「武井壮」が競技歴2年半で日本一になれた理由 幼少期に目覚めた「人間の体」への探求心(小林信也)
コップとバット
次の目覚めは、小学校5年の時。野球の試合がきっかけだった。
「チャンスで打席が回ってきたのに、下級生の球を空振り三振した。それがすごく心に残った」
運動神経がいいというプライドを傷つけられた。
(なぜ空振りするのだろう)
理由がわからなかった。
「コップの水を飲むのに、間違えて水を顔にかけたり、コップを掴めないことはないのに、なぜ野球ではバットにボールが当たらない失敗が起きるんだろう?」
この疑問をまた大学生にぶつけた。
「野球は相手があることだから。一流の打者でも3割しか打てない。打てたり打てなかったりするんだよ」
今度は納得のいく答えが得られなかった。
「水を飲む練習なんてしたことがない。でも失敗しない。なぜなんだ?」
その謎が解けなければ、いくら反復練習を重ねても失敗の可能性が残る。何が足りないのか? 自問自答の末に答えを見つけた。
「父親がVHSのビデオカメラを買ってきて、野球の練習を映してくれた。それを見て気づいたのです」
好きな打者のフォームを真似して打っていたが、映像で見ると全然違う。
「頭の中で思ったことが実際にはできていない。失敗の理由はこれだと思った」
自分の動きを鏡に映して確認した。意識と行動の差は明らかだった。
「目をつぶって両手を真横に広げる。真横のつもりでも、鏡に映すと少し高かったり低かったり。このズレが失敗の原因に違いない」
両親の離婚が原因で、中学時代から兄とふたり暮らし。経済的に余裕がなかった武井は部活をあきらめ、高校時代はこの感覚と技能を磨こうと決めた。
神戸学院大学に入ってまもなく、武井は3度目の目覚めに出会う。新入生対象のスポーツテストで抜群の成績をあげ、注目を浴びた。100メートルで中学全国2位の実績をもつ同級生がその能力に驚き、武井を陸上部に誘った。本当はプロ野球選手を目指していたが、それをきっかけに武井は陸上競技を始めた。やがて十種競技に転向し、2年半で頂点に立った。その後も挑戦と漂流を繰り返しながら、武井は「百獣の王」という新たな分野を拓いた。その底流には常に、少年時代から培ったこの感覚がある、という。
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