不倫を何度も繰り返し… 自他ともに認める「女好き」がやっと気づいた“憎悪”の感情
「女とみればふらふら後をついていくタイプ」と思われる男性がときどきいるものだ。根っからの女好きなのだと周囲は思っているし、本人さえそう感じていることがある。実際にはそうではなかった、自分はそもそも女性への憎悪があるのかもしれないと語ってくれた男性がいる。
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大林由孝さん(39歳・仮名=以下同)は、独身時代から「気づけば常に二股をかけている」恋愛をしてきた。それぞれの女性のことが好きで、離れられなかったのだという。だが不思議ともめ事を起こしたことはない。仲のいい男友だちには、「おまえ、いつか刺されるぞ」と脅されていたが、自分に限ってはそんなことにはならないと自信があった。なぜなら「どちらもきちんと愛しているから」だという。相手の気持ちを考えない、若さゆえの傲岸さとも受け取れるが……。
「大学卒業後に就職した会社に、明るくて目立つ同期の女性、杏子がいたんです。同期12人で集まったときも、彼女がいちばん素敵でした。僕、陰のあるタイプも好きなんですが、その当時は仕事をきちんとできるかどうかなど不安があったので、明るい彼女に惹かれたんだと思います」
杏子さんは浪人していたので、由孝さんよりひとつ年上だった。しっかりした長女風の彼女にかまってもらいたい欲求が募った。想いはすぐに届いたようで、杏子さんは最初の同期会でいつしか由孝さんの隣に座っていた。
「出身大学のこととか専攻のこととか、たわいもない話をしていたら、彼女がいきなり『いちばん好きな映画ってなに?』と聞いてきたんです。ろくに知らない相手に聞くか、そんなことと面食らいました。だって好きな映画とか好きな本とか、その人の過去が見えてくるじゃないですか。僕ならそんな質問はしないと答えました」
すると彼女は、「どうして?」と彼の顔を覗き込む。ドキッと心臓が音を立てたのがわかったと由孝さんは昨日のことのように苦笑した。
「そういう女なんですよ、杏子は。けっこうずかずか人の心に入り込んでくる。でもそれが嫌じゃなかった。だから『デートしてくれたら教える』と言ってみたんです。彼女は『じゃ、明日、デートしよ』と笑いました」
波長が合う。そんな感じで始まったふたりの関係だったが、交際は順調に進んだ。ところが由孝さんは、いつものように恋人がいるのに、新たな恋をしてしまう。
「とはいえ、杏子が恋人には違いない。ベースがあるから浮気ができる。そんな感じなんですよね。だけど浮気相手にも僕は本気……って変な言い方ですが。決して遊びではないんです。“恋愛その1”が杏子で、“その2”が別の女性というだけのこと。どうして恋人はひとりと決めなければいけないのかがわからないというのが本音です」
杏子さんは実家で親と一緒に住んでいた。ひとり暮らしの由孝さんの部屋にいきなりやってくるようなことはない。だから“恋愛その2”の女性とかち合う心配もなかった。
「正直いうと、ひとりの女性とべったりつきあうことが苦手なんだと思います。だから恋人がいると、息抜きのために別の女性を欲してしまう。それがいけないことかどうかの判断はできないんです。でも、杏子にバレそうになったことはあります。半年くらい別の女性とつきあっていたことがあるんですが、杏子がうちに来たとき、『この前、置いていった私の化粧水がない』と騒ぎ出して。あちこち探して、『ねえ、違う場所に置いてあるのよ。誰か別の女の人、来た?』って。あんまり自然な言い方だったから、もう少しで『うん、来た』と言いそうになりました(笑)」
杏子さんは気づいていたのかもしれない。彼に他の女性がいることを。だが、同時に「この人には何を言っても無駄だ」とも思っていたのではないだろうか。彼自身が、「どうして二股をかけてしまうのかわからない」と言っているのだから、他人にわかるはずもない。
幼い我が子を見てよぎった感情
出会ってから5年、杏子さんが妊娠した。それを聞いた由孝さんは、「自分のDNAが継承されることが怖かった」と独特の言い回しをする。そこには彼の生い立ちの問題があった。
「僕、実の両親とはほとんど一緒に暮らしていないんですよ。父方の親戚の家で育ったんです。親は死んだと聞かされていましたが、本当の事情は大学生のとき初めて知りました。母は僕が2歳にもならないころ不倫をして駆け落ち、父は僕を育てきれずに親戚に預け、その後、別の女性と再婚したものの若くして急逝したそうです。母の居場所は今もわかりません」
杏子さんの妊娠を知り、当然、結婚しようとは言ったものの、自分の親のことを考えると不安になったという。杏子さんにはもちろんすべてを打ち明けたが、「何の問題もないわよ。ふたりで作っていく家庭だもの、私たちなりの楽しい家族を作りましょ」と元気づけられた。
27歳で結婚したとき、由孝さんは「もう、第2の恋人を作るのはやめよう」と誓った。結婚は契約なのだ。杏子さんと生きていくと決めた以上、他の女性と深い関係になってはいけないと自分に言い聞かせた。
息子が生まれたとき、由孝さんは泣いた。新しい命が誕生したことが信じられないほど神々しいと思ったという。
「妻を心から愛しく思ったし、息子は最高にかわいかった。しばらくは家族が趣味というくらい、仕事はそこそこにして、家事や育児に必死でした。杏子が育休を終えて仕事に復帰するとき、代わりに僕が専業主夫になろうかと思ったくらい」
息子が2歳になるころ、「こんな小さな子どもだった自分を捨てた母」を思った。「育てきれずに預けた父」のことも心をよぎった。少しだけ精神が不安定になったと由孝さんは言う。それが原因なのか、そのころから彼はまた、別の女性の存在が気になってしまう。
「息子を見ながら、自分の人生を振り返ったんです。僕は本当に“いい子”だった。親戚に育てられているのは早くからわかっていましたから、言いつけはよく聞いたし、勉強もできる子だった。親戚に迷惑をかけないよう、大学は国立に入って奨学金ももらって、大学の近くにアパートを借り、生活費も自分でアルバイトをしてまかなっていた。だけど本当の僕は、それほど“いい子”じゃない。自分ではわかっていました。けっこう皮肉ばかり言っているし、それほどポジティブでもない。そして実は何より母を恋しいと思っていた。それは小さいときからずっとです」
こんなに恋しいのに、母親は自分を捨てた。なぜ母は自分を捨てたのか、そして「母」に代表される女性に対して、自分はどういう気持ちを抱いているのか。そのことが明確な言葉や感情にならないまま、ずっと「気づいてはいけないこと」として由孝さんの心に巣くっていたのかもしれない。
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