「いとみち」主演女優・駒井蓮が綴る撮影秘話 津軽三味線との“喧嘩”で出会った故郷・青森の魂
津軽弁を話す映画に出ることが夢だった
津軽で暮らす内気な16歳いとの青春を描いた映画「いとみち」が6月25日に全国公開される。同じ青森県出身で「津軽弁を話す映画に出ることが夢だった」という主演女優・駒井蓮が綴る、撮影の苦労と感動、監督の言葉、そして故郷への想いとは――。
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小説『いとみち』(新潮社刊)に出会ったのは、小学校高学年の頃です。青森県津軽地方という私の地元を舞台にした作品のため、図書室の目立つ所に置かれ、紹介されていました。私は、「自分の地元が小説に登場するなんてことがあるんだ!」と嬉しくなり、わくわくしながら手に取りました。そこには、小柄な主人公いとが、新しい出会いの中で奮闘しながら一歩一歩しっかりと進んで行く姿があり、胸がじーんとしたのを覚えています。同じ津軽で生きている少女が本の中で熱く生きている、それが嬉しく、憧れました。
出演依頼を頂いた時は、本当に驚きました。何年もの時を経て、また『いとみち』と再会できたことが嬉しかったです。けれど、主人公は小柄な設定のため、身長が高い私でいいのかなという心配も、正直なところありました。しかし、横浜監督の脚本を読んで、そんな不安も一瞬で消えました。また、プロデューサー松村さんの青森への思いや横浜監督の言葉が紡ぎ出す世界観と出会って、小学生の頃に『いとみち』と出会った時の高揚感が私の胸に帰ってきました。そして、生まれ故郷青森で津軽弁を話す映画に出ることが、私の夢の一つでもあったので、もしそんなことができたならば、何らかの芝居の新しい扉が開けるという予感もありました。ただ、横浜監督が描き出す「いと」という女の子を理解することは想像以上に難しく、新しい扉を開くには時間がかかったのです。
定義することが難しいキャラクター
「自分が何者なのか、決める必要ないよね」。いとの人物像について話し合う中で、監督がそう仰ったのを覚えています。私は「自分はどういう人間なのか」頻繁に考えてしまう性格のため、監督の言葉は鋭く胸に刺さり、同時に心を軽くさせました。また、それが映画「いとみち」に取り組む指針にもなったのです。というのも、相馬いとは、「こういう人」というように定義することの難しい人物だったからです。台本を読んでも読んでも、いとのかけらが一つに集まってくれません。一瞬その姿が浮かんで見えても、私の心や身体がどう彼女として生きていくのか、見当がつきませんでした。そんな不安の募るまま、撮影が始まりました。けれど、横浜組の皆さん、そして青森という土地と触れ合って温もりを交換し合ううちに、いとが生まれ、どんどん育っていくのを私は感じました。やはり、人間も、芝居も、たった一人で生み出すことはできません。人、場所、物、魂が互いの世界を混ぜ合って変化させ取り込むことで、いと、そして「いとみち」が生まれたのです。また、何者にもなりきれない、「人の不完全さ」こそが愛おしいということも、私は「いとみち」から学びました。
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