【ブックハンティング】介護者が認知症当事者の視点に立って描く、切実さと苦悩

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 「食べ物がないんだよ」
 「携帯がなくなったんだよ」
 「お香典のお金がないんだよ」

 ──書いているだけであーっと小さく叫びそうになる。朝早くからかかってきて、切ってもまたかかってくる電話。「ヘルパーさんに頼んだから」「携帯はわたしが持ってるから」「お金は今度持って行くから」。伝わらないことを大声で繰り返す虚しさに苛立つ日々が1年以上続いた。そして先日、静かに終わった。

 84歳で死んだ父が認知症の症状を示し始めたのは、80歳前後だった。その数年間の出来事を書こうと思えば、いくらでも書ける。でもそれはあくまで、「強者」であるこちら側から見た話だ。村井さんは逆、つまり認知症当事者の視点に立った。徹底的に。それがこの『全員悪人』だ。

 語り手の「私」は、80歳の老女。彼女は、自分を置き去りにして変わってゆく周囲への怒りを吐露する。知らない女が家に入り込んできて勝手に料理をする、ケアマネという人が哀れな生き物でも見るような目で自分を見る、今家にいるお父さんは本当のお父さんではなく「パパゴン」というロボットで、偽物のくせに偉そうな態度をとる──

 「私」の生活には、義理の娘である「あなた」がたびたび登場する。「あなた」は〈私が育てあげた〉のに〈この家を乗っ取ろうとしている〉悪人だ。お父さんは若い女と浮気をするし、「白衣の人」は不必要な入院を勧めてくるし、誰ひとり味方がいない淋しさと憤りが膨らみに膨らんで、「私」はどんどん攻撃的になっていく。長年華道を教え、完璧な主婦でもある自分が、なぜ不当に扱われなければならないのだろう? そう思う一方で、よく知っているはずの道で迷ったり、人の言っていることが分からなかったりするとき、「私」は自分を幽霊のような存在だと感じ、たまらなく寄る辺ない気持ちになる。

 他人だけでなく自分も信じることができない。体も思う通りには動かない。絶望と恐怖に耐えながら「私」は生きている。ごまかしたり、言い訳をしたりするのは、自分を保つための必死のディフェンスなのだ。その切実さの向こうに、家族の苦労が透けて見える。「あなた」の頼もしさと明るさはこの物語の救いであり、「私」を背後で支える柱でもある。

 本編の前に〈この物語は事実に基づいて書かれています〉とある。あとがきにも記されているが、村井さんのご家族の身の上に起きたことが下敷きになっているようだ。読後、父の虚ろな、怯えたようなまなざしを思い出さずにはいられなかった。村井さんが言葉にして見せてくれたのは、わたしが読み取ることのできなかった、あのまなざしの奥にあったものなのだ。

北村浩子
1966年東京都生まれ。実践女子短期大学卒業後、メーカー勤務を経てラジオの世界へ。FMヨコハマの「books A to Z」という番組で14年間本の紹介を務める。現在はライター、日本語教師として活動中。「週刊新潮」の文庫欄、「小説新潮」のSF・ファンタジーの書評等を担当。日本語を学ぶ海外の学生とオンラインで読書会も開催(写真撮影・浦川一憲)

Foresight 2021年6月6日掲載

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