制作者が語る「ビッグダディ」秘話 ネタ切れ状態の時に現れた元妻と仰天の「妊娠」
2006年放送開始の「痛快!ビッグダディ」(テレビ朝日)は、男手一つで8人の子どもを育てる“ビッグダディ”こと林下清志氏(56)が主役のドキュメントバラエティー番組である。番組のプロデューサーで、ビッグダディを見出した制作会社「ゼロクリエイト」の石川修元代表が、元妻との再会、復縁の真相を振り返った。
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林下一家は、長女の高校進学を前に、生活費の負担が軽く済む新天地を探していた。
一方、1991年に「ゼロクリエイト」を設立した石川氏は、「元祖!大食い王決定戦」(1991年・テレビ東京)、「TVチャンピオン」(1992年~、テレビ東京)、「電波少年インターナショナル」(1994年~、日本テレビ)など、高視聴率番組を制作。ドキュメントバラエティーの第一人者として、数々のヒット番組を生み出してきた。2002年に「愛の貧乏脱出大作戦」(1998年~、テレビ東京)が放送終了し、次なる題材を探していた時、石川氏は林下一家に出会った。
一家が岩手県久慈市を離れ、鹿児島県奄美大島での生活を始めるというのが、第1回放送のおおまかなストーリーと決まった。
石川氏は、あるシーンを見て、清志氏のキャラクターの面白さを痛感したという。
「3年間住んだ岩手の家を片付けた後、引っ越しのトラックを見送り、これから奄美へ出発するという段になりました。その時、清志さんが『忘れ物した』と言って、巨大な電気釜を家から持ち出してきたんですよ。8人の子どもを連れて行くだけでも大変なのに、電気釜まで抱えていくわけにはいかないと普通は考えるでしょう。でも、清志さんは違います。ぞろぞろと子どもたちを引き連れながら、9人分の米が炊ける重そうな電気釜を最後まで片手で持っている。こんな面白いシーンが撮影出来たのは、清志さんがある意味、普通じゃない感覚を持った人だからです。テレビを見た人にとっては些細なシーンかもしれませんが、清志さんのその行動を見て、これは面白い番組になると確信しました」
電気釜を片手に岩手を出発した清志氏は、新幹線と飛行機を乗り継ぎ10時間かけて鹿児島本港へ。そこからさらにフェリーに14時間乗り、やっとのことで奄美大島までやってきた。
自給自足の生活
林下家の新居は、奄美大島の大和村に建つ築50年、家賃3000円の一軒家だった。
「番組がめぼしい家をいくつか見つけた上で、清志さんと相談してこの家に決めました。23年間空き家だったところなので、家は荒れ放題。まずは、庭の草刈りや障子の張り替えなど、家族で力を合わせてリフォームする様子を撮影しました」(同)
風呂場の無い家だったため、近所の人の援助で浴槽も設置した。
「引っ越してからしばらくは、ビニールプールで水を浴びたり、女の子は近所の人の家にお風呂を借りに行ったりしていたんですよ。村の方は本当に親切なのですが、いつまでも甘えるわけにはいかないと、家でもお風呂に入れるようにしたのです。といっても浴槽を設置しただけなので、2リットルのペットボトルに水を入れて、それをシャワー代わりにして使っていました」(同)
食費を節約するために、子どもたちが釣ってきた魚や畑で育てた野菜を使って料理する毎日であった。
「清志さんは、村の方に色々と助けてもらいながら自給自足の生活を目指しました。ご近所さんから分けてもらったニラの苗を畑で育てたこともあったのですが、これは、『本格的に畑作業でもしたら面白いんじゃないか』と番組が提案したところ、清志さんが乗り気になってくれたので実現しました」(同)
それが番組では、こんな“ストーリー”として描かれた。清志氏は、自宅にオープンした接骨院になかなか客が集まらず、今後の生活について思い悩む。そこで、何かと世話を焼いてくれる区長に「自分の仕事での収入をあてに暮らしていくのはなかなか厳しいから、畑とか借りられれば自給自足で賄えるかもしれない」と相談する……。
「めぼしい土地を見つけ、持ち主と話を付けてきたのは番組ですが、何もかもお膳立てするわけではありません。村の方に畑を案内してもらうところなどは、事前に打ち合わせをするわけではなく、清志さんの自然な反応を撮影しました。それ以外の場面でも、番組は事前に色々と調べたり、提案したりはしますが、村の方との交流や一家の反応はありのままの姿を撮影しています」(同)
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