「おもてなし」を世界に届けるホテルグループへ――荻田敏宏(ホテルオークラ社長)【佐藤優の頂上対決】

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ロシア初の日系ホテル

佐藤 その中で今年の秋にはウラジオストクにホテルをオープンされるとうかがいました。

荻田 はい。「ホテルオークラウラジオストク」は、ロシア初の日系ホテルになります。

佐藤 ロシアにオークラの行き届いたサービスが入るのは、非常に感慨深いです。ソ連時代の現地のホテルは独特でした。外国人が泊まれるインツーリスト系のホテルと国内向けのツーリストホテル、それに青年用のスプートニクというホテルがありましたが、インツーリスト系のホテルは、各階に鍵番の女性がいて、パスポートを預かり、常時、人の出入りをチェックしていたんです。チェックアウトの際には、備品を持ち出していないか確認した上で、パスポートを返してもらう。

荻田 そのような状況でしたか。

佐藤 慢性的な部屋不足で、ツインルームには、知らない人でも同室にすることがありました。ホテルと宿泊者の立場が逆転していて、当時のロシア語会話帳では、お客さんが「ありがとうございます」と言い、ホテル側が「どういたしまして」と答えるやりとりになっていました。

荻田 ソ連時代ではありませんが、私もウラジオストクのホテルに宿泊した際、電子キーをかざしてもドアが開かないことがありました。どうも建具がしっかりしていなかったようなのです。

佐藤 ソ連崩壊後に劇的に改善されましたが、それでもオークラのサービスが来るとなれば、ロシアの富裕層は喜んで使うと思います。

荻田 私どもは優位性をどのように打ち出せるかを常に考えています。例えばロシアの食事ではあまり野菜が出てきません。

佐藤 そうです。帝政ロシア時代は野菜料理がたくさんあったんです。でもソ連時代に、野菜をたくさん食べるよりサプリメントで摂ったほうが効率的だということになり、みんなサプリメントを飲むようになりました。だから高級レストランでも、野菜はだいたい二十日大根とキュウリ、トマトの3種類だけです。

荻田 私が食べた野菜もキュウリとトマトでした。そのため野菜を充実させていきたいですし、ウラジオストクには豊富な水産資源があります。

佐藤 昔のロシア人は海産物もあまり食べませんでした。ウニなどは、ロシア語で「海のハリネズミ」という名前でしたから、イメージがよくない。ワカメも昆布もヒジキも「海のキャベツ」で区別しません。ただ、ロシア人の食は大きく変わってきましたから、海産物の豊富なウラジオストクは優位性があります。

荻田 私どもとしては、地元食材を活用して和食や鉄板焼などに使っていきたいです。

佐藤 極東には本格的なロシア料理レストランもありません。黒パン一つ取ってみても、ライ麦がよくない。また肉も豚肉が主流で、いい牛肉が入ってこないのです。だからモスクワの評価の高いレストランからシェフを引き抜いたり、そこで修業させたり、また材料もモスクワから空輸させて本格的なロシア料理を出せば、極東のロシア人富裕層や中国人富裕層がやってくると思います。

荻田 沿海州マーケットは年々大きくなり、それを支える人の年収もとても上がっていると聞いています。ビジネスにおいても、安倍前首相がプーチン大統領に提示した8項目の「協力プラン」には、極東の産業振興が入っていますから、今後、さまざまな機会が生まれていくのだろうと思います。

佐藤 ロシアからすればアジア太平洋地域への玄関口ですからね。

荻田 また観光でも大きな可能性を秘めています。ウラジオストクは街全体がサンフランシスコのような雰囲気を有しています。サンフランシスコというと、アメリカで美しい街の一つですが、それに匹敵する街並みです。

佐藤 もともと重要な軍港でしたから、ソ連崩壊までは国内からも入域禁止でした。そのため古いヨーロッパの街並みが残っている。ロシア人にとっても訪ねたい街の一つです。

荻田 昨年、日本航空と全日本空輸の直行便が成田から飛ぶようになり、わずか2時間半でヨーロッパの雰囲気を味わえます。

佐藤 いま、ロシアの対日感情はとてもいい。ロシアの反体制指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の問題で日本は制裁を行っていませんし、庶民レベルでも日露合作の映画「ハチとパルマの物語」が大ヒットしています。日本でも公開されましたが、モスクワのヴヌーコヴォ空港で飼い主を待ち続けるシェパードの話で、ロシア版忠犬ハチ公物語です。

荻田 実話なのですか。

佐藤 はい。これに秋田犬ハチ公もうまく絡めて映画化しています。これを見ると1970年代のロシアの空港の雰囲気がよくわかりますが、オークラは次に、モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港にもホテルを出されるそうですね。

荻田 まだ覚書を取り交わしたところで、これから事業計画を詰めていく段階です。エアポートホテルですが、複合施設になる話もあり、旅行者にも地元の方にも来ていただけるような場所になると思います。

