「新幹線運転士、腹痛でトイレに」から考える 鉄道車両は何人で運転しているのか

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運転士が2人乗り組んでいたほうが

 乱暴な言い方ながら、把握すべき計器類のなかで常に見ておく必要があるのは速度計だけである。あとはブレーキ用の圧縮空気の圧力を示す圧力計だとか、架線を流れる電気の電圧を示す電圧計、パンタグラフとモーターとの間の電気回路を流れる電流値を示す電流計なども見ておく必要はあるが、出発前だとか加速またはブレーキに取りかかる前に確認しておけば大丈夫だ。

 鉄道でどうしても2人の運転士が乗っていなければならない車両が、かつては多数存在した。蒸気機関車である。運転操作を行う機関士1人に加え、石炭や水を蒸気機関車のボイラーに供給する機関助士1人がいないと動かすことができなかったからだ。山岳区間など機関助士の負担が大きい場所ではさらにもう1人、2人の機関助士が乗り組んだ例もあったという。

 新幹線の列車は走行距離が長いから、運転士が2人乗り組んでいたほうがよいのではという意見もあるだろう。実は運転士の勤務体系は距離ではなく時間で区切られていて、1回の運転業務はだいたい3時間以内に終わる。

 いま挙げた数値を東海道新幹線に当てはめてみよう。JR東海は運転士が交代する駅を公表していないので何とも言えないが、筆者が見たところ、東京駅と新大阪駅とを2時間55分程度で結ぶ「ひかり」が一度に運転する最も長い時間に該当するようだ。「ひかり」よりも東京-新大阪間を結ぶ時間がさらに長く約4時間を要する「こだま」は名古屋駅で運転士が代わっていると思われる。

 一度に3時間という運転時間は確かに短くはない。JR在来線を見渡すと、JR貨物の貨物列車にはさらに長い運転時間が存在する。山陽線の広島貨物ターミナル駅(広島県広島市南区)と幡生(はたぶ)操車場(山口県下関市)との間では、運転士は交代なしで1人で運転しており、運転に要する時間は4時間前後で、途中の新南陽駅(山口県周南市)に停車して貨物の積み卸しを行ったり、旅客列車の待避待ちが多い貨物列車のなかには5時間前後だったりというケースもあるのだ。

救援に向かうのはなかなか難しい

 そうは言っても、運転士が2人乗り組んでいれば都合がよい場合も多い。今回のトラブルのように運転士が急病というケースのほか、車両が故障したときだ。新幹線は駅と駅との間の距離が平均して20km以上と長いので、救援に向かうのはなかなか難しい。

 故障の程度にもよるが、もう1人乗り組んだ運転士には応急処置を担当してもらうのだ。もっとも、もしもの故障時の対応は、車両基地で車両の検査や修理に日々従事している担当者に乗ってもらうほうがさらに都合がよい。

 今回のトラブルが起きた東海道新幹線は1964(昭和39)年10月1日に開業した。これまで1本の列車に何人の運転士が乗り組んでいたのか、歴史を振り返ってみよう。

 開業当初の運転士の数は、停車駅が名古屋、京都と少ない「ひかり」が2人、各駅停車の「こだま」が1人であった。より高速で走る「ひかり」は車両が故障する懸念が高いから運転士が2人なのかと思いきや、実は2人の運転士とも車両に故障が発生したときに応急処置を取る必要はない。

 国鉄は検査掛(けんさがかり)と呼ばれる専門の職員を1人乗り組ませ、故障に備えていたからだ。なお、運転士が1人の「こだま」は現代の体制を先取りしていたのかと思いきや、やはり検査掛が1人乗り組んでいた。

 東海道新幹線が開業して3年目を迎えた1967(昭和42)年6月9日、さまざまな経験を積んできたことなどから、「ひかり」の乗務体制が変更される。運転士は2人のままだが、検査掛の乗り組みは中止となり、運転士2人のうち1人は検査掛が担当していた業務を担うこととなった。なお、運転操作と検査業務とでは内容や体力の消耗の度合いが異なりすぎて不公平なので、列車が走行中に業務を交代してもよいと決められている。国鉄時代に東海道新幹線の列車を運転したことのある人に話を聞くと、東京-新大阪間のだいたい中間地点であり、場所がわかりやすい浜名湖のあたりで交代していたという。

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