「新幹線運転士、腹痛でトイレに」から考える 鉄道車両は何人で運転しているのか
姿を消した検査掛の乗務
運転士の人数が「ひかり」と「こだま」とでは異なるうえ、「こだま」には他の列車にはいない検査掛が乗務となると効率が悪く、列車に遅れや運休が生じたときも変更が大変だ。1986(昭和61)年11月1日から「こだま」の運転士は2人に増え、1人は検査を担当することとなって検査掛の乗務は姿を消す。
「ひかり」「こだま」とも運転士2人という体制で国鉄の分割民営化を迎え、JR東海に引き継がれる。1991(平成3)年3月16日になって少々変更され、運転士の人数は2人で同じながら、1人は検査ではなく車掌業務を担当することとなった。
技術の進歩で車両の故障が少なくなり、検査業務がほとんどなくなったからだという。2人の運転士が交代する場所は、新大阪駅方面の列車は豊橋駅、東京駅方面の列車は浜松駅と定められた。
長らく続いた運転士2人という体制も1996(平成8)年3月15日限りで打ち切られる。翌3月16日からは「のぞみ」「ひかり」「こだま」とも運転士は1人しか乗り組まないこととなったからだ。
運転士の数を減らした背景には、列車の速度が上がって到達時間が短縮された結果、運転操作を担当する時間が短くなったことがまず挙げられる。それから、このときに車掌の人数が変更され、それまでは「のぞみ」「ひかり」「こだま」とも3人で、うち1人は運転士と兼任であったのところ、「こだま」だけ東京-名古屋間は3人、名古屋-新大阪間は2人となったので、運転士を兼任する車掌がいると勤務シフトを組みづらくなったかららしい。
かといって運転士は車掌の業務を行わなくなったのかというとそうではなく、車掌として乗り組むときには車掌専任と決められたのである。という次第で、以来東海道新幹線の列車には車両の運転操作ができる乗務員が複数乗り組んでいることもあるが、すべての列車ではないという体制となったのだ。
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