阪神、急に負け始めて巨人も浮上 タイガースファンの脳裏をよぎる“2008年の悪夢”

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 ゴールデンルーキー・佐藤輝明の活躍もあり、今年の阪神タイガースは一時、2位の読売ジャイアンツに8ゲームもの差をつけて独走していた。これを受けて6月20日には大阪の朝日放送が「#あかん阪神優勝してまう」という特番を放送するなど、関西では優勝ムードが広がっている。

 ところが、この番組の放送後から状況は一変。6月終了時点で読売に3ゲーム差にまで詰め寄られてしまっているのだ。ここで思い出されるのが2008年の悪夢である。今回と同じく阪神は首位を独走していたが、後半戦に読売に追い上げられ、結果、13ゲーム差をひっくり返されてしまったのだ。今回はこの悲劇ともいうべき、08年シーズンの阪神の歴史的大逆転V逸のてん末を振り返ってみたい。

 この年、阪神はいきなり5連勝をマークするなど開幕から絶好調であった。赤星憲広、金本知憲、鳥谷敬(現・千葉ロッテマリーンズ)といった主要選手に加え、FAで広島東洋カープから移籍してきた新井貴浩、そしてトレードでオリックスから加入した平野恵一によって厚みを増した猛虎打線が次々に得点を重ね、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之からなるリリーフ陣の勝利の方程式“JFK”で逃げ切る形が確立。連勝街道を爆進していた。

 投打がかみ合った阪神は3月末の開幕から4月末までに驚異の勝率7割3分1厘をマーク、4月終了時点で19勝7敗と貯金を12も作っていたのである。対する読売は4月終了時点で12勝15敗の借金3で4位に沈んでいた。この両チームのゲーム差はすでに7.5も開いてしまったのだった。

 6月になっても阪神の勢いは止まらず、6月7日にはついに貯金20にまで達する。この辺りから2位の中日が落ちていったこともあり、その差はますます広がっていった。チーム打率は3割0分7厘をマークし、首位を独走する一番の要因となっていた。結果、6月終了時点で阪神は44勝23敗で貯金21、読売は35勝34敗の貯金1で3位だったが、そのゲーム差はさらに開いて10となっていたのだ。

 7月も阪神は破竹の7連勝を記録。6日には両リーグ最速で50勝に到達していた。そして9日には2位で並ぶ中日と読売に、今シーズン最大の13ゲーム差と引き離し、完全に首位独走状態となったのだ。22日には対読売戦で勝利し、両リーグ最速となる優勝マジック46を点灯させることに成功。オールスター前のマジック点灯は史上5チーム目という快挙であった。

 7月28日には前半戦が終了、この時点で阪神は60勝32敗で貯金は28、対する読売は51勝42敗で貯金9。阪神の独走には変わりはなかったが、気になるゲーム差は9に縮まっていた。

 というのも、阪神は2位に13ゲーム差をつけて以降、投打がかみ合わなくなり、この間の勝率は5割を推移していたのだ。それでも、誰もがこのまま優勝に突き進むと思っていたが、ここから読売の猛追が始まるのである。

“五輪”が災いし……

 8月に入ると、各球団は北京五輪野球日本代表に選ばれた選手を派遣する。阪神からは投手の藤川、捕手の矢野輝弘、野手の新井、そしてオーストラリア代表としてウィリアムスが選ばれていた。ところが3日からスタートした後半戦で新井や藤川などを欠いたチームは投打がかみ合わなくなり、いきなり5連敗を喫してしまうのだ。

 さらに追い討ちをかけるような事態が訪れる。北京五輪から帰国した新井の腰椎疲労骨折が発覚したのだ。7月中盤に腰痛のため1度登録抹消となっていたが、その故障が癒えていないなか、五輪に強行出場した影響でさらに悪化してしまった。全治2カ月であった。

 こうして8月の阪神は今シーズン初の月間負け越しを喫する。8月終了時点で阪神は69勝43敗、読売63勝49敗。このとき両チームのゲーム差は6にまで縮まっていた。

 9月の阪神は中継ぎ陣がボロボロの状態で、月間勝率5割と持ちこたえるのがやっと。そしてこの間、読売は破竹の12連勝で一気に差を詰めてきていたのである。21日には阪神との直接対決に勝利し、ついに最大13あったゲーム差を詰めてゲーム差なしの首位に並んだのだった。9月終了時点で阪神は80勝54敗で貯金26、読売は80勝55敗で貯金25。そしてゲーム差はわずか0.5となっていたのである。

 そして、迎えた運命の10月。読売に虎のシッポが捕まりかかっている状況で迎えた3日の東京ヤクルト戦で、痛恨の敗戦を喫してしまう。先発の安藤優也が6回まで被安打3、無失点と好投していたにも関わらず、7回から交代。これが裏目に出て、そのあとの久保田、ウィリアムス、アッチソンが全員炎上する。5-0で勝っていた試合が終わってみれば、5-7での大逆転負けを食らってしまったのである。

 ことここに至って、阪神には最後の勝負に勝つだけの体力はもう残っていなかった。8日、両チームが同率首位で並んだ状態で迎えた東京ドームでの最終決戦。エース・安藤を立てたこの大一番でも阪神は1-3で敗れてしまい、ついに首位陥落。同時に読売に優勝マジック2が点灯したのであった。

 その2日後、阪神が横浜に負け、読売は東京ヤクルトに勝利したため、ここに読売の2年連続32回目のリーグ優勝が成し遂げられた。13ゲーム差を逆転しての優勝はセ・リーグ新記録で、この一連の出来事を読売側では96年の最大11.5ゲーム差をひっくり返し優勝したメークドラマになぞらえて、“メークレジェント”と呼ばれた。

 ちなみに9月3日には、阪神の優勝を確信した日刊スポーツが『Vやねん!タイガース』という雑誌を発売していた。発売時点で両チームのゲーム差は5で、まだまだ予断を許さない状況ではあった。この雑誌は皮肉にも、この年の歴史的大逆転V逸を象徴するものとしていまだに語り継がれているのである。

 開幕から快進撃を続けたことにより、7月には早くもマジックが点灯してしまったことによる“心のスキ”が生じてしまったのかもしれないが、それよりも痛かったのは8月以降の読売との直接対決で2勝8敗と大きく負け越してしまったことだろう。しかもラスト7戦全敗が大きく響き、最後の最後で読売にまくられる原因になってしまった。

 この年は北京五輪があり、各チームの主力選手が離脱することを余儀なくされたが、その影響を最も受けたのが阪神だった。幸いにも、今回は五輪期間中はペナントレースは中断される。ということは、純粋に選手層の厚さを含めたチーム力勝負となる。果たして阪神は、08年の悪夢を払拭して05年以来のリーグ優勝を成し遂げることができるのだろうか。

上杉純也

デイリー新潮取材班編集

2021年7月4日掲載

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