会社を強くする「人事」の極意――西尾 太(フォー・ノーツ代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】
年次の呪縛
佐藤 公務員は、民間企業とはまるで別世界です。私はバブル末期の昭和63年から平成7年まで、モスクワの日本大使館に勤務していました。そして帰国後の平成10年、登用制度によって専門職からキャリア(幹部候補生)の扱いになります。役所は年次が非常に重要で、登用されるとキャリアから5年落ちの年次になりますが、専門職の同期職員たちは同期会に呼んでくれなくなりました。
西尾 裏切り者扱いですね。キャリアからはどう迎えられたのですか。
佐藤 あちらからも歓迎されませんでしたね。ノンキャリアの頂点がキャリアの最下位より下にあることで、官僚制度は成り立っています。だから、追い抜いてくるんじゃないかと、非常に警戒心を持たれました。
西尾 それはイバラの道ですね。
佐藤 登用される際、私は二つの道を提示されました。一つは、そのまま首席事務官から課長になって、最後はどこかの大使になるコース。もう一つは自分の専門分野を発展させる形で独自の道を作るコースです。私は後者を選んだ上で、欲しいものを三つ挙げました。
西尾 条件闘争をしたのですね。
佐藤 まず誰も持っていない肩書きです。これは主任分析官という名称になりました。それから自分の部屋を作って、各部署から自分の部下を集められること。そして外務省報償費(機密費)――支出を明示しなくていいお金を持たせてほしい、とお願いしたのです。
西尾 それはかなりハードルの高いお願いではないですか。
佐藤 いえ、人事課長からは「君、欲がないねぇ、そんなのでいいのか。それなら永久にスタッフじゃないか」と言われましたね。
西尾 その時、何歳でしたか。
佐藤 38歳です。おそらく人事課は、部屋を持たせて二重帰属の部下を作ると組織がどうなるのか、わかっていなかったんでしょう。これによって情報が集まり、チームは先鋭化して、私は実質的に局長以上の権限を持って、内閣総理大臣とも直接接触できるようになりました。
西尾 それはすごいですね。
佐藤 もっともそれがトラブルを引き寄せ、私が逮捕される原因にもなります。私以外にも機密費を流用して競走馬やゴルフ会員権を買ったり、交際女性に渡したりして逮捕された要人外国訪問支援室長が登用でした。だから以後、外務省は深く反省して登用制度を廃止します。
西尾 深く反省――したのですかね。
佐藤 そういう人間を登用する側にも問題があるはずですが、制度自体をなくして組織の保全を図った。役人の世界も、年次を一部でも崩すのは大変です。民間企業でもなかなか崩せないものでしょう。
西尾 第1次、第2次の人事革命があっても、そのまま第1次の頃の年功序列、終身雇用を続けている会社はいくらでもあります。
佐藤 根本に手をつけず微調整している会社が多いのでしょうね。
西尾 おっしゃる通りで、ここ数年、キリンホールディングスやアステラス製薬など、大企業で黒字リストラが続いています。これには年次を守ろうという意識が働いているのです。年次は崩したくない。でも給料が高くなった中高年を今後10年も20年も置いておくわけにはいかない。だから辞めてもらおうという話になる。
佐藤 若い人たちから見たら、彼らは迷惑な存在ですからね。
西尾 もう年次は崩して、給料を時価払いにすればいいんですよ。年功序列の給与体系は、若い頃は低く抑えて、歳をとったら高く払うという後払いの仕組みです。これを時価払いにする。そこに手をつけずして、黒字リストラするのは順序が違うと思います。
佐藤 そこはシンプルに切り替えたほうがいい。
西尾 もし完全に年次を排除できないということでも、40歳になったら年次は関係ないとかの線をはっきりと引くべきですよ。
佐藤 そうすると、40歳以降の人生設計を真剣に考えるようになります。
西尾 先日、ある大学の管理職研修に行ったんです。彼らが困っているのは、年上部下の扱いでした。管理職にとっては部員の評価も大切な仕事ですが、評価の目的は「育成」です。その人物をどう育てて、この先どんな仕事を任せて成長させるかを考える。でも50代になって、もうこのままでいいと思っている年上部下がかなりいるんですね。彼らはどんな評価をしようと、「そうっすね」で終わってしまう。ただ給料は下がらない。彼らをどう扱ったらいいのか、40代の課長が悩んでいる。
佐藤 それにはどう対処すればいいのですか。
西尾 まず一つは、逃げ切りを許さないことですね。つまり評価して、給料を下げるべき時には下げる。自分を成長させ、技術をブラッシュアップして仕事をしないなら、給料が下がる仕組みにすることです。
佐藤 現状維持でなく、はっきり下げるのですね。
西尾 もう一つは、50代でも成長するのだとわからせることです。私は55歳ですが、40歳の時とそうは変わっていない。それはつまり40歳の時と同じ状態で、成長の余地がまだあるということです。実際、私はこの歳でプロに習い、ゴルフが少し上達しました。やりようによっては変われるのです。だから40代もどんどん50代にモノを言えばいいと思うし、50代も耳を貸して、そうか、ここがダメなのかときちんと受け止めることが大事です。
佐藤 45歳くらいで割増退職金をもらって早期退職すると、大学院に来る人がいます。彼らが若い学生に悪い影響を与えて、非常に問題になっています。俺の若い頃にはこんなことをしてと、いまは全く通用しない武勇伝を持ち出して説教するのです。みんな一流の大学を出て、一流の会社に入って、でも最後は窓際だった。その鬱憤を、若い学生相手に解消しているんです。
西尾 それは困りますね。
佐藤 だから初めから40歳と年次を切ってしまえば、彼らももっと有意義な人生を歩めるようになる。
西尾 日本人の平均年齢はいま48歳くらいです。だから40歳はまだ若造で、そこで完全リタイアすると働く人が減ってしまう。ですから彼らに再度活躍してもらう仕組みが必要だと思います。
人事の目指すところ
佐藤 人事から見て、これから会社はどんな形になっていくとお考えですか。
西尾 いろいろあると思いますが、まず社長と一緒に経営を考えていくコア人材は必要です。その人たちには高い給料を払って、早い段階からいろんな修羅場を体験させて育てていく。一方、専門的な仕事をする人材は、もう社員として抱えなくてもいいかもしれません。アウトソーシングできますし、クラウドワーカーもいる。それ以外に、どうしても社内でやらなきゃいけない仕事があります。ここに誰を置くか、どれだけの人材を割くかが人事戦略になっていくと思います。
佐藤 ジョブ型はどうなりますか。
西尾 先にお話ししたように、バブル崩壊後にもジョブ型と言われ、スペシャリスト志向、“手に職”ブームが起きました。それに伴い、ゼネラリストは不要とか、管理だけの管理職はいらないという風潮まで生まれました。その失敗を繰り返してはなりません。
佐藤 管理というのは立派な仕事なんですけどね。
西尾 社内でジョブ型人材を作っていくと、その仕事しかできませんという人を大量に生み出しかねない。その仕事がイノベーションでなくなったら、どこにも行けなくなります。もちろん一定の専門性は必要ですが、それしかできない人が増えるのは、人事からすればとても怖い。
佐藤 そこでよく言われるのは、T型人材やπ(パイ)型人材ですね。
西尾 一つしかできないI型人材は危うい。一つの専門性を持ちながら幅広い知見があるのがT型で、彼らは専門性のあるマネジメント人材になることが期待できます。π型なら二つの専門性を持ち合わせ、かつ広い知見があるわけですから最強です。
佐藤 専門性の獲得には、どのくらいの時間がかかるのですか。
西尾 専門性1本にだいたい1万時間と言われています。1日8時間そればかりやっても年間1900時間ですから、6、7年はかかりますね。だから企業内で2本作るとなると、非効率的かもしれません。
佐藤 π型の優秀な人は、他社に引き抜かれることもあるでしょう。
西尾 ありますね。ただ私は、人事の究極の目標は「どこにでも行ける人がうちにいる状態にする」ことだと考えています。
佐藤 それは面白い発想ですね。
西尾 私は1998年にCCCに入りましたが、当時、それまで社員がだいたい500人くらいなのに、96年に100人、97年に300人、98年に100人と採用し、一気に500人も増えました。ただ退職率も高く、20%を超えていたんですね。いい会社なのに何が原因なのか突き詰めてみると、自分がキャリアアップして進んでいく道が見えないということでした。そこで人事に入った私たちは、きちんとした等級制度を作りました。現時点ではこれでいいけれども、昇格するにはこれが必要だと、等級別に定め、社員に知らしめて運用していったんですね。キャリアステップのラダー(梯子)と言いますが、これで2年目、3年目には退職率が半分になりました。
佐藤 指標ができたわけですね。
西尾 これは汎用性があります。ここにいればキャリアが積めて、いざとなったら他に行けると思うようになると、逆に辞めなくなるんです。ここで成長できるなら、わざわざ辞める必要はありません。だからどこにでも行ける人を作れば、逆に定着率を高めることになります。
佐藤 逆にそこでしか働けない人を作ると、いざという時に辞めてくれないし、リストラしなくてはいけなくなりますね。
西尾 あとは理念です。その会社がどんな価値を社会に提供しているかに共感してくれれば、その人は辞めません。人事の仕事は、社員に会社が目指す方向と同じベクトルを持ってもらうことです。それができれば、会社は非常に強くなり、業績も伸ばしていけると思います。
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