「武井壮」が競技歴2年半で日本一になれた理由 幼少期に目覚めた「人間の体」への探求心(小林信也)

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 武井壮は1997年、第81回日本陸上選手権の十種競技で、それまで7連覇していた“絶対王者”金子宗弘を破って日本一に輝いた。記録は7606点。十種競技を始めてわずか2年半、24歳での快挙だった。

 100メートルの自己記録は10秒54。武井はスピード系の種目が得意だった。

「王者の金子さんは投擲が得意でした。その影響で当時はパワー系の選手が多かった。僕はそこが盲点だと思い、ほとんど投擲の練習をしないで、高得点の取りやすいスピード系の種目に力を入れたんです」

 十種競技は初日に100メートル、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400メートル、2日目に110メートルハードル、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500メートルを行い、合計点で順位を競う。

 日本一になった時、1500メートルを残して武井は4位だった。1位に70点差。時間にすれば10秒の差。だが武井には勝算があった。

「1500のレース前、“今日は全然疲れてないなあ”とか、“最初から飛ばして行くぞ”とか、他の選手にプレッシャーを与える言葉をつぶやいていました」

 ピストルが鳴ると武井は威勢よく飛び出した。みるみる差が開く。金子ら他の選手は武井の勢いに圧倒され、戦意を喪失した。武井は4分28秒89。上位3選手に40秒以上の大差をつけて逆転優勝を飾った。

疲れるって何なの?

 武井が“人間の身体の不思議”に目覚めたのは、小学校3年の時だ。

「運動会で負けるのが嫌で、学校の行き帰りに走り始めました。走り出して10秒くらい経つと苦しくなって、止まりたくなる。走ることに恐怖感も出てきた。この矛盾が理解できなかった。さっきまでのやる気はどこに行ったのか? 頭では速く走りたいのに、身体は止まる……」

 武井は、同じマンションに体育大に通う大学生がいるのを思い出し、訪ねた。

「やる気はあるのに、疲れるとやる気もなくなる。どうして? 理由がわからない。疲れるって何なの?」

「そんなことを考えるなんてすごい子どもだね」

 大学生は感心して、使い終わった大学の教科書を武井に渡してくれた。

「ここを読めば、理由がわかるよ」。付箋をつけてくれたのは、心肺機能、血液の機能、筋肉の作用などを解説するページだった。

「鼻と口をつまんで息を止めると苦しくなるでしょ。運動をすると、それと同じことが身体の中で起きるんだ。筋肉を動かすとき酸素をいっぱい使って足りなくなる、だから苦しくなって、やめたくなるんだよ」

 大学生の言葉に心が躍り、新たな関心が湧いた。

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