「小室圭さん」の問題を宮内庁はなぜ解決できないのか 思い出す「藤森昭一長官」

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皇室に精通した“大物”

 かつては、こんなことはなかった──古くから皇室の内情を知る宮内庁関係者は疑問を口にする。

「故・藤森昭一さん(1926~2016)は、1988年から96年まで宮内庁長官を務め、当時は皇太子だった天皇陛下のお妃選びで中心的な役割を担いました。お妃候補としての雅子さまは、祖父が水俣病の原因企業であるチッソの社長などを務めた経歴が問題視され、リストから外されていました。ところが天皇陛下が『雅子さんではだめでしょうか』と本心を明かされると、当時の藤森長官は一転してご成婚に向けて動き出すのです」

 藤森元長官は1926年12月26日、長野県松本市に生まれた。ちょうど12月25日から31日までしかない昭和元年だったため、「昭一」と名づけられた。後日、このエピソードを昭和天皇に披露すると、にっこり笑われたという。

 旧制松本高校から東大法学部に進み、厚生省(現:厚生労働省)に入省。内閣の主席参事官や内閣官房副長官など、首相官邸勤務を13年間経験した。

 1988年4月に宮内庁次官、6月に長官に就任した。読売新聞は同年4月、名物連載の「顔」で、皇室問題に精通した“大物”が送り込まれたと紹介。《天皇、皇后両陛下の健康問題や、浩宮さまのご結婚など重要案件を抱えた宮内庁を、いかに重視しているかがうかがえる》と解説した。

「なかなかよい人だ」

 藤森元長官と焼酎を飲み明かしたという三笠宮家の長男・寛仁さま(1946~2012)は「話の分かる人だな」と吐露、昭和天皇は「なかなかよい人だ」と評されたと伝えられている。朝日新聞は記事に《天皇が人柄への好感を口にするのは珍しい》と記した(※註1)。

「藤森さんは昭和天皇の崩御、昭和から平成への改元、そして大喪の礼などを宮内庁長官として陣頭指揮を執りました。そしてお妃選びです。天皇陛下のご意志を確認されると、雅子さまへの“メッセンジャー”役を自身の人脈から元外務次官の男性に依頼。情報漏洩を防ぎながら、お二人のデートをお膳立て。その後も揺れ動く雅子さまのお気持ちなどに配慮を示し、天皇陛下を励まされました」(同・宮内庁関係者)

 2004年6月、雅子さまは適応障害との診断を受け、療養に入られた。05年に藤森元長官は宮内庁参与を退任し、皇室の相談役から退いた。

 この時、「女性自身」は05年3月22日号に、「雅子さま 『唯一の相談相手』突然の辞任と笑顔遠のく『孤独の春』再び…」の記事を掲載した。藤森元長官と雅子さまの信頼関係が分かる見出しだ。

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