「コロナ禍の今こそ芸術が必要」 堀 義貴(ホリプロ社長)×松尾 潔(音楽プロデューサー)

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 コロナ禍で興行が中止や延期に追い込まれる一方、韓国に大きく水をあけられた日本のエンタメ業界。今年2月に初の長編小説『永遠の仮眠』(新潮社刊)を上梓した音楽プロデューサーの松尾潔氏と、ホリプロ・堀義貴社長が、その課題と変革への処方箋を語り尽くす。

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松尾 堀さんはホリプロ創設者のジュニアにして、現在は社長職に就かれています。しかも、日本音楽事業者協会(音事協)の会長も務められている(※6月8日に任期満了で退任。対談時は会長職)。子どもの頃から、ご自宅に和田アキ子さんが遊びに来るようなご家庭だったわけですよね。

 なぜか来るんです(笑)。

松尾 そういった環境で育ち、歴史ある芸能プロダクションの看板を背負う堀さんからすると、コロナ禍のエンターテインメントを巡る状況は看過できない、と。

 昨年2月26日に、当時の安倍総理が大型イベントの自粛要請を出してから、ライブエンターテインメントに関わる企業は完全に営業を止めました。そんな産業は日本では他にありません。僕は音事協の会長という立場で役所にも行くし、政治家にも会います。ただ、何度話しても、我々が“生きるか死ぬか”の瀬戸際にあることを理解してくれない。自粛要請を順守してきたわけですから、「ありがとう」と述べてほしいとも訴えましたが、今日までそんな言葉はもらえていません。

松尾 欧米と比べても、日本のエンタメ業界はかなり低い扱いを受けている印象がありますね。

 フランスやアメリカでは、政府がアーティストを保護するというメッセージを明確に打ち出しています。しかし、日本では数少ない支援策も業界への理解に欠けている。たとえば、コロナ禍で公演を中止・延期した事業者を対象とする「J-LODlive」という補助金は、中止に追い込まれた作品の損失補償ではなく、新作に対する補助になっている上に映像を一部配信することが条件。でも、ミュージカルなど、権利関係が複雑な外国作品は映像化のハードルが極めて高いんですね。そうした基本的な事情について説明を尽くしても、すぐに役所の担当者は異動してしまう。

松尾 なるほど……。

 しかも、エンターテインメントの灯を絶やさぬよう奔走しても、ツイッタ―上では〈お前らみたいな芸能プロダクションはなくなればいいんだ〉と叩かれる。さすがに心が折れそうになりました。僕がこれだけ腹を立てたり、意気消沈しているのに、声を上げる人は少なかった気がします。

松尾 エンタメは数値に換算できる産業とみなされていないという体感は私にもあります。“エッセンシャル”かどうかの議論になれば、エンタメは“不要不急”とされ、弾かれてしまうから。エンタメをはじめとする文化産業に替えが利かない価値があることを、身をもって知る政治家が少ないということでしょうか。

 結局、忘れてしまうんですよ。東日本大震災の際は、演歌歌手やアイドルが被災地を回っています。政治家からも「ぜひ来てほしい」と声をかけられ、地元の方にも感謝されるので、彼らは手弁当で駆けつけた。それなのに、こちらが苦しくなると手を差し伸べてくれない。

松尾 そもそも、エンターテイナーに正当な対価を払うという文化が日本には根付いていません。

 つまり、コンテンツというものを重視していない。コロナ禍のエンタメ業界で若干の救いになったのは、Netflixなどの配信サービスにお金を払う文化が根付いたことでしょう。ただ、その最大のキラーコンテンツが「愛の不時着」というのは、日本の業界人からするとみっともない話。コロナ禍で明らかとなったのは、「鬼滅の刃」以外は、音楽も、映画も、デジタルライブの環境も、圧倒的に韓国に負けているという現実だけだと感じています。

