「デバイス」から「ソリューション」の会社へ――佐藤慎次郎(テルモ株式会社代表取締役社長CEO)【佐藤優の頂上対決】
今秋、創業100年を迎えるテルモ。体温計の国産化のために生まれた小さな会社は、今やグループ従業員2万6千人、その8割を外国人が占めるグローバル企業に成長した。米国勢がひしめく医療機器業界にあって、さらなる展開には何が必要か。テルモは医療機器の会社から脱皮を図ろうとしていた。
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佐藤優 テルモは今年9月に創立100年を迎えられますね。
佐藤慎次郎社長 はい。弊社は1921年に、第1次世界大戦で輸入が途絶えた体温計を国産化するため設立されました。発起人の医師たちの一人には北里柴三郎博士がいます。
佐藤 猛威を振るったスペイン風邪がようやく終息した頃でもあります。今回のコロナ禍でも、マスクとともに体温計の重要性が改めてクローズアップされ、一時は品薄状態でした。
佐藤(慎) そうですね。ただ、いまはもう体温計の売り上げは全体の1%未満です。創業後の40年間は体温計の会社でしたが、60年代からディスポーザブル(単回使用)の血液バッグや注射器などを手掛けるようになり、経営の多角化を図ってきました。
佐藤 いまはカテーテルが有名ですね。
佐藤(慎) カテーテル治療分野には80年代に進出し、現在では世界中で弊社の製品が使われるようになりました。ちょうど医療の低侵襲化の流れがあり、体にメスを入れなくてすむカテーテル治療は、それにうまくはまった形になります。
佐藤 しかもそれを進化させてきた。昔は太腿の付け根の血管からカテーテルを入れていましたが、手首から挿入する方法に変わりました。
佐藤(慎) 太腿から入れると体への負担が大きいですし、止血に時間が掛かるなど、入院が必要になります。そこで細い血管にも挿入しやすいカテーテルを開発し、また治療後に手首に巻いて止血するバンドも作って、90年代の半ばに手首からの治療法を確立しました。これによって日帰り手術も可能になりました。
佐藤 素晴らしい技術ですね。
佐藤(慎) 十数年前、アメリカで手首からのアプローチは3%ほどでした。それがいまは50%近くになっています。医療現場が様変わりしたと言っていい。しかもこの治療法によって、医療費も抑制できます。私どもの機器と日本の先生方の手技を組み合わせることで医療を変えていくことができたと思っています。
佐藤 このカテーテル治療だけでなく、いま医療現場は大きく変わりつつありますね。
佐藤(慎) 21世紀に入って、デジタルのさまざまな新しいテクノロジーが出てきました。その一方で世界的に医療費を抑制しようという動きもあります。医療をもっと効率的にコントロールしていかなければならない時代になってきたのです。その中で私どもには、いままでにないソリューション(解決)が求められていると思います。
佐藤 佐藤社長は、カテーテル治療などに用いる先端医療機器は10年程度で陳腐化してしまうとおっしゃったことがあります。こうした変化の中で、常に新しい技術を開発して先頭を走っていくのは、たいへんなプレッシャーが掛かりますね。
佐藤(慎) イノベーションにはある程度、会社の規模があったほうが有利で、いまは大きな企業がますます強くなっていくという現実があります。医療機器の大手はほとんどがアメリカの会社です。彼らはうまくライフサイクルマネジメントを考えていて、定期的にイノベーションを起こし、医療現場を様変わりさせてきました。相手より一歩先に製品を改良していくことが競争戦略の一つになっているのです。そうした企業間競争が短期化し、また医療の進化のスピードも早くなっていますから、それらについていけなければ、生き残れないと考えています。
佐藤 テルモは現在、世界でどのくらいの位置にあるのですか。
佐藤(慎) 会社の規模で言うと、売上高が6千億円ほど、時価総額は3兆円くらいですが、それでも世界のトップテンには入れません。いま11位か12位くらいです。医療機器産業の上位はアメリカ系の企業が独占しています。
佐藤 ヨーロッパ勢が入ってくる製薬業界とは違うのですね。
佐藤(慎) アメリカの医療機器メーカーは、80年代、90年代にどんどんM&A(合併・買収)を行い、スピード感を持って成長してきました。アメリカ政府も産業として医療機器を育成しようと、政策面でも後押ししてきた。それでアメリカのメーカーは他国の企業より圧倒的に強くなったのです。
佐藤 テルモもM&Aを積極的に行っています。
佐藤(慎) やはりそうした世界規模の会社に追いつくには、自前の力だけでは難しい。医療機器は、分散性や非連続性が強いという特徴があり、同じ医療機器でも診察科が変わると必要な技術やビジネスモデルが変わってきます。だからすべて自社で一から研究して開発していたのでは間に合わない。M&Aを多用することが成長の要件になってきます。
佐藤 本格的にM&Aに乗り出したのはいつ頃からですか。
佐藤(慎) 2000年頃です。人工心肺の事業、人工血管や脳血管内治療デバイスの製造販売会社、血液・細胞テクノロジーの大手企業などを買収してきました。一つ一つ自分たちの経験やポートフォリオに照らして、企業を選び、その結果、グローバル化が進みました。そして創業100年のいま、ようやく自分たちがやりたいことを進めていける環境が整ったと思っています。
デバイスを超えて
佐藤 では、そこからどう会社を成長させていきますか。
佐藤(慎) これまでは医療の現場から、こういう装置を作ってほしいという要望があるものを作ってきました。それが予防医療や慢性疾患治療になると、集めたデータから次にどういうことが発生し、それにどう対処していくかという長期的な時間軸での治療が必要になってきます。求められる医療機器も、ただ手術の時にデバイス(機器)として役立つだけでなく、付随するデータを扱い、解析する力が期待されます。
佐藤 ソフト面も充実させていかなければならない。
佐藤(慎) 例えば、私どもが携わっている糖尿病領域では、5年、10年、生涯といった長い時間軸で考えなければならない。そのスパンの中で、患者さんに寄り添いながらデータマネジメントを行い、よりよいQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を提供していくような仕組みを作ることが必要です。つまりピンポイントの医療でなく、患者さんのライフサイクルや病状に合わせてトータルで管理していく。だから会社としても、「デバイス」から「ソリューション」の会社に変わっていかねばならない。
佐藤 医療機器の会社という位置づけではなくなる。
佐藤(慎) はい。また、病院との新しいビジネスもあります。これまでも医療現場の安全性や効率性を考えてきましたが、今回のような感染症流行時の現場では、より効果的な感染対策や効率的なシステムを作ることが、病院だけでは難しいとわかりました。だから病院の組織改革をするとか、病院内のオペレーションの高度化を図るような仕事は、私どもがヘルスケアのプロバイダーとして、一緒に取り組んでいくのがいいと考えています。
佐藤 コロナ禍で露呈した一つは、病院の経営基盤はこれほど脆弱なものなのか、ということでした。全国の病院の3分の2が赤字転落したという報道もありました。あれだけ日本のエリートが集まっているのに、マネジメントが非常にお粗末です。
佐藤(慎) 医療現場が各科に分散されて意思決定のシステムが整合的にできていない状態だと、優秀な方がいらしても、全体をうまくマネジメントするのは難しいと思います。私どもがその部分をお手伝いできれば、と思っています。
佐藤 つまり病院のコンサルティングですね。病院は閉鎖体系になっていますから、外からやらないと改革は難しい。
佐藤(慎) 病院のグループもどんどん大きくなっていますし、デジタル化に伴って、医療機関だけでなく国や地方の行政機関と一体化したシステムを作っていく必要もある。これからは医療も開かれたシステムに変わって行かざるをえないでしょう。だから私どもも、これまでの、医療現場に製品を届ける業者から、もっと広い領域で一緒に活動するプレーヤーとなり、人をつなげてネットワークを作り、解決策を導き出すような存在になっていきたいですね。
佐藤 コロナ治療では、「最後の砦」と言われる体外式膜型人工肺ECMOを扱える人が病院にあまりいないという問題が発覚しました。ECMOはテルモも販売している製品ですね。
佐藤(慎) 医療機器の特性は、医師により適正に使用されて初めて機能を発揮するため、トレーニングの提供が重要です。しかも使用は長期にわたりますから、メンテナンスも大切です。そこで機器設計とともにそうしたプラットフォームを作ることが私どもの仕事です。特にECMOは人手が必要な装置で、トレーニングをするニーズがあります。そうした医療従事者へのトレーニング・プログラムには早くから取り組んでいますが、病院とともに、こうした事態にも素早く対応できるようにしていかなくてはならないですね。
佐藤 医療機器は年々高度化していますから、取り扱いがどんどん難しくなっている。
佐藤(慎) はい。機器の高度化はさまざまな分野で進んでいます。その点からも、医療機器メーカーの位置づけが変わってきました。
佐藤 それはどういうことですか。
佐藤(慎) 薬の世界では新しくバイオ医薬品が出てきていますね。昔の薬は低分子で飲み薬にできますから、患者さんに処方してしまえば、それでよかった。でも生物から抽出される高分子のバイオ医薬品は、注射という形をとる必要があります。つまり注射薬です。しかも高額で取り扱いが難しいものになってくると、普通のシリンジ(注射器の筒)が使えない場合がある。そこでカスタマイズされた特別な容器や投与方法を開発するようになっています。また保管条件から、デリバリーのシステムも工夫しなくてはいけないものがある。
佐藤 コロナのワクチンも、ファイザー社のものはマイナス70度以下で保管せねばならず、超低温冷凍庫が必要でした。
佐藤(慎) 保管や輸送のシステムまでカスタマイズして初めて薬効が出る薬がたくさん生まれています。そうなると、それらを用意する医療機器メーカーも下請け的なBtoB(企業間取引)ではなくて、共同開発のパートナーにならざるを得ない。
佐藤 医薬品と医療機器が融合していくのですね。
佐藤(慎) 私どもが医薬品の会社からパートナーシップを要望される時代になってきた。その意味ではここに大きなビジネスチャンスが広がっていると思います。
佐藤 いつ頃からそうした動きが出てきたのですか。
佐藤(慎) ここ10年ほどです。バイオ医薬品については、最初は容器をガラスからプラスチックにするなど安全性の価値を製薬会社に訴求してきました。ところが進めていくうちに、カスタマイゼーションすることでもっと別の価値が生み出せるのではないか、と先方から提案されました。新しい製薬業界の動きは、私どもが培ってきた注射針やシリンジ、あるいはその素材研究の蓄積やノウハウに直結させることができます。
佐藤 技術的蓄積はすごいものがあるでしょうね。世界一細くて痛みの少ないインシュリン用注射針は、テルモ製です。
佐藤(慎) そうした患者さんのメリットとか医療現場での使いやすさを追究してきたことが、価値を生んだと言えます。
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