東証1部メーカー「天馬」創業者一族間で「血と骨」の争い 発端はベトナムでの贈収賄事件
賄賂の事後承諾
家庭用収納ケース「Fits」で知られる「天馬」は1949年、朝鮮半島出身の4兄弟で創業。工業製品や家庭用製品といった多岐にわたる事業展開で、売上高850億円、借入金ゼロの優良企業へと成長した。目下、その創業者一族で骨肉の争いが起こっている。
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きっかけは、ベトナムにおける「贈収賄事件」。2019年8月22日から28日にかけて、天馬の完全子会社「ベトナム天馬」は税務局の調査を受け、法人税の未納分など8900万円相当を追徴課税されることになった。
ここで、調査チームのリーダーが、追徴額減額のための賄賂1500万円を要求してくる。本社と相談の末、支払うことに決めた賄賂が功を奏し、追徴税額は265万円にまで激減した。
だが後日、支払い決定を下した本社の細越勉経営企画部長が、一人、詰め腹を切らされる格好となる。細越部長は、ベトナムでの賄賂の前例があるため藤野兼人社長には事後承諾を得ればいいと考えたのだが、藤野社長は承諾を拒否。以降、事態は内紛へと展開したのだ。
老兵は消えゆくのみ
4兄弟で創業した天馬は、トップの座には最初に長男が就き、次男、四男と続いた。そのうち存命なのは、20年4月まで名誉会長を務めた四男の司治(つかさおさむ)氏である。天馬の執行役員によると、
「切羽詰まった細越さんは、名誉会長の息子である司久(ひさし)専務に窮状を訴えました。専務から報告を受けた名誉会長が、“部下一人に責任を押し付けるつもりか!?”と金田保一会長を一喝した。金田会長は四兄弟の次男の息子。つまり、名誉会長の甥に当たります」
この一件や、藤野社長の経営者としての資質に疑問を持った司氏が、金田会長に引導を渡すよう進言したものの、金田会長が拒んだ件。それらが重なり、“司派”と“金田派”の間に不穏な空気が生まれた。
結果、司治氏は名誉会長の職から解任される。不当な経営介入が理由だった。昨年6月の株主総会。金田会長の息子である金田宏常務を社長に据える案は見送られたものの、司氏は外され、新経営陣は金田派で占められる結果となった。
「マッカーサーは、“老兵は死なず、ただ消えゆくのみ”との言葉を残しましたが」と、司治氏。「大株主である私の影響力を排除し、金田親子で院政を敷こうとしている。何としても、金田親子の個人商店化を阻止するつもりです」
天馬では、創業者一族の争いを収める収納ケースは製造できそうにない。
「週刊新潮」2020年7月9日号「MONEY」欄の有料版では、贈収賄事件の経緯に加え司派と金田派の争いを詳報する。