成熟とガラパゴス化

松尾 先ごろ上梓した私の小説『永遠の仮眠』は、東日本大震災が起きた2011年前後が舞台です。当時、すでに配信ビジネスは広がっていましたが、ここまで隆盛を極めてはいなかった。ただ、いまは音楽業界でもストリーミングサービスが普及して、日本と世界、メジャーとマイナーの垣根も失われています。小説で扱ったCDセールスの話なんて、若者からすればもはや昔話でしょうね。

 ホリプロ社内でもいまだに「オリコン1位」がステイタスという雰囲気はあります。ただ、配信で1億回再生された楽曲と、オリコンで2万枚売れた楽曲を比べて、後者の方が“売れている”というのは無理があります。それは映像業界も同じです。1970年代の視聴率20%と、現在の10%を単純に比べて「数字が落ちた」と反応するのはナンセンス。配信やデータ放送でもドラマが観られているのに、家族全員がお茶の間でテレビを観ることが前提の視聴率にこだわり続けている。

松尾 金融ビジネスを展開するのが銀行だけではないように、音楽ビジネスをレコード会社だけが主導する時代でもなくなっていますよね。作り手の意識にも変化が必要かもしれません。

 国の経済力の減退はエンターテインメントも直撃しています。長らく日本をアジアで最大のマーケットと捉えて、公演やプロモーションをする欧米のエンターテイナーが多かったですが、今では中国でのみ展開する例も増えました。音楽の話でいえば、90年代に“渋谷系”が登場し、かつては洋楽に求めていたようなカッコよさを、邦楽だけしか聴かなくても摂取できる状況がある程度整った。いまのJ-POPシーンでは、洋楽の知識が皆無でも卑屈になることなく、日本のアーティストだけをルーツに掲げる若い世代も珍しくないですよね。日本の音楽シーンの成熟とガラパゴス化は直結している。視座によってポジティブにもネガティブにも見えますが。

 日本人にとっての音楽産業は99・9%が“地産地消”で、アメリカとは音楽プロデューサーの在り方も違いますよね。アメリカではプロデューサーが自分でレーベルを運営する例も多く、予算を配分し、最もお客さんのニーズに合った作品を発表する。一方、日本では、松尾さんの著書にもある通り、ひとつの楽曲にレコード会社、プロダクション、テレビ局の意向まで働いて、プロデューサーは完全な下請け業者。プロデューサーの考えは二の次で、中間業者を納得させないとエンドユーザーに届かない。

 僕には、『永遠の仮眠』の主人公である音楽プロデューサー・光安悟の葛藤がよく分かります。悟が最高の曲を作ったと感じても、テレビ局プロデューサーの多田羅俊介はまるで聴く気がない。「主題歌なんてなくていいんですよ」と言われた悟の喪失感は痛いほど理解できました。

松尾 分かって頂けましたか! 僕としては、コロナ禍はシステムも含めてエンタメの意義を改めて考えるタイミングだと思うんです。どれほど社会的地位が高くて、コンプレックスの欠片もなさそうな人でも、一度は心が折れる瞬間を経験している。そういう時に寄り添えるのが音楽であり、お芝居であり、映画であり、小説であって、まさに芸術の効用だ、と。ただ、「そんなものは信じない」と言って憚らない成功者もいる。たしかに水やパンを口にせずに成長した人はいませんが、芸術に触れずとも大金は得られるし、それを恥ずかしいとも思わない人は多いものです。そういうスタンス、価値観を変えていきたいと考えています。ちょっと青臭いですけど。

 いえ、エンターテインメントというものは青臭いものですよ。

松尾 ぼくの周りにいる、いまでは立派に音楽を生業にしている関係者も、成り行きでこの仕事を始めた人は多いですから(笑)。どこかのタイミングでハネた、成功したと、おめでたく勘違いしてここまで来た人たちがほとんどかも。

 夢を追いかけてベンチャー企業を経営しているようなものですからね。若い人の夢を聞いていると本当にうらやましい。いまの僕には、守らなければならないもの、変われないものが多すぎます。何より、会社を潰さないことが最大の仕事なので(笑)。

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