大谷翔平に不可解なボーク判定、米国での苦い経験を思い出した【柴田勲のセブンアイズ】

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 エンゼルス・大谷翔平の1イニング2度のボークが話題となっている。大谷は11日(日本時間12日)指名打者制のないナ・リーグ主催のダイヤモンドバックス戦に「2番・投手」でスタメン出場したが、5回に2死一、二塁からメジャー初のボークを宣告されると、さらに同じ回に2度目のボーク判定を受けた。これには米メディアもその多くが審判に対して疑問の声を投げかけている。

 1度目はけん制時の動作で、大谷は両手を広げて肩をすくめ、不服のポーズを取った。直後にまたボークの判定だ。

 これはもう大谷が1度目に取ったポーズが2度目につながったと思う。審判にすれば侮辱されたと感情的になったのではないか。悪感情を抱くと判定により厳しくなるし、重箱の隅をつつくような目で見ることになる。不服の態度を露骨に見せればどうなるか、容易に想像できる。

 1968年以降のベロビーチキャンプの時だった。相手がどこのチームかは忘れたけど練習試合を行った。堀内(恒夫)が7回までピシャリと抑え、8回から渡辺(秀武)さんがマウンドに上がった。巨人が1対0でリードして9回2死三塁、渡辺さんは迎えた打者をツーナッシングと追い込んだ。さあ、次の球で最後かと見ていたら、なんとボークの判定だ。

 これにはビックリした。我々はあ然、呆然とするしかなかった。結局、1対1の引き分けで終わった。納得できなかった。

 アメリカはひどいことをすると思ったね。球場は小さくて観客も少なかった。その観客も首を傾げていたに違いない。まあ、日本から来たチームにメジャーが負けるわけにはいかない。審判は腹の中で思っていたのだろう。平気でやるんだ、こういうことを。

 審判の判定といえば、やはりこの年の練習試合のことだ。1番打者として出場した。相手投手はオルテガという速球投手だった。ボール、ボールと続いて3球目、これもボールと判断して見送ったらストライク、エッと思ったが次の明らかなボール球もストライクのコール、2ストライク2ボールとなって次もボールのコースだ。平然と見送ったが、審判は「ストライク、バッターアウト」だ。

 後で話を聞いて理由がわかった。「彼は打つ気がなかった。打とうとしないから全部ストライクだ」と。1番だったので四死球でもいいから出塁しようと考えていた。だが、審判は私があまりにもボールを見ているので打つ気がないと判断し、全部ストライクにしたのである。

 ついつい、こんなことまで思い出してしまった。さて巨人である。交流戦を7勝8敗3分と負け越して首位・阪神とのゲーム差は今季最大の「7」となった。交流戦前は4.5だった。心配していた展開になった。交流戦を踏ん張って、なんとしてでも4.5のままにしてほしかった。

 正直、このゲーム差はきつい。リーグ戦再開は18日、甲子園に乗り込んでの3連戦である。巨人にとっては天王山だ。最低でも2勝1敗の勝ち越し、うまくいって3連勝を狙うしかない。1勝2敗と負け越しでもしたらゲーム差は「8」、残り試合(阪神3連戦が行われたら)76、こうなるとどうしても、「もうダメかな」といった空気になるし、いくら選手のお尻を叩いても動かなくなる。

 主将の坂本勇人が11日のロッテ戦から復帰して2勝1敗と勝ち越し、勢いをもたらした。でも残念だったのがこのカード前のオリックス戦に出場しなかったことだ。

 ファームの試合に出場し、打つだけならOKだったと思う。「DH」が使える。そのオリックス戦は2敗1分、これが痛かった。坂本は出場を志願してほしかったし、原辰徳監督も出場を打診してもらいたかった。

 事情があるのだろうが、坂本の復帰でチームのムードも変わっていたはずだ。ちょっと解せないところではある。

 菅野智之もピリッとしない。13日のロッテ戦、3回途中でKOとなった。右ヒジの違和感から復帰2戦目となったが、制球に苦しんだ。ボールにも力がない。自身3連敗だ。

 投手は野手に比べて繊細である。神経質なタイプが多い。やはり右ヒジの違和感から抜け出せないでいるのか。宮本和知コーチは菅野が苦しんだ原因のひとつにZOZOマリンの強風を指摘していたが、かばってのことだろう。地方球場ではよくあることだ。本格復調を待つしかない。

 それにしても今季はケガ人が多い。吉川尚輝が10日のオリックス戦で左手に死球を受けて中指を骨折した。せっかく調子が良かったのに残念だ。これまでもいい時にケガをする傾向があった。

 今回の死球を見ると、身体よりも前に手が出ていた。ボールの迎え方が悪い。避け方もうまくなかった。もっとうまくなってもらいたいし、早期復帰してほしい。

 確かに今季の巨人はツイていない。ケガ人、離脱者が次から次だ。だが、いまいる選手全員で戦っていくしかない。18日からの阪神戦に注目である。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

デイリー新潮取材班編集

2021年6月15日掲載

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