「おもてなし」を世界に届けるホテルグループへ――荻田敏宏(ホテルオークラ社長)【佐藤優の頂上対決】
長引く疫病禍にあって苦境に立たされているホテル業界。半世紀以上親しまれてきた本館を建て替えたばかりのホテルオークラは、その間も更なる海外展開の準備を着々と進めてきた。その先駆けとして、今秋、ロシアで初の日系ホテルとなる「ホテルオークラウラジオストク」がオープンする。
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佐藤 ここは素晴らしい眺めの部屋ですね。国会議事堂や霞が関が眼下に見下ろせる。
荻田 The Okura Tokyoの38階のスイートルームになります。
佐藤 部屋はモダンな感じで統一されていて、非常にゆったりした作りですね。
荻田 The Okura Tokyoで3番目に広い部屋です。本館を建て替えるにあたり、その敷地に2棟建設しましたが、オークラ プレステージタワーは41階建てで、25階まではオフィスが入り、26階から27階はフィットネスとスパが、28階から40階までが客室になります。価格帯はだいたい1泊7万円台からです。客室づくりでは、おっしゃる通り、モダンなデザインに和のアクセントを取り入れたものです。
佐藤 何部屋あるのですか。
荻田 368室です。日米欧のミドルエイジ・エグゼクティブ層、それからアジアの高所得者層を意識し、またMICE(会議、研修・報奨旅行、国際会議、イベント)などビジネス関係や高級パッケージツアーのお客様などにも訴求していこうという考えのもとにデザインしました。
佐藤 もう一棟は中層ですね。
荻田 オークラ ヘリテージウイングと言って、17階建てです。オークラの最高級ブランドで、価格帯は1泊10万円台からです。施設やサービスのグレードをより高く設定しています。客室数は140室で、訴求対象は日米欧のシニアの高所得者層、特にプライバシーを重視されるお客様です。一部の部屋には、坪庭をおくなど、開業時より受け継いできた和の意匠をふんだんに取り入れました。
佐藤 建て替えにはどのくらいの時間が掛かったのですか。
荻田 建て替え自体は5年ほどです。2014年に事業計画案を作り、翌年から約4年かけて周辺一帯を再開発しました。
佐藤 歴代社長の中でも、非常に大きな仕事になりましたね。
荻田 オークラの社長は私で8代目ですが、その中でこの旗艦ホテルを作った社長は2人しかいません。その時期に恵まれたのは、非常にありがたいことだと思っています。
佐藤 建て替えの話はこれまで何度か出ていたのですか。
荻田 2004年に1度、出たことがありました。オークラは2001年から3年間、不良資産や遊休資産を処理するなど、不採算事業を整理しました。その目処がついたところで、これからどうするかを話し合いました。その時に建て替え案も浮上しましたが、意見は割れ、結果的に150億円かけて改修することになったのです。
佐藤 建て替えとなれば、桁の違うプロジェクトですからね。
荻田 今回は全体で1200億円ほどかかっています。2004年からの改修投資でも業績は上がったのですが、2008年にリーマン・ショックがあり、売り上げが大幅に下落しました。その際、これからホテルをどうしていくかという話が再浮上しました。
佐藤 当時はもう社長に就任されていましたか。
荻田 2008年に社長になりましたから、就任直後です。リーマン・ショック後の世界金融危機の最中にそうした議論を始めて、2010年に建て替えを本格的に検討することになりました。ただ2・6ヘクタールある本館の敷地の一部に緑地規制がかかっており、高さや目的などの各種制限もあって、行政と折り合いがついたのが2013年。ですから、建て替えの検討開始から開業まで、10年近い期間を要しました。
オープン半年でコロナ禍に
佐藤 工事の際、従業員はどうされたのですか。
荻田 幸いホテルオークラ東京は本館と別館がありました。当時いた約千人の社員の7割は別館の単独営業に従事してもらい、2割をグループホテルに派遣しました。ちょうど1973年の別館増設時に採用した社員がかなりいまして、年齢構成では55歳以上が15%を占めていましたから、その自然減もありました。
佐藤 オークラさんにはサミットや国際会議など、外務省時代から非常にお世話になってきました。政治家から呼び出しがあると、決まって日本料理の「山里」でした。また私の周りのロシア人は鉄板焼「さざんか」がどうなるのか、心配していましたね。
荻田 「さざんか」は、別館の3階に移して営業を続けました。
佐藤 総じて建て替えはスムーズにいったのですね。
荻田 外部環境に恵まれたこともあります。建て替え期間中、損益が悪化して財務的に逼迫することも想定されましたが、幸い安倍政権の政策が効いて、インバウンド客が増加しました。ですので、その間も私どもの予想を上回る、30億~40億円という安定した利益を出すことができました。
佐藤 そしてその先にはオリンピックの需要も見込まれていた。
荻田 The Okura Tokyoはオリンピックファミリーホテルとなる予定ですし、グループ各ホテルにオリンピックの効果が波及すると考えていました。
佐藤 オープンされたのは、2019年の9月ですね。
荻田 はい。残念ながら開業して半年で、コロナ禍に見舞われることになりました。
佐藤 ホテルはコロナ禍でもっとも直接的な打撃を受けている業種の一つですが、客室稼働率はどのくらいなのですか。
荻田 今年3月までの1年間の客室稼働率は20%弱です。酷い時には10%を切っていました。
佐藤 コロナ禍まではどうでしたか。
荻田 60%以上ありました。もともと私どものお客様は、外国の方が55~60%、日本の方が40~45%です。ですから本館を建て替えるにあたって外国の方が60%、日本の方が40%と設定して準備をしましたが、この一年、外国の方は10%に満たない。約95%が日本のお客様です。
佐藤 そもそも飛行機がほとんど飛んでいませんからね。いま、泊まりに来られるのはどんな方ですか。
荻田 現状では、レジャーとビジネスのお客様が半々です。もともとホテルオークラ東京は他のホテルよりビジネスの方が多く、約80%を占めていました。残り20%がレジャーの方です。コロナ禍で外国人のビジネス需要はなくなり、国内のビジネス需要も縮小していることが、稼働率20%という数字になって現れているのです。
佐藤 全体の売り上げも大きく落ち込むことになりますね。
荻田 会社設立から今年で63年になりますが、オイルショックやバブル崩壊などさまざまな危機の中でも、これまでグループ全体の売り上げが前年より2桁落ちたことは1度しかありませんでした。それは2008年のリーマン・ショックですが、今回はそれをはるかに超える60%も落ちてしまっています。ですからその影響は極めて大きいと言えます。
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