日本のおもてなしを世界に

佐藤 今後は海外にどんどん進出していくのですか。

荻田 5×5(ファイブ・バイ・ファイブ)計画と呼んでいますが、まずは五つの国と地域に5軒ずつホテルを出していこうと考えています。3年ほど前からこのような構想を掲げ、すでに3、4軒ホテルを展開しているのが、台湾とタイとベトナムです。残り2カ国は、ロシア、インドネシア、フィリピン、トルコなどを考えています。台湾はロシア同様、あまり外資系ホテルがなく、親日という共通項もありますので、積極的に出店しています。

佐藤 グループ全体では、どんなホテルチェーンを目指しているのですか。

荻田 2010年にJALホテルズを子会社化して、ホテル数は建設中のものを含めると80を超えます。ただ私どもは、水平的にさまざまな国の都市にホテルを作り、カジュアルからラグジュアリーまで垂直的にも展開していくメガチェーンになろうとは思っていません。ある程度、客層を絞った中規模ラグジュアリーホテルチェーンを目指しています。

佐藤 それには差別化が必要ですね。

荻田 おっしゃる通りで、その差別化の一番目に置いているのが、日本特有のおもてなし、ホスピタリティ精神です。過剰なサービスではなく、控えめでありながらもお客様が何を求めているかを察知して、それに的確に応えていくサービスを提供していきたい。

佐藤 それはマニュアルを前提としつつも、その型を破っていくということですね。型破りは、型を知らないとできません。

荻田 当社のキャリアパスでは、入社後2~3年は現業部門に従事するようになっております。私は入社1年目にコーヒーショップ「カメリア」に配属されました。

佐藤 あそこからホテルマン人生をスタートされたのですね。

荻田 2年目はベルボーイをやり、料飲サービス部門とフロントサービス部門の両方を経験しました。

佐藤 現場体験は非常に重要で、私も学生時代に喫茶店で少しアルバイトしましたが、カウンターの中に入ると見えるものが違いますよね。

荻田 オークラのフロントサービスには「目配り、気配り、心配り」という言葉があります。お客様が何をしようとされているのか目配りをした上で、何を考えているかと気配りし、お客様が考えている以上に何をした方がよいか、心配りをする。これはグループの教育制度の中に組み込まれています。

佐藤 なるほど、それがオークラのサービスの基礎にあるのですね。

荻田 もう一つの差別化は、料理です。実は欧米のホテルは、かつて経済が停滞していた時期に収益性が上がらないため、レストラン事業をアウトソーシングしました。再度、自前で運営しようという動きもありますが、レストランや宴会に重きを置いていません。

佐藤 ロシア人が日本のホテルに泊まるとルームサービスを非常によく使い、時には何十万円になることもあります。日本のルームサービスは非常に質が高いからです。それは自分たちでレストランを運営している強みですよね。

荻田 私どもは和食、洋食、中国料理と全て直営です。ですから宿泊が主体となるホテル業界の中でもレストランや宴会を強みにして、飲食の文化を発展させていきたいですね。

佐藤 先ほどのウラジオストクのホテルでも、グルメツアーもできるホテルになると、富裕層のロシア人が集まってきますよ。

荻田 それともう一つ、レストラン事業と宴会を強みにすることで、地域に密着したホテルにしたいとも考えています。私どもではオークラグループの会員プログラムに登録いただくと特典を用意していますが、さらにお客様が一つ選んだホテルについてより上質な特典を付与するというプレミアムセレクション制度も用意しております。

佐藤 そうやって地域の方の利用をしっかり捉えていくのですね。

荻田 はい、ローカルのお客様にも付加価値の高いサービスを提供しています。

佐藤 人材育成はどうされていますか。

荻田 上級管理職を対象に基礎的な経営知識を教える経営運営管理講座や、将来の幹部候補を対象にオークラユニバーシティを実施しています。また、一般社員向けにはeラーニングで300程度の講座があります。

佐藤 オンラインで勉強する。

荻田 またこれから先、日本の人口減少は否めません。ですから海外の人材を活用していくことも重要になってきます。そこで今年から東京経営短期大学と提携し、2年制の「観光ホスピタリティコースSupported by Hotel Okura」を創設しました。定員40名ほどですが、うち半数が外国人の想定です。また海外で働くグループホテルの社員もここへ留学させる機会を設けております。

佐藤 彼らは海外での展開に大きく活躍してくれそうですね。

荻田 日本のホテルですから、海外ではどうしても和食のレストランが必要になります。そのため勤務歴3~5年の海外人材を東京マスダ学院調理師専門学校の専門コースに1年派遣して、技術を習得してもらうことも計画しております。

佐藤 着々と海外展開の態勢を整えていますね。

荻田 コロナ禍の中にはありますが、こうしたことを一つ一つ積み重ねて、これからも日本らしいおもてなしを感じさせるオークラのサービスを世界に提供していければ、と思っています。

荻田敏宏(おぎたとしひろ) ホテルオークラ社長
1964年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒。87年ホテルオークラ入社。入社4年後にコーネル大学へ留学、ホテル経営学部修士課程修了。93年復職、ホテルオークラ神戸の立て直しなどに携わる。2005年取締役、07年オークラフロンティアホテルつくば総支配人を経て08年より現職。

週刊新潮 2021年6月17日号掲載

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