インテリジェンスと権利自由を両立させる――小林良樹(明治大学公共政策大学院特任教授)【佐藤優の頂上対決】
よもやの疫病禍ですっかり忘れられているが、21世紀は「テロの世紀」である。9・11米国同時多発テロやパリ同時多発テロ、そして幾多の極左、極右テロ。各国の諜報機関は情報収集に鎬を削るが、我が国でそれを担うのは内閣情報調査室だ。その情報分析官を務めた元警察官僚が語る日本の安全保障。
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佐藤 小林先生は明治大学大学院で教鞭を執っておられますが、もとは警察官僚でした。香港、アメリカと在外公館にも2度赴任され、高知県警本部長を務めて、最後は内閣情報調査室(内調)に勤務されていました。
小林 はい。2年前、内閣情報分析官を最後に退官しました。
佐藤 退官前から慶應義塾大学でも教えるなど多彩な活動をされていますが、インテリジェンスの実務を知り、かつ学術研究もされているのは、おそらく日本で小林先生だけだと思います。
小林 過分なご紹介を頂戴し、恐縮です(笑)。もっとも私は、公務員としてインテリジェンスの本流を歩んできたわけではありません。警察庁の課長級以上の幹部ポストで勤務する機会は、残念ながらありませんでした。内調でも組織運営の中枢のポストでの勤務経験はありません。
佐藤 警察のインテリジェンス部門である警察庁警備局は、カウンターインテリジェンス(防諜)機関です。いろんな対象組織に人を送ったりもしますが、基本は防御で、守りです。一方、私がいた外務省はポジティブで情報を取りに行く。だから警備局は異質で、仕事の手法が噛み合わないところもあります。
小林 私は中枢ではないところで勤務する時間が長かったので、さまざまな学術的な勉強をする余裕なども多少ありました。やや不謹慎ですが、こうしたことが、結果的に現在の学術研究の仕事に繋がっているのかもしれません。
佐藤 最後にいらした内調は、日本で最も誤解されている組織の一つではないかと思います。米国のCIAみたいに、工作員が誰かを尾行したり、インターネットに書き込みをして情報操作しているなどのイメージがありますが、そんな人はいませんよね。
小林 確かに誤解されている面は多いと思います。
佐藤 内調の調査官には、各省庁の室長や課長レベルの人が行きます。彼らは本省なら数十人の部下を持つその分野の第一人者です。それでも内調に行くと机一つになる。
小林 比較的少数精鋭の組織であることは確かですね。
佐藤 官僚のランクで言うと、非常に高い地位にある人たちが集まる役所です。小林先生は情報分析官ですが、そのポストは国家公務員の指定職(一般職のうち給与体系が異なる最高幹部。全体の0・3%ほど)です。それがどんなお仕事だったのか、お話しできる範囲でご披露いただけますか。
小林 内閣情報分析官は2008年に発表された「官邸における情報機能の強化の方針」という政策文書に基づき新設されました。単独の役所ではなく、インテリジェンス・コミュニティの全省庁が協力して、オール・ソース・アナリシス(総合的な分析判断)の「情報評価書」を作成するというのが制度趣旨です。
佐藤 オール・ソースなのですね。
小林 インテリジェンス・コミュニティのメンバーと位置づけられているのは、内調に警察庁、外務省、防衛省、公安調査庁です。それに拡大メンバーとして財務省、金融庁、海上保安庁、経済産業省が入ります。
佐藤 経産省はセミプロながら、全体がインテリジェンス機関みたいなところがあります。
小林 輸出貿易管理も担当しますから、最近流行の「経済安保」の最前線に位置する省庁の一つと言えます。
佐藤 各省庁は協力的でしたか。
小林 少なくとも私が勤務していた当時は、情報共有も含め、関係省庁間の協力は相当進んでいたと思います。
佐藤 仕事はどのように進めていくのですか。
小林 まず内閣に設置された合同情報会議から「こういう課題に関するインテリジェンス評価が知りたい」という「情報要求」が与えられます。それに基づき関係省庁から関連情報を集めて協議し、情報評価書を起案します。そして上司である内閣情報官の了承を得た上で、合同情報会議に報告します。合同情報会議での了承を得られた評価書は正式に内閣のオール・ソース・アナリシスのプロダクト(成果)となり、総理大臣をはじめ政府内に配付されます。合同情報会議は内閣官房副長官(事務)がトップで、関係省庁の幹部で構成されています。
佐藤 そうすると、必ずしも専門家ではない人たちにも分かるように報告しなければいけないわけですね。
小林 さまざまな分野に見識のある複数の幹部による検証を受けるので、合同情報会議は独りよがりの分析にならないためのチェック機能として、非常に重要な機会だと思いました。
