大沢悠里×生島ヒロシ 伝説のラジオマンが明かす「ゆうゆうワイド」30年の秘話

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いきなり猿之助さん

大沢 もともと私はラジオ向き。テレビ番組でカメラを構えられていると、普通のことしか言えなくなっちゃう。

生島 ラジオなら面白いのに、テレビだと「どうしちゃったの?」って言われることはありますよね。朝のラジオに、小野寺五典(いつのり)さんがよく出てくださるんです。

大沢 防衛大臣を務めた?

生島 ええ、元防衛大臣の。NHKなどにも出演してらっしゃいますが、小野寺さん曰く、地元に帰ると“ラジオに出た時が一番面白い”って声を掛けられるとか。

大沢 そうそう、ラジオだと聞いてくれる皆さんとの距離感が短いから。聴取者と話し手が互いに近くに感じる。テレビ収録は記録を取られている感じがするんだけど、ラジオだとマイクが目の前にあってもないのと同じ。すごくラクなんです。どうしてテレビはやらないのかと言われるけれど、番組に出たら手紙が来て、「お前、なんて顔だ、汚ねえ面を出すんじゃねえ」とか苦情が多い(笑)。ラジオは話の中身を聞いて私はこう思うとか、昔を思い出すとか聴取者の気持ちが詰まった深い手紙が来る。それを楽しみにするうち、ラジオは良いなって思うようになりました。

生島 悠里さんの後輩で、私にとってはTBS時代の先輩にあたる久米宏さんが仰っていたのは、テレビだと話せることが限られる。自分のアナウンサー人生は、思い切ったことが言えるラジオで終わりたいと。そしてラジオは本当の意味で知的じゃないとダメ。実力がないと番組は長くできないとも話していました。

大沢 知的かどうかはともかく、他人の書いた原稿ばかり読んでいると、それで終わってしまうよね。私の番組は生放送で、台本を書く放送作家がいなかったから、オープニングから中身まで何を喋るか自分の頭で決めてきた。

生島 僕は悠里さんの名言だと思っているんですが、「面白いだけじゃ飽きちゃうし、ためになるだけじゃつまんない。その絶妙なバランス」。ここですよね。

大沢 一度、歌舞伎俳優の市川猿之助さん、今の猿翁さんが、“テレビの収録が早めに終わっちゃって時間余ったからラジオで喋らせてくれ”って、飛び入りでスタジオに来たんです。

生島 いいですねぇ。

大沢 でも、準備も何もなく、いきなり猿之助さんですよ。普段から歌舞伎を観ていないと、何を聞いていいか分からない。

生島 それから観始めるようになったわけですか。

大沢 いや、歌舞伎は学生時代から興味があったのよ。当時、ラジオで舞台中継というのをやっていて、その中継がやりたくてお金を貯めちゃ歌舞伎座に行った。若いアナウンサーは、寄席で落語を聞いたり、映画を観に行ったりすることが大事。一番やるべきなのは、とにかくいろんな人に会うことでしょうね。ラジオって、働きながら耳を傾けてくれ、無意識に番組に参加している。気になるニュースの話題に頷いたり、面白い話に笑ってくれたりしているわけです。

生島 評論家の故・竹村健一さんがマーシャル・マクルーハンの理論を紹介する中で、「テレビを見ている人は、喋っている人の話の中身より、どんな衣装を着ていたかなど見た目が印象に残る」と言っていました。でも、ラジオは話す内容が勝負ですからね。

大沢 テレビのバラエティー番組とか特にそうだけど、とにかくウケなきゃいかんと。出演者も次の仕事もらうために、面白いこと言わなきゃいかん。5人のゲストがいたら、最も目立つようにしないと次はない。

生島 テレビは瞬間芸を求められますね。

大沢 そればっかりやられると視聴者も飽きてくる。どのチャンネルを回しても、同じ人が出て同じことをやっているから、今や若い人も見なくなってきた。ラジオもテレビが全盛の時代、どん底に落ちたけど、固いファン層に支えられ、ここまで生き残ってきました。

謙虚じゃないと…

生島 ラジオは商店街でよく流れていて、地域のお店やお客さんと共に歩んできた。世間のニュースから健康のことまでタイムリーな話題をラジオで聞けば、私はこう思うけど、あんたはどう?などと、肩肘張らずに話し合える。それがラジオのいいところですよね。

大沢 タクシーでもよく流してくれています。

生島 そうですね。僕も運転手さんに顔を見なくても声で分かると言われます。

大沢 そういうことがあると嬉しいよね。新人アナウンサーでも、テレビニュースを担当すれば、街ですれ違いざまに振り返られる。でも、それは決して尊敬されているからじゃない。チンパンジーが街を歩いても振り返られるんだから。そこを勘違いするなとね。大抵は人気が出たと思ってしまう人が多いけど、この仕事をするなら謙虚じゃないと……。

