「妻が最後に発した言葉は、娘の名前でした」 “無罪主張”の日立妻子6人殺害の父親が寄せていた手記
妻が最後に発した言葉は、娘の名前でした
4時10分、4時20分。私は包丁を利き手の左手に持ち、再び寝室の入り口に立ちました。部屋に入ってしまったら後戻りはできなくなると、布団に戻ったのですが、息が上がり、身体が震えている。心の中は「どうすんだ、どうすんだ」の繰り返しでした。テレビ画面の左上は「4:30」。長男が起きてくる。起きている状態を刺すなんてできない。誰か俺を止めてくれ。
「4:39」と確認できたのが、私がテレビを見た最後です。ゆっくり寝室に向かい中に入ると、妻は頭を奥に、腕組みをして横向きに寝ていました。私は妻を跨ぐような格好で近づいて行きました。私の足が妻の腰のあたりまで来て、私は動きを止めた。右手を壁につけ、前かがみで妻の横顔を覗きました。
月明かりでぼんやりでしたが、妻の顔が見えました。身体自体が心臓ではないかと思うほど全身がバクバクしだし、ガタガタと震えが止まりませんでした。そのまま動けずに数分いたかと思います。
妻が最後に発した言葉は、娘の名前でした。
ひたすらロビーで叫んでいた
「早く私も逝かなければ、おいていかれてしまう」と、ガソリンタンクのフタを開け、私は自分の足元に撒きました。廊下にも撒いた。リビングにライターを取りに行き、玄関の近くに置いていた段ボール箱をちぎり、切れ端に火をつけ足元に落としたのです。炎が上がる中、ガソリンをかぶろうとタンクを探すのですが見つからない。包丁もどこへいったか分からなくなっていた。
私は外へ出て燃えているジャージを脱ぎ捨て、車に乗り込みました。靴下からは炎が出ていて、左足の肉も燃えていましたが、そんなことよりも、とにかく早く私も死ななければと急いでいたのです。
この先に公園がある、そこで死のうと考えたのですが、公園に死ぬための道具などあるはずはなかった。自首というよりも、妻と子供たちのことを伝えなければと警察に乗り付けたのです。記録では午前5時出頭となっています。
このあたりは記憶が断片的なのですが、「ごめんなさい。妻と子供を刺して火をつけました」と、ひたすらロビーで叫んでいたのは鮮明に覚えています。何人かに抱えられ、2階の取調室近くのパイプ椅子に座らされたあたりから、徐々に我に返りました。外を数機のヘリコプターが飛んでいて、バタバタという音が耳に響いてきました。長袖のTシャツにパンツ姿の私の右手は出血していて血だらけで、両足は焦げて水泡がいくつも膨らんでいた。
取調室に連れていかれたのは、午前9時過ぎでした。
「上のお姉ちゃんの死亡が確認されたから、殺人で緊急逮捕する」
と、手錠をかけられました。夢妃はアパートから、病院に搬送されていました。
「刑事さん、他の五人はどうなりましたか」
「俺はわからない」
翌日、弁護士に同じ質問をすると、「今、私の口からは言えない」との返事でした。もう一度、私は同じ質問をしました。その答えですべての結果を私は知ったのです。「全員、お亡くなりになりました」と。
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