不妊治療、原因は自分にあったはずなのに… 不倫相手を妊娠させてしまった夫の“本音”

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「間が悪い」ということが世の中にはあるものだ。どうして今なのかと後で歯噛みしても時は戻らない。井筒雄也さん(42歳・仮名=以下同)は、今、どうしたらいいかわからない状態だという。しきりに「まさかこんなことが起こるなんて」と繰り返す。【亀山早苗/フリーライター】

 地方出身で東京の大学に入学、そのまま東京で就職した。

「みんな顔見知りという小さな町で育って、東京に出てきたときはびっくりしましたね。スクランブル交差点をどうやって渡ったらいいかもわからなかった。同じ高校の友人も何人か東京に出てきましたが、大学を卒業すると帰郷したヤツもいれば、結婚と同時に帰っていったヤツもいます。合う合わないがあるんでしょうけど、僕は東京というところは居心地がいいと思ってる。他人に干渉しないから」

 大学時代の友人たちとは、卒業後も草野球をしたり飲みに行ったりと、いい関係が続いていた。朝まで飲み明かせる女友だちもいた。出世欲はないが仕事も楽しい。何も不満のない生活だったから、50歳までは独身でもいいと思っていた。

「ところが30歳を過ぎると、周りの仲間たちが続々と結婚していくんです。招かれて家に行ってみると、きれいな奥さんがいて、かわいい子どもがいて。独身時代はいつも二股、三股をしていたヤツが、子どもに赤ちゃん言葉で話しかけている。自分自身、最初はこういう生活は嫌だと思っていたのに、あちこちでそういう光景を見せつけられると、だんだんうらやましくなっていったんですよ。人はひとりでは生きていけないよな、なんて思ったりして。夜景がきれいに見えるマンションに住んでいるんですが、その夜景が妙に寂しく見えてきて……」

 36歳の終わり頃、ひとりの女性と知り合った。あるとき女友だちが「一緒に飲もう」とその女性、コズエさんを連れてきたのだ。三人とも同い年だった。コズエさんを見たとき、初対面なのに「どこかで会ったことがあるような気がする」と思った。出身を聞いてみると、彼の実家の隣町だった。

「お互いに懐かしい田舎の町の匂いがしたんでしょうか。でもそういうことがあると急に親近感が増しますよね。ローカルな話題で盛り上がっているのを見て、女友だちは『私、これからデートだから』と先に帰り、ふたりきりになりました。でも故郷の話から今の生活の話まで尽きなくて、最後まで楽しかった」

 それを機会にふたりで会うようになった。彼女と会っていること自体が楽しかったから、先のことなど考えなかった。が、半年ほど経つと、彼女は「私たち、どうする?」と言い始めた。

「このままでいいじゃんと言いかけたんですが、彼女を見ると目に涙をためている。どうしたいの、と聞いたら結婚したい、と。僕は『わがままな独身生活をやめて家庭的な人間になれるとは思えないんだよね』と言ってみました。すると彼女は『それでもいい。あなたと一緒に生きていきたい』って。そこまで言われたらグッときますよ。今までずっと軽いつきあいしかしてこなかったから、愛され方も軽かったんだと気がついた。改めてコズエとの半年ほどの関係を考えてみると、期間が短いわりにはしょっちゅう会っているし濃厚な話もしている。僕にとって今までなかったような関係かもしれないと思いました」

 自分を変えてくれた異性との出会いだったのだと思った雄也さんは、このままだと彼女が去ってしまうかもしれないと危機感を覚え、結婚を申し込んだ。

 交際から1年、38歳になったばかりのふたりは周囲に祝福されて結婚した。

「子どもの問題」が浮上

 結婚はしたものの、雄也さんは子どもについては何も考えていなかった。できればもちろん育てるが、できなければそれでもいいと思っていたという。

「人生で、計画を立てるのが好きじゃないんですよね。いくつで結婚していくつで家を買って……。そうやって計画を立てても、その通りにはいかないのが人生だと思うから。というのも、僕は両親が兼業農家で忙しかったので祖母に育てられたんです。優しくていい祖母だった。学校から帰って祖母とおやつを食べるのが楽しみでした。小学校3年生のとき、祖母が夏休みにふたりで東京へ遊びに行こうと言うんです。祖母の妹が東京にいたので。僕は嬉しくて、5日間の東京旅行で何をしたいか、全部書き出した。祖母はいろいろ調べながら、こことここは同じ日に行けるねとか、こっちは3日目にいこうかとか、毎日お祭りのように騒いでいたんです。だけど夏休み直前になって祖母は急病で入院し、数日後にはこの世にはいなかった。まだ60代前半、今思えば若すぎます。子供心に虚しくて、その夏休みは呆けたようになっていました。二学期になっても学校へ行けず、心配した親がカウンセリングに連れていってくれたこともあります」