生島 私は悠里さんに“生島、謙虚を忘れるな”って言われてきました。

大沢 人気の絶頂だと仕事もたくさん入って儲かっちゃうし。どこ行っても「〇〇さん」と声を掛けられれば“裸の王様”になる。

生島 そうですよね。

大沢 ちゃんと長く活動している某女性タレントさんは、技術スタッフにも挨拶を欠かさず、局内で掃除している人にも「ご苦労さまです」と一言かけるほど気を配っていました。気配りに長けた人で思い返せば、昔は番組内で著名人が語るコーナーが幾つかあってね。秋山ちえ子さんとか森山良子さん、小沢昭一さんや永六輔さんなどにご出演いただいていました。それが森山さん以外、全員が鬼籍に入ってしまって……。長い間、番組を支えていただいて感謝、感謝です。

生島 まさに錚々たるメンバーですね。悠里さんの番組の凄さは、運転中に信号待ちで隣とか前の車を見ると、みんなが同じタイミングで笑っている。それは大抵「お色気大賞」のコーナーが流れている時間なんです。この人たちが全員、TBSをつけて「ゆうゆうワイド」を聞いているなんて凄いと思ったことがあります。

最高傑作

大沢 大笑いして目をつぶったら追突しちゃった、なんとかしろって言われても弁償できないけどね。実際にお菓子を作る職人さんがクリームなんか絞ってるとするでしょ。ラジオを聞いていたら、手が滑って失敗しちゃうって言われたことはある。

〈「お色気大賞」とは、毎週金曜日に放送されていた「ゆうゆうワイド」の名物コーナーである。リスナーから寄せられた「隣の美人の下着」「あの最中に息子が」など笑える色っぽい体験談を、大沢アナがさまざまな声色を駆使して読み上げ、寸評を加えていた。森繁久彌や丹波哲郎、田中角栄をはじめ淡谷のり子、浦辺粂子など、実在の人物を模したモノマネ口調が披露されることもあり、周囲からも、「金曜日の大沢さんは人が変わる」などと評判だったという。〉

生島 「お色気大賞」は最高傑作です。ときどき間違って“下ネタ大賞”と言ってしまい、悠里さんに“うるせえ! 下ネタじゃない”って怒られるけど(笑)。あれはどういう発想から始めることになったんですか?

大沢 「お色気大賞」は会議で出るような類の企画じゃなかった。番組でも会議はやっていたけど、企画なんて1人か2人で決めるものですからね。みんなであーだこーだって意見出しても面白くないし、結局、反対の声が大きくなって、ボツになる企画の方が多くなってしまうから。

生島 評論家が多い。

大沢 企画を決めるのは1人か2人いればいい。「お色気大賞」なんかは、もう自然発生的にね。聴取者からの艶っぽい手紙を、お医者さんとかおじいさんの声真似でおかしく読んでいたら、その手の投稿が1週間に100通ぐらい来るようになった。それが1年ぐらい続いて、一つのコーナーにしよう、と。逆に、聴取者の半生を振り返る「女のリポート」では、出会いや別れが綴られた投稿を真面目な声で読んだ。そうすると、女性たちから凄絶な戦争体験など反響のお便りが来るようになりました。

生島 硬軟両方の反応があったわけですね。

大沢 だから番組はね、聞いてくれる人が作ってくれるものだと思っています。

生島 その通りです。

大沢 自然発生的にそれを感じ取って、コーナーとして形にするのが我々の仕事。番組の企画はそこら中に転がっていると思います。

生島 あとはピンッとくるかどうかのアンテナの高さが重要かもしれません。

大沢 飲み屋でお互いにフフッと笑えるような、ちょっと得するネタがちょうどいい。ステイホームでラジオがまた聞かれ始めたから、今こそ力を入れてね。無名でも活躍しているゲストを呼ぶ番組や、良い企画番組も増えてきた。画一的にならないようにして、よりいっそう、ラジオを聞いてる人を増やしていきたいですね。

大沢悠里(おおさわゆうり)
1941年東京生まれ。64年TBSにアナウンサー第9期生として入社後、70年代からラジオに主戦場を移す。91年フリーアナウンサーに転身。現在は毎週土曜午後3時から5時に生放送される「大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版」で変わらぬ活躍を続けている。

生島ヒロシ(いくしまひろし)
1950年宮城県生まれ。76年TBSにアナウンサーとして入社し、ラジオを降り出しに多くの番組に出演。89年に退社、生島企画室を設立する。現在は「生島アカデミー」学長など、幅広く活躍中。

週刊新潮 2021年7月1日号掲載

特別対談「フリーアナウンサー『大沢悠里』×『生島ヒロシ』 伝説のラジオマンが明かす『30年長寿番組』秘話」より

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