクチンを提供し、外交の力として活用した。ロシアもこれに続いた。
これに危機感を覚えたアメリカ、そして日本も巻き返そうとしている。最近、日米は相次いで台湾へのワクチン提供を実施し、中国が地団駄を踏んだ。台湾に関しては、ワクチン購入の一部が中国から妨害されているという見方もあるだけに、日米の動きは極めて妥当ともいえるが、政治的な思惑が絡んでいることに変わりはない。
日本の場合、6月15日、ベトナムにワクチンを提供し、さらにインドネシアやタイなどASEAN(東南アジア諸国連合)4カ国にもワクチンを提供していくことを説明した茂木敏充外相は、「ASEANは日本が提唱した『自由で開かれたインド太平洋』を実現していく上でも極めて重要な国々だ」と述べ、「ワクチン外交」の色合いを否定しなかった。
沈黙せざるを得なかった「不都合な真実」
こうして、先進国側の「ワクチン買い占め」や「ワクチン外交」は、Gaviでは成功していた「薄利多売」というスキームを脇に押しやってしまい、COVAXによるワクチン調達・供給の低迷を招く結果となった。
GaviとCOVAXは、基本的な哲学は同じである。国際的な連携によってワクチンを低価格で調達し、幅広く供給する。
しかし、決定的に異なるのは、Gaviは「持てる者による持たざる者への支援」であるのに対し、冒頭で紹介したように、COVAXは供給を受ける側に先進国も入っての「持てる者も持たざる者も、平等に」という新たな挑戦であったことだ。その挑戦の気宇(きう)は良しとしても、具体的な枠組みとしてはいくつか落とし穴が潜んでいたことが明確になってきている。
まずは、どの国や地域も人口の20%分のワクチンを購入するという目標設定の仕方。20%というのは医療従事者や高齢者をカバーするための水準だが、経済の全面再開につなげられるだけの広がりからは程遠い。であれば、資金のある国々が、ワクチン開発が成功しないというリスクも承知の上で、独自に製薬会社と購入の交渉に乗り出すのは必然的であった。結局、COVAXは、先進国をより深くコミットさせようと、先進国側は人口の50%分まで購入できる仕組みに変更することを決断した。「平等に」という原則は崩れたわけだ。
もう一つの落とし穴は、契約の履行義務だ。
当初に掲げた「平等に」というワクチン供給の原則を守るには、COVAXは先進国にも一定量のワクチンを回さなければならない。購入資金を受け取っているのだから、当然だ。しかし、そうなると、既に独自の交渉で人口を上回る量のワクチンを確保した国々までも、COVAXの恩恵にあずかる。「ランセット」によれば、COVAXから途上国へのワクチン供給第1号として2021年2月24日にガーナに60万回分が到着した際、COVAXは大々的にアピールした。しかし、実は、その前に(人口の4~5倍分も確保している)カナダにCOVAXから162万回分のワクチンが割り当てられたのだが、COVAXは対外的に発表しなかった。同年4月にイギリスに50万回分が割り当てられた際も然り。
COVAXがそうした「不都合な真実」に関して沈黙したのは無理もない。結果的にワクチン格差をさらに広げてしまったとも言えるのだから。「そういう取り決めだから」と主張しても、なかなか理解は得られないであろう。国際NGOのオックスファムは、「カナダ政府はCOVAXからワクチンを受け取るべきでない」と手厳しく批判した。
道義的に指弾されそうなのは、カナダに限った話ではない。
6月13日、日本を含めたG7の国々は、イギリス・コーンウォールで開催されたサミットでの首脳宣言の中で、来年にかけて少なくとも8億7000万回分のワクチンを供給するとし、今年中に少なくともその半分(4億3500万回以上)を主にCOVAXを通じて届けることを目指すと表明した。
COVAXへの支援強化は歓迎すべきだ。しかし、「ランセット」によれば、COVAXは今年中に先進国側に4億8500万回分を届ける取り決めになっている。つまり、単純にいえば、G7が供給を表明したワクチンの量は、COVAXから先進国に出て行く量にも及ばないのだ。それもあって、今回のG7の首脳宣言には途上国などから失望感も出ている。
COVAXの理念に「敗者復活戦」を
COVAXの枠組みは野心的な挑戦であった。しかし、それを運用する各国政府・地域の指導者たちはワクチン供給を政治から切り離せなかったし、COVAXの挑戦的な枠組み自体が一部では仇となってしまった。
だが、個人的には思う。「持てる者も持たざる者も、平等に」という理念が、全否定される謂れもないのではないか。
先述した国際会議で、グテーレス国連事務総長は、「我々は、あまりにも長きにわたって世界的な公共財(global public goods)を軽視し、投資をしなさすぎた」と述べた。公共財の具体例は、良好な環境、サイバー空間の安全性、そして平和など、多岐にわたると彼は指摘した。そして、国境またぐこうした公共財を守るため、各国の政治的な思惑を排除した世界的な共助の枠組みをつくろうと訴えた。
そうした高い理想の先例たり得たCOVAXは、残念ながら敗れつつある。
しかし、それを全否定しては、非常に大きな禍根を残す気がしてならない。浮き彫りになった課題を修正して、次のパンデミックや環境問題などに対して、COVAXの理念が「敗者復活戦」に臨む余地は、許容されてもいいのではないだろうか。