佐藤 やはり情報分析の仕事は、自分一人でする判断という面があります。だから自分の目が曇っていないか、いままでの因習に囚われていないか、あるいは自分で得た情報に偏りすぎていないかなど、いろいろ留意するポイントがあります。
小林 ご指摘のとおりだと思います。
佐藤 一昔前、私が現役だった頃のアメリカでは、ロシア情勢の分析官は、目が曇るからロシア語ができてはいけない、同じように中国の分析官は中国語ができてはいけないと言われていました。さらにロシアに行ってもいけないし、ロシア人の親族がいてもいけない。情報の収集と分析を徹底して分けていました。
小林 私はインテリジェンス機関の組織の在り方に関する理論研究を専門としていますが、ご指摘の「情報の収集と分析の分離」は、インテリジェンス理論の中でも、分析の客観性を維持するために重要なポイントです。同様に、インテリジェンス部門と政策部門の関係の在り方も重要なテーマです。インテリジェンスの客観性を確保するためには、インテリジェンス部門と政策部門を分離すべきだとされます。しかしインテリジェンス部門が政策部門のニーズを適切に把握するためには、双方が一定の意思疎通を図る必要もあります。この矛盾の調整は、学術的にも実務的にも重要なポイントです。
存在秘のチーム
佐藤 1997年に日露関係が急に動き出したことがありました。その際、外務省には本格的にインテリジェンス活動を展開する組織がないから、チームを作れと言われたんですね。それも存在秘のグループにしろと命じられたのです。
小林 それは興味深い話ですね。
佐藤 法的根拠が必要なので、存在秘の組織を作ることを決めた決裁書があります。詳しくは拙著『国家の罠』(新潮文庫)に書きましたが、私の裁判で、裁判所がこの決裁書を提出せよと外務省に命じたところ、川口順子外相(当時)は、国益に影響するので存否を含め答えられないという書類を提出し、このチームは歴史から消されてしまいました。チームでは、首脳会談でロシアがどんな話を出してくるか、どんな案を持っているかなどの情報を集めて分析し、満足のいく仕事ができたのですが、しばらくして官邸から「政策も作れ」と言われたのです。
小林 そうでしたか。
佐藤 「政策に関係すると、情報収集と分析が曲がりますから、できません」とお断りしたのですが、「お前はそれで曲げてしまう人間なのか」と押し切られてしまいました。その後、このチームで政策を作るようになると、本来、政策を担当するロシア課との関係は当然悪くなります。またチームでは局長と同等以上の情報を共有することになる。するとその集団は先鋭化し、組織の中で調和が取れなくなっていく。
小林 インテリジェンス理論の定石から言えば、インテリジェンスと政策は分離されるべきですが、現実には、そうはなっていない場合もあります。こうした理論と実務の乖離も学術研究上のポイントです。
佐藤 結局、チームは私が逮捕されてバラバラになりますが、その前から、あそこはとんでもないところだと陰口を叩かれていました。だから以後、外務省は国際情報局を国際情報統括官組織に格下げするなど情報関係の部署を弱体化させ、ヒューミント(人を介した情報収集)やコリント(インテリジェンス機関の相互協力)を縮小するのです。
小林 インテリジェンスの仕組みは、その国の政治制度や歴史的背景にも大きく影響を受けます。インテリジェンス部門と政策部門の分離も、万国共通の「正解」があるのではなく、各国の事情を踏まえた個別具体的な検討が必要です。
佐藤 学術研究ではアメリカが進んでいると思いますが、それでもトランプ政権下では、CIA長官だったマイク・ポンペオが重用され、国務長官にもなりました。
小林 トランプ前大統領は、学術理論的にみると、米国のインテリジェンスと政策の関係に相当なダメージを与えたと思います。インテリジェンスが適切に運用されるか否は、利用者である政策決定者のリテラシーにも大きく左右されます。
佐藤 私が親しくしているイスラエルのモサドは、国のサイズが小さいこともあるのでしょうが、かなり政治を忖度します。それからロシアはプーチンが対外情報庁の前身であるKGB(国家保安委員会)の第1総局出身です。だから政策決定において対外情報庁から入ってくる話は信じますが、外務省や軍の諜報総局からの情報は話半分にしか聞かない。だから非常に属人的です。たぶん日本は、本来のアメリカ的なシステマチックなインテリジェンスより、ロシアやイスラエルに近いと思います。
小林 「日本に適したインテリジェンスの仕組みはどのようなものか」という点は、まさに現在進行形の重要論点です。日本の場合、こうした点も含めてインテリジェンスの学術理論研究にはまだまだ発展の余地があると思います。
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