深田恭子、適応障害の原因は 恋人との関係、オーバーワークの実態は
「すごく仲が良くて」
特に前澤氏は、深田の活動休止発表のわずか2日後、自身のSNS上で〈親友であり、尊敬する社長、杉本さんのインタビュー。コラボでお金贈りしてくれた最初の人。深キョンちゃんの大切な人。普段の呼び名は杉ちゃん。いつもありがとう〉と意味深な投稿をして物議を醸し、すぐ削除している。実際のところ深キョンと杉本氏の関係はどうなっているのか。
さっそく前澤氏に電話で尋ねたところ、
「僕は人様のプライベートなことはコメントしないんで。また他に何か協力できることがあれば。はーい、すいません」
そこで杉本氏から〈父〉と慕われる見城氏にも話を聞いてみると、
「二人は結婚を前提に順調な交際を続けていますよ。すごく仲が良くて、ほとんど毎日会って一緒に飯を食っている。最近はそれもままならないほど忙しかったようだけど、二人の関係が病気に影響したなんて1ミリもないよ。単純に売れすぎてハードスケジュールになって体調を崩した。それを『適応障害』という言葉で発表したんじゃないのか」
で、当の杉本氏本人は、
「申し訳ありません。お話しすることができません」
と語るのみだったが、「適応障害」の正体を知ることで、二人の関係性も見えてくるかもしれない。
まずはどんな病気なのかを、精神科医でハタイクリニック院長の西脇俊二氏が端的に解説してくれる。
「適応障害は、何らかのストレスに対する反応として、心身に不調をきたす病気。簡単にいえばうつ病の一歩手前ですが、ストレス要因を取り除けば症状が軽くなるのが特徴ですね。さらにうつ病と違うのは、心理的ストレスとなる体験を原因として明確に特定できる点です」
心療内科医の海原純子氏もこう話す。
「病院に来る患者さんの大半は、発症理由について思い当たることがあると言います。仕事が増えたとか、異動や転勤で人間関係が大変になったとかネガティブな理由のみならず、進学や昇進などポジティブな変化でもストレス要因になるんです。我慢強くなんでも引き受けるタイプの人や、立場的に弱音をはけない方が過剰に環境へ適応しようとして発症する傾向にありますね。芸能人の方は、感情を抑えなければいけない仕事だから大変だと思います」
具体的な症状は非常に多様だと海原氏は続ける。
「頭痛、めまい、それから胃腸障害などの食欲不振、下痢、心臓が痛いなど。心の症状としては不安感が生じたり、不眠、気持ちが落ち込む、やる気が出ない、集中力が続かないなどです。行動部分では、動作が遅くなる、ミスや遅刻が増えるといった症状も見られます」
これらの症状が2週間ほど続き、かつ前述したような環境の変化が3カ月以内に起きていたら、適応障害の可能性が高いそうだ。
「親としては心配」
さらに悩ましい事に、臨床現場ではコロナ禍の影響が如実に表れているという。
「新型コロナの影響で、適応障害になる方がとても増えており、特に多いのが女性の患者さんです」
と話すのは、『もしかして、適応障害? 会社で“壊れそう”と思ったら』の著者で、もりしたクリニック院長の森下克也氏だ。
「適応障害は女性に限りませんが、男性に比べて日々のコミュニケーションがメンタルに影響する人が多いことはハッキリしています。人との会話で心のストレスをリセットしている女性が多いので、いざ在宅生活になると一人で考え込んでしまう傾向が強い。30代後半以降の方だと結婚に悩む人も多く、発症する直接の原因になるわけではないですが、ストレスとして抱える人は非常にいます」
前出の西脇氏によれば、
「結婚や出産、恋愛などのストレスを抱える患者さんは私のところにもやってきます。コロナ禍で、仕事以外の人間関係が交際相手に限られるような状況がストレス要因となり、適応障害になる可能性はあります」
深田を蝕(むしば)んだ一番のストレスは過重労働であろうが、彼女のパートナーが病を癒やしてくれる存在になるか否かが、今後の治療において重要なポイントとなりそうである。
所属するホリプロは、
「(結婚問題は)プライベートなことなので、お答えを差し控えさせていただきます。深田に仕事で過大な負担を与えたという指摘は事実ではありません。撮影中に体調を崩して医務室に運ばれたのは事実です。撮影後にマネージャーを大きな声で呼んだことはあったそうですが、奇声など発していません。そうならば、深田がメンタルに問題があるような話になってしまいます」
最後に都内にある深田の実家を訪ねると、ステテコ姿の実父が応対してくれた。
「ホリプロさんが発表している通りで、それ以上のことは何も言えません。ただ、親としては心配していますし、娘の幸せを願う気持ちに変わりはありません。これ以上はなにも……」
そう話すと静かにドアは閉じられた。かつて尊敬する人物は「父親」と答えていた深田だけに、親子の愛に偽りは感じられない。最愛の人に支えられ、再び檜舞台へと復帰することを、今はただ願うばかりなのだ。
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