 それ以来、計画を立てると悲しいことが起こると彼の中にインプットされてしまったのだという。人はあっけなくいなくなる。誰かを大切に思いすぎると、その人がいなくなったときに立ち直れなくなる。そんな不安も芽生えた。だから「軽く」生きていきたい、全身全霊で人を愛したりしたくない。雄也さんは無意識のうちにそういう思考回路になったのかもしれない。

 それを変えてくれたのがコズエさんだ。ずかずか心に入り込んでくるわけではないが、気づけば「隣にいて当たり前の女性」になっていた。だから彼も結婚を決意したのだ。

「大事な子どもを万が一、失ったら怖い。そんな深層心理があるから、子どもに対しても積極的にはなれなかったのかもしれません。でもコズエは子どもを欲しがっていた。『結婚したら子どもが生まれるのは当然だとは思っていない。でも、私はあなたとの子を育ててみたいの。きっとおもしろい子になる』と彼女は言いました。その一言がうれしかった。“いい子になる”と言われたら内心、反発したかもしれませんが、おもしろい子かあ、それなら一緒に育ててみるかという気になって。単純なんですよね、僕(笑)」

 ところが2年たっても妊娠の気配はなかった。年齢的なこともあり、ふたりで病院に行くことにした。

「彼女には問題なかったんです。問題は僕でした。精子の運動量が少ない、と。ショックでしたね。男としてダメだと烙印を押されたような気持ちになりました。軽く明るく生きてきて、たいしたストレスもなかった人生に暗雲がたちこめたような……。なんだ、オレ、欠陥品だったんだ、という感じ」

 だがコズエさんはめげなかった。妻に促されて、雄也さんも不妊治療に取り組むことにした。自然妊娠は難しいと判断されたため、何度か人工授精を行うことになった。

「精液を病院で提出させられるわけですが、なんだかね、搾乳される牛ってこんな気分なのかなあと思ったり。それ用の個室にいると、妻がいるのにどうしてこんなところでこんなことをしているんだろうと感じたり。それができないときは、朝、家で小瓶に“採精”して、保温のために妻がそれを胸の合間に入れて病院へ急ぐんです」

 結局、人工授精で妊娠はできず、今度は体外受精ということになった。お金もかかるし、お互いの仕事にも時間的な支障が出るかもしれない。

「ちょっと待てよと思いました。オレたち、それほど子どもが必要か、と。コズエは必要か不必要かの問題じゃないと言う。だけどもっと現実的に考えてもいいんじゃないか、自然に生まれてくる子じゃないんだからと僕は思った。不妊治療も時間と経済に余裕がある人はいいけど、そうでない場合、リスクは大きいですよね。不妊治療にお金がかかったあげく子どもを授かっても、育児のために妻が仕事を辞めることになったら、かなり経済的に厳しくなる。生まれてよかった、めでたしではすまないと思うんですよ、子どもは。そこから20年は責任をもたなければ。本当に僕たちにそれができるのかと問い直してみたんです」

 コズエさんは仕事を辞める気はないし、育てていけると言い張った。なにより子どもがもてない人生を容認できない、と。その感覚は雄也さんには理解できなかった。

「ないものを数えて過ごすと気持ちが暗くなる。祖母が死んだときのことを思い出しました。あの年の二学期は不登校が続いて、カウンセリングもあまり効果がなかった。祖母がいないことしか考えられなかったから。結局、僕が立ち直れたのは、時間でした。毎日、いなくなった祖母に話しかけて時間が過ぎるのを待った。それしか術はなかったんです。時間薬ってあるんですよね……。だから子どもがいないことに目を向けるより、違う人生をふたりで歩んでもいいんじゃないか。僕はそう思っていました。でも不妊の原因は僕にありますから、さっさと諦めようよとは言いづらかった」

 その後、体外受精を1回行ったが妊娠はしなかった。少し間を置いてもう一度と思いながら、コロナ禍もあって中断している。

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