宮沢りえ「三井のリハウス」CMに再登場、誰もが思い出した34年前の衝撃を振り返る

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政界まで夢中

 当時、彼女はどの様に報じられていたのだろうか。彼女についての報道はごまんとあるが、象徴的なのが写真週刊誌「FOCUS」(90年6月22日号)だ。タイトルは「官邸騒然、りえチャン来る!!」である。

 6月11日に首相官邸で開催された「内閣総理大臣招待・芸術文化関係者との懇談のつどい」に、彼女が招待されたのである。時の首相は海部俊樹氏だった。

《ことしの目玉は、何といっても写真中央、海部首相と握手している宮沢りえチャン(17)だった。宴も終わりに近づくころ遅れてやって来たというのに、りえチャン狙いの報道各社のカメラマンから「こっちこっち、早く総理の隣に寄って」と促されて、首相とガッチリ握手。長老・森光子も顔色なしの面持ちなのだ。カメラマンの中には、官邸や自民党の“公式記録”カメラマンもいたが、彼らだってお目当ては、やっぱりこのりえチャンだった。
「主催は官邸ですが、誰を呼ぶかの人選は、官房副長官室の事務方と相談しながら、実質的には党の広報委員会のスタッフが進めます。今年は1700人に招待状を送ったところ、約1400人から『出席』の返事がきた。その中に宮沢りえがいたものだから、若い職員は“やったァ”と大騒ぎ……」(自民党本部職員)》(「FOCUS」より)

 永田町まで、宮沢りえに夢中だったのである。芸能記者は言う。

「リハウスガールを演じた翌88年、彼女はいきなり映画『ぼくらの七日間戦争』(菅原比呂志監督)の主役に抜擢され、女優デビューしました。来月、NHKのBSプレミアムで、早速この映画を放送するというので、何やらあざとさを感じますが、一方でカレンダーの“ふんどしルック”や、91年に発売された写真集『Santa Fe』でのヘアヌードも大ヒットとなり、他の追随を許さぬ存在となりました。これらは“りえママ”こと母の宮沢光子さんのプロデュースだったと言われています」

 ところが、人気絶頂の彼女に転機が訪れる。

「92年に、当時、関脇だった貴花田(後の横綱・貴乃花)との婚約を発表するも解消したあたりから、彼女の勢いに変化が訪れます。90年代後半は芸能人との浮名が報じられるようになり、自殺未遂、激やせが報じられたこともありました。しかし、02年公開の『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞したあたりから、演技派女優として名を上げるようになりました。一方で結婚して一児をもうけるも離婚、りえママも亡くなりましたが、現在は元V6の森田剛と再婚し幸せな生活を送っています。今回の34年ぶりのCMは、波瀾万丈な彼女の人生の原点回帰とも言えるでしょう」

 それにしても可愛かったなぁ……。

デイリー新潮取材班

2021年6月24日掲載

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