黒田博樹の父は南海3連覇に貢献…意外に多い「親子二代」プロ野球選手

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親子三代なるか

 黒田親子の登場以前に、最も成功した例として挙げられていたのが、皆川定之(阪神→東急)&康夫(東映→広島)だ。

 身長156センチと小柄ながら、堅守の遊撃手としてならした定之は、39年にレギュラーポジションを掴むと、戦争の影響で退団する41年まで大阪タイガースで活躍。戦後も48年に社会人から復帰し、急映・東急で5年間プレー。実働10年で通算打率.204、21本塁打と打撃成績は今ひとつながら、選球眼が抜群に良く、49年にはシーズン80四球を選んでいる。息子の康夫は先発、リリーフの二刀流で、東映入団1年目の71年に11勝を挙げ、新人王を獲得。75年にも8勝10セーブを挙げている。

 父は活躍できなかったが、息子が成功した例もある。

 坪井智哉(阪神→日本ハム→オリックス)は、70年のウエスタン首位打者・坪井新三郎(中日→太平洋→クラウン)の息子だ。阪神入団1年目の98年にイチローばりの振り子打法で打率.327をマーク。新人王は川上憲伸(中日)に譲ったものの、高橋由伸(巨人)、小林幹英(広島)とともに新人賞に相当する特別表彰を受けた。翌99年も2年連続で打率3割を記録している。

 また、00年の首位打者・金城龍彦(横浜→巨人)は、近鉄の投手・金城晃世の三男。父は偵察要員の中堅手として1試合のみの出場だったが、息子は03年から3年連続打率3割以上をマークするなど、通算1648安打、104本塁打と一流選手の仲間入り。息子2人も大学、高校でプレーしており、日本球界初となる親子三代でのプロ野球選手誕生がなるか、注目される。

打撃能力の高さが息子たちに

 現役組では、中日の堂上直倫が、親子二代選手の代表格になる。

 父・堂上照は、同じ中日の投手として78年に9勝を挙げるなど、通算35勝49敗7セーブ。同年は自己最多の54試合に登板し、先発、リリーフでフル回転する一方、6月22日の大洋戦で2ランと2点タイムリーの2打数2安打4打点、同27日の巨人戦でもソロ本塁打を放ち、投手として2試合連続本塁打の珍記録を達成した。打撃能力の高さは、長男・剛裕(中日→巨人)も含めて、息子たちにしっかり受け継がれている。

 次男・直倫はこれまで規定打席に達したのは2016年の1度だけだが、15年目の今季は、6月以降にスタメンに抜擢されることが多くなっている。本人も「僕は結果を出すしかない。1打席も無駄にはできない」と生き残りに必死だ。

 このほか、オリックス・山崎福也や広島・中田廉、巨人・若林晃弘、オリックス・太田椋といった面々も2世選手としてプロの厳しい世界で戦っている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年6月23日掲載

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