A.B.C-Zの河合郁人の大ブレイク ジャニーズモノマネをする異色のジャニーズが生まれた理由
現役ジャニーズアイドルの準優勝
2012年にDVDデビューを果たしたものの、シングルCDを出すまではそこから3年半、単独のファンクラブ設立まで4年と、王道のアイドルとして一気に大爆発とはいかなかった。ちなみにグループでの初主演ドラマは「30歳まで童貞だと魔法使いになれる」がテーマだ。
自分の思い描いていたジャニーズアイドルのような活躍ができていない。かっこつけていたら「そっちじゃない」と言われ、グループのセンターでもない。そんな河合に、KAT-TUNの亀梨和也はこんなアドバイスをしていたという。
「自分のポジションでいちばん取れ」(「Myojo」2013年7月号)
「それぞれがそれぞれのキャラクターのセンターになればいい」(「Myojo」2017年1月号)
なんとも的確なアドバイスだ。滝沢秀明にしても、亀梨和也にしても、河合にはこうした全体を見た上での素晴らしいアドバイスをしてくれる先輩がいるのだが、きっとそれらの言葉が真の意味で腑に落ち、自身の行動に昇華できるようになったのは2017年頃からなのだろう。
本人も「変なプライドがあって、自分をさらけ出せなかった」と語っている(「STORY」2020年11月号)。
だが、鈴木おさむのラジオに出演したときにインパクトを出さなきゃと思い「ジャニーズ大好きジャニーズ」と自ら絞り出したフレーズで自己紹介。「自分は自分。“好き”で勝負したらいいじゃないか」と振り切ったときから、空気が変わったのだという(「STORY」2020年11月号)
人見知りに関しても「このままだと損すると思って29歳の誕生日に返上しました」(「ダ・ヴィンチ」2017年7月号)と、語っている。プライドに、人見知り……色々なものが削ぎ落とされていったこの数年で、徐々に河合の魅力は周囲に伝わりやすくなっていく。
もちろん努力もかかさない。プライベートの時間は芸人と飲みに行き、トーク術を研究。気づいたことはネタ帳に書き留める(「サンケイスポーツ」2021年3月6日)
後輩芸人の盛り上げ方、先輩の喜ばせ方、芸人にとっては“部外者”である自分のさばき方なども観察。自分たちの食事会で試してみて、面白いことが確認できるとバラエティにもっていくようにするのだという(日本テレビ「今夜くらべてみました」2021年1月6日放送)
最近では「ジャニーズの中でも僕なんか来ちゃってすみませんねー」などと「いじっていいですよという空気を作ることを心がけている」(日本テレビ「今夜くらべてみました」2021年1月6日放送)というから、大きな変化である。
そんなバラエティ研究を続けていた河合にとってターニングポイントとなったのは2020年5月に放送された「次世代ものまね芸人No.1決定戦」での準優勝だ。ものまね芸人に混じっての現役ジャニーズアイドルの準優勝は大きな話題に。奇しくも最初の緊急事態宣言が出された“ステイホーム”期間中の放送だったが「『明けたときに生き残れるか』ずっと考えていた」(「STORY」2020年11月号)。実際、毎日ひとネタずつものまね動画を撮りため、テレビ局のスタッフに渡したという(サンケイスポーツ2021年3月6日)
ステイホーム明けから、河合の出演番組は急増。出演する多くの番組でジャニーズものまねを披露、秋には初の冠番組を持つにもいたり、似てると言われてきたフットボールアワーの後藤とのダブルMCまで実現する充実っぷりだ。
おもしろ路線を行くことに賛否両論
ジャニーズ王道のアイドルでありながら、おもしろ路線を行くことには、賛否両論の声がある。マツコ・デラックスは、関ジャニ∞の村上信五と共演する番組で、村上のようにバラエティでの活躍を目指すジャニーズの若手が増えていることに言及。「大変危険な兆候」「若手、王道でいけよ」「嵐を目指そう!」として笑いを取りながら、河合の名前を出して「まだ早いぞ、もう5年待て!」と言っていた(日本テレビ系『月曜から夜ふかし』2020年8月10日)。
だが、本当に河合の“転向”は早いのだろうか。
ここまで見てきたように、河合のブレイクまでの日々は、王道でいきたかったはずの自分と決別しようとするも、その望みを捨てきれずにいた期間だったと思う。
ジャニーズモノマネも、NHK BSのジャニーズJr.の番組というある種の“ホーム”で披露してから、地上波のモノマネ番組に出るまで、14年の時を経ている。
そもそも、河合郁人のジャニーズJr.の応募のきっかけは母親の友達に「松本潤くんに似てるよね」と言われたことだ。そのとき「“俺もジャニーズに入れる、松本潤くんになれるんだ!”って思っちゃったんですよね」と振り返っている(「Myojo」2013年7月号)。
「松本潤になれる」と思ってジャニーズに入った少年が「松本潤のモノマネ」をするまでには大きな葛藤があったはずだ。「松本潤のモノマネをする」ということは「自分が松本潤ではない」と認めることを意味するからだ。
“王道のジャニーズのモノマネ”を、芸人モノマネ合戦という場で披露することは、自分は“王道のジャニーズではない”と大きく宣言しているようなものだ。もちろん大きなチャンスであると同時に、出演するには勇気が必要だったはずだ。
木村拓哉にも、松本潤にもなれなかった。滝沢秀明、亀梨和也といった王道の先輩たちのアドバイスは、王道への誘いではない。
当たり前のことかもしれないが、自分は自分にしかなれないということに気づき、真に受け入れたときの一手が、あのモノマネ番組への出演だったのではないか。
そう考えると、「あと5年待て」とはなかなか言えない。むしろ、河合は21年もの間、待ち続けていた側である。
「誰かと比較して、自分はダメだと落ち込む人には、“待てば時は来る!”と伝えたいかな。僕自身、先輩や周りの人と比べてデビューが遅いことに焦っていた時期があったけど、人と同じである必要はないし、いいタイミングが訪れる時期も人それぞれに違うと気づいたから」(「anan」2017年2月8日号)
本人はこう語っているが、もちろんただ待っていただけではない。バックダンサー、後輩の盛り上げ、芸人の研究etc.……いつも河合は、自分にできることを全力でし続けていた。
ジャニーズを愛するからこそ、王道のジャニーズに憧れるのは当たり前。だが、好きだからこそ、“なれない”ことを認めるのには大きな覚悟が必要なはずだ。
ある可能性に賭けることは、別の可能性に見切りをつけることでもある。
「自分たちに振り向いてくれないこの世界を一変させる“何か”が欲しかった」(ダ・ヴィンチ2016年4月号)
その“何か”は、河合が「大好きなものになれない」という事実を認めることでやってきたのかもしれない。
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