最年少九段になった藤井聡太を真に心配する恩師 「いや、寝ているようじゃダメです」
珍しく「不興」の表情を見せた渡辺
藤井は終局直後のインタビューで「苦しいかなとは思ったんですが、うーん」などと答え、渡辺は「終盤はちょっとわからなかったですね。誘われて飛車を切っちゃったかな」などと答えた。渡辺二冠はたまに敗北しても、いつも明るく振る舞って答えてくれる人柄の棋士だ。しかし記者に「ストレート負けは初めてですね」と向けられると「ストレート負けでもフルセットの負けでも関係ないです」と珍しくややぶっきらぼうに答えた。中継するAbemaTVでうかがうその表情に悔しさが滲んだ。(筆者は久しぶりに現地取材するはずだったが、不運にも豪雨で新幹線などが不通になり断念していた)。
名人と並ぶタイトルの竜王11期獲得など渡辺は過去、39回もタイトル戦を戦ってきたが、1勝もできずに敗退するのは今回が初めてだった。かつて羽生善治永世七冠(50)との竜王戦では3敗から4勝する大逆転で竜王位を守ったこともあり、渡辺ファンは「ここから絶対に3勝して逆転する」と信じていたがかなわなかった。
「CMに出ている場合ではないのでは」
会見で藤井は「3連勝というのは実力以上の結果が出たのかなと考えている」といつもの謙遜、最年少の九段昇段について「九段というと本当に実績のある人ばかりという印象。そこに加わることができ、嬉しく思っている」などと話した。
藤井聡太の故郷、愛知県瀬戸市ではコロナ禍、市民は控えめに郷土の若い英雄の快挙を祝福した。子供の頃の藤井を指導した瀬戸市の「ふみもと子供将棋教室」の文本力雄さん(66)は「王さんを囲わずに戦う棋士は昔も升田幸三さん(故人・名人)などがいましたが、おもしろい将棋でした。王さんだけが生き残るかのような印象ですね。でも将棋はそれで勝ちですから」と喜ぶ。
しかしこうも語ってくれた。「聡太は今、渡辺さんに勝ったことよりも頭の中に渦巻いているのは、こないだ豊島さん(将之 31 叡王・王位の二冠)に完膚なきまでに敗戦したことでしょう。悔しくて悔しくてたまらないはず」。文本さんは幼い藤井聡太少年が負けると将棋盤にしがみついて大泣きする姿を何度も見てきた。「泣きはしなくても今も変わらない。寝られないのでは。いや、寝てるようじゃダメです」。
「対局が一回きりで終わっている人もいるとはいえ、聡太はプロ入り後、これまで合計8人の棋士に敗北している。中でも豊島二冠にはコテンパンにやられて1勝7敗。王位戦の第1局は、時間をたっぷり余してさっさと投了してしまった。あんなことは珍しいが勝負師として豊島さんの方が上でした。強い苦手意識を持ってしまったらもう真のトップにはなれません。今のうち何とかしなくては」と心配する。
偶然かどうか、藤井はこの夏に防衛戦の王位戦、新タイトル奪取を目指し叡王(えいおう)戦を戦うが、ともに相手は豊島二冠である。
プロ5年目の藤井にとって豊島将之は最大の「キラー」だった。昨年まで藤井は6連敗。今年に入りやっと一矢報いただけ。これを機に勝っていくかとも思ったが、藤井にとって防衛戦である七番勝負の王位戦第一局(6月30日)は驚くような大敗だった。藤井は敗れても大差はまずなかった。
「聡太は豊島さんを倒してこそ本物なんです。浮かれているとは言いませんが、まだまだ彼は修行の身なんですよ。本当は『コマーシャルに出ている場合ではないぞ』と言ってやりたいくらいの気持ちですよ」と文本さん。
いつも取材すると、かつての教え子の成長ぶりを絶賛し目を細めてきた文本氏だが、この日は少し厳しさを見せた。教え子が高校も卒業直前に中退して退路を断ち、覚悟を決めて完全に飛び込んで行った「棋士」という特別な世界。破格の活躍で世間からどれだけもてはやされても心配で心配でたまらないからだ。「そんな簡単な世界ではないはず。並み居る強豪を倒したからといって慢心してはいけない」。厳しい言葉にはそういう温かい文本さんの気持ちが迸(ほとばし)っていた。
この電話取材をした7月4日朝、藤井聡太は沼津市のホテルで記者やカメラマンの前に姿を現し、「昨年の棋聖戦のタイトル戦自体は初めての経験で実感もわかないところもありましたが、今回は防衛戦でタイトルの重みを感じながらの戦いでもあったので、その中で結果を出せたのは大きなことだったのかなと感じています」などと会見していた。そして「今回、防衛することができたんですが、まあ、結果に満足することなく、初心に戻って前を向いていきたい」と神妙な顔で話し、「初心」と大書きした色紙を胸に掲げて報道陣に示したのだ。ここまで上ってなお、「初心」である。
久しぶりの文本さんへの取材中、筆者は「聡太さんに今の言葉を伝えてくださいよ。きっと、もっともっと強くなりますよ」と言っていた。だが伝えるまでもなかった。鋭敏で聡明な若武者には、幼い頃の恩師の危惧が言わずもがなでも十分に伝わっていたからだ。(一部敬称略)
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