阪神青柳、マエケン…プロ野球で本当にあった「雨にまつわる“珍エピソード”」

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“雨柳さん”のニックネームがすっかり定着した阪神の青柳晃洋。今季の3試合も含めて先発予定だった試合が通算11回も雨で流れ、予告先発が始まった2012年以降では、ランディ・メッセンジャーと並ぶ球団最多タイ記録となった。

 すでに“雨柳さん”グッズも販売されており、本人も「何でも一番になるのはいいこと。やっと雨イコール青柳って定着できたと思う」とまんざらでもなさそう。これから梅雨も本番となり、記録がさらに伸びることだろう。

大記録が幻に

 雨男といえば、昨年3試合連続でプロ初先発が雨で流れたロッテの古谷拓郎も記憶に新しいが、ロッテの先輩にあたる渡辺俊介も、07年に5試合連続で先発が流れ、ボビー・バレンタイン監督から「レインマン」と呼ばれたほどの雨男。

「今度球場に来るときは、てるてる坊主でも飾ってきてください」とファンに呼びかけたことがきっかけで、「てるてるボーイTシャツ」などのグッズも販売された。

 一方、広島時代の前田健太は、スライド登板となった14年7月4日のヤクルト戦で勝利投手になった直後、「僕が投げるときは、かばんの中に折り畳み式傘を持ってきてください」と発言。その言葉どおり、6日後の阪神戦も雨天中止となり、10月5日の巨人戦では、背番号と同じ台風18号の襲来により、シーズン3度目のスライド登板になった。

 翌15年の春季キャンプでは、てるてる坊主の刺繍入りグラブを披露し、“脱・雨男”宣言をしたにもかかわらず、7月22日の中日戦が中止となり、飛び入り出演の予定だった「ピカチュウ」の出番を消してしまった。

 試合前に中止が決まるケースならまだいいが、ノーゲームともなれば、まさに骨折り損のくたびれ儲け。球史に残る大記録が幻と消えた例もある。

 阪神時代の星野伸之は、通算2000奪三振まであと「3」と迫った01年7月15日の中日戦で3回までに2三振を奪い、大西崇之を2ストライクと追い込んだ直後、雨が激しくなり、あと1球で記録がパーになった。

「(2000個目を)取って中止になるよりは、良かったんじゃないかな。恥ずかしいし、またやり直しになるしね」と気持ちを切り替えた星野は、8月1日のヤクルト戦で快挙を達成した。

 打者にとっても、ノーゲームは困りもの。本塁打などのタイトルがかかっているときは、なおさらである。

 70、71年と2年連続本塁打王に輝いた東映時代の大杉勝男は、72年は阪急・長池徳二に1本差の40本で3年連続のタイトルを逃したが、7月11日の南海戦で本塁打を記録しながら、ノーゲームになったことが、最後の最後で響いた。

 また、日本ハムのボビー・ミッチェルは77年、雨で本塁打2本が流れた結果、ロッテのレロン・リーに2本差で涙をのんだ。82年にも阪急のウェイン・ケージが5月3日の近鉄戦で放った満塁本塁打がノーゲームで消え、ロッテの落合博満に1本差で本塁打王を逃した。

 消えたのは、本塁打だけではない。

 80年、広島の“鉄人”衣笠祥雄は、7月29日のヤクルト戦で飯田徳治(南海→国鉄)が持つ当時の日本記録1246試合連続出場に並ぶはずだったが、5対5で迎えた5回裏無死一、三塁、自軍が1点取れば試合成立という場面で無情のノーゲームとなり、「あそこまで行ったら、やりたかった」とボヤくことしきりだった。

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