東京五輪PVをめぐり「武蔵野市」と「三鷹市」が対立 不仲説の背景に60年前の“すれ違い”

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合併めぐるすれ違い

 武蔵野市と三鷹市には、歴史的なすれ違いもあった。

 武蔵野市が市制施行したのは1947(昭和22)年。三鷹市の誕生はその3年後だった。1953(昭和28)年、「昭和の大合併」と言われた町村合併促進法をきっかけに、両市の合併案が浮上。55年の1月には両市議会で合併議案が出され、武蔵野市議会は可決した。ところが三鷹市議会は賛成16票、反対17票の1票差で否決となり、合併は実現できなかったのだ。

 合併の準備をすすめていた当時の三鷹市長は辞任し、三鷹市は大混乱に陥った。ところがその年の2月、武蔵野市が三鷹市に再度、合併を検討してほしいと要請。それに応えて3月、三鷹市議会で再議決となった。しかし、やはり否決され、合併には至らなかった。

 その一か月後には、武蔵野市との合併を公約に掲げる鈴木平三郎新市長が誕生。三鷹市側の合併機運は高まったかと思いきや、今度は武蔵野市が、三鷹市議会で合併が可決してから決めるという態度をとった。前回の合併話の際に、武蔵野市議会は可決したのに、三鷹市議会側が否決となったことで、不信感を抱いたのがその理由だった。

 今度は58(昭和33)年9月、三鷹市側は合併案を可決。が、武蔵野市は「時期尚早」として合併を拒否したという。以後、両市は互いに歩み寄ることなく、今日までその関係は続いているのだ。

 このたびのPVをめぐる問題も、こうした因縁が背景にあるという声もある。もっとも6月10日になって、都は全PV会場を中止する方向で検討をはじめた。となればこの問題、武蔵野市と三鷹市の不仲を露呈させただけのような気もしなくもない……。

デイリー新潮取材班

2021年6月14日掲載

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