「デジタル教科書」は子どもの学力を下げる? 先行する韓国では「学習効果なし」
コロナ禍に乗じて進められる「デジタル教科書」の導入。「IT化」の美名の下、小中学校での整備が加速しているが、安易な使用は子どもの学力に深刻な影響を及ぼすという。なぜデジタルでは論理的思考力が育たないのか。数学の専門家、上智大学の辻元(つじはじめ)教授が論じる。
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この新学期から、全国の小中学校の教育現場で大きな変化が起きています。デジタル教科書の使用拡大です。すでに2年前から解禁されていたデジタル教科書ですが、使用時間は「授業時数の2分の1未満」という制限がありました。しかし、4月からそれが撤廃されたのです。
文部科学省の有識者会議は、紙の教科書を全て置き換えることも含め、3年後にデジタル教科書を本格的に導入することを検討しています。
政府はそれ以前から、小中学校におけるパソコン端末の1人1台の配布を目指す「GIGAスクール構想」を推進してきました。昨年、新型コロナウイルスによる臨時休校が長引く中、文科省は整備を前倒しし、この3月までに97・6%の自治体が児童生徒の手元に端末を行き渡らせました。
このように、政府はICT(情報通信技術)の授業活用を急速に進めています。
その背景には、AI(人工知能)の利活用に関しアメリカや中国に遅れをとっていることがあるでしょう。AIを使いこなせる人材を育成し、日本の国際競争力を高めようという思惑があるのです。しかし、その姿勢は前のめりに過ぎると言わざるをえません。
一昨年、政府は「AI人材戦略」を策定し、2025年には年間25万人のAI人材を育成する計画を立てました。
しかし、年間25万人という数は、大学生1学年の半数であり、理系、保健系の大学生18万人だけでは足りません。文系学生からも7万人をAI人材として育成する必要があり、相当無理な計画であることは否めません。
教育現場からも不安の声が上がっています。読売新聞が、全国の815の市区町村の教育委員会にアンケートを取ったところ、うち86%が、教員の指導力や児童の視力低下などの点から、デジタル教科書の使用に「懸念」を持つと回答しています。しかし、何より重要なのは学力への影響です。政府が推進するICT教育ですが、現実にはどの程度の効果があるのでしょうか。
日本や海外における、デジタル教科書を使用した教育の先行事例を見てみることにしましょう。
日本においては、14年から佐賀県武雄市が、東洋大学と共同で比較的大規模にデジタル教科書を授業に導入(スマイル学習)しその効果を検証しています。しかし、学力との相関は一部の学年・科目・単元のみでしか見られず、明確な効果については明らかになっていません。むしろ、明確な効果は認められなかった、というのが真実ではないかと思います。
具体的には、14年度の小学5年生における算数のスマイル学習実施率と、実施前の成績との変化率の相関を分析した結果、相関関数は「マイナス0・20697」となり、正の相関関係は見られませんでした。
もともと佐賀県は、教育ICT化の先進県として有名で、たとえばデジタル教科書の整備状況はほぼ100%で全国1位です。また、19年時点での授業環境の先進度(電子黒板やプロジェクターなどの整備率)でも、佐賀県は全国1位の94・6%でした。ちなみに最下位は秋田県の18・5%です。
ところが、同年度の全国学力テストでは、県別ランキングの1位は秋田県(正答率69・33%)で、佐賀県(62・33%)は47都道府県中43位でした。デジタル教科書や電子黒板の導入が学力向上につながっているのか、疑問を感じさせる結果です。
日本におけるICT教育の効果について統計的に検証した慶應義塾大学・山田篤裕研究会の論文では、
「ICT教育は学力を向上させておらず投資のコストに見合う教育効果がないこと、および現状の日本で学習に適していると考えられるICT機器はプロジェクターのみであることの2点が得られた」
という結論になっています。
ワーキングメモリーの消費
海外における事例はどうでしょうか。
韓国では、15年から全ての学校でデジタル教科書の使用が解禁されています。それに先立つ大規模なデジタル教科書の導入実験の結果に、
「成績レベルが高く大都市に住む児童にはほとんど効果が見られなかったが、成績レベルが低いあるいは地方(特に田舎)に住む児童には成績の向上が見られたのである」(「21世紀型学力を育むフューチャースクールの戦略と課題」第44回SGRAフォーラム)
とあるように、デジタル教科書が得意とする分かり易さ、興味を喚起し没入を促す特性は、主に学力下位の児童には作用するようです。
しかし、同時にこの報告書は、
「デジタル教科書を活用することが学生たちの学習没入、問題解決力、自己制御学習能力の向上に寄与することが分かった。しかし、学業成績の向上においては、同じ教科にもかかわらず、相反した結果が報告されたり教科別の異なる効果が現れるなど、一貫性のある研究結果が導出されないという実情がある」
としており、学習効果は期待できないという結論になっています。
以上のように、ICT教育には生徒の興味を引く効果はあっても、学習効果としては表れていないし、効果が認められる場合でも、少なくとも現在検証できた範囲では学力下位層に限られます。
ICT教育が学力を向上させない理由は何でしょうか。これは情報量と教育効果の関係に起因するものと思います。簡単に言えば、ICT教育は視覚情報量が多過ぎて、情報量が少ない紙を読む場合に比べて、深く考えることが難しいと考えられます。
人間の思考は、与えられた情報を頭の中で短期記憶として並べ、それを処理することで成り立っています。この短期記憶をワーキングメモリーと言います。ワーキングメモリーには限界があり、それを拡張する方法は知られていません。
そのため、思考を効率的に行うには、情報をコンパクトにしてワーキングメモリーをあまり消費しないようにすることが重要です。こういった情報のコンパクト化は、必要事項を箇条書きにしたり、文書を要約したり、ダイアグラムやグラフとして視覚化したりといった形で日常的に行われていることです。
私たちは、情報を整理して極小化した形にしておくことで、思考のフリーハンドを得ているわけです。
静止画像と動画では、静止画像のほうが圧倒的に情報量が小さいのです。このため、子どもに見せるなら動画よりも写真を、更には単純化した絵を見せたほうが、