1932年のロス五輪、男子100m決勝に残った吉岡隆徳 神経を鋭敏にする訓練とは(小林信也)
1932年8月1日、今から89年前のロサンゼルス五輪。陸上男子100メートルで決勝に進出した日本人選手がいた。「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳(たかよし)だ。
号砲が鳴ると真っ先に飛び出したのは身長165センチの吉岡だった。
「体力がないのですから前半で勝たなければいけない。前半で勝つにはスタートでリードするしかない」
吉岡には明確な戦略があった。練習時間の多くをスタートに充てた。
「最初の3歩で勝とう、3歩で相手を抜く!」
試行錯誤を繰り返すうち、爪先を内側に向け、最初は左足から踏み出し、右、左、ハの字を描くように足を運ぶと爆発的なスタートダッシュが切れると体感した。
「低い姿勢で、身体を前に倒す。その勢いを利用して加速する……」
スタート直後に一歩抜け出す、抜群のロケット・スタート。別名「ハの字スタート」は吉岡の代名詞ともなった。他の選手は容易に真似ができなかった。
吉岡は小さいながらも、足腰の強靭さは人並み外れていた。後に、吉岡のスタートフォームを銅像にする時、モデル役を頼まれた大学生選手の誰ひとり、筋力が追い付かずその姿勢を維持できなかったという。
ロス五輪決勝。60メートルまでの夢のような時間を目撃者たちは熱く語る。序盤は吉岡が身体ふたつ近く抜けていた。60メートル付近で吉岡は間違いなくトップだった。そのまま行けば金メダル! 期待がふくらんだ……。
ところが、中盤からスピードに乗ったライバルたちが一気に吉岡を呑み込んだ。
「ゴーッという風の音が聞こえた」
吉岡は茫然と語っている。
その日、吉岡は第1コースを走った。60メートルが近づくと、後方からゴーッという風の音が聞こえた次の瞬間、右側を5人のライバルが抜き去って行った。
「80メートルを過ぎると、もう風の音は聞こえなかった」
残り20メートル、吉岡はあえぐように走り、混乱と絶望の中でゴールした。
結果は6位。いまも男子100メートルでは日本陸上史上最高の成績。だが、吉岡の失意は大きかった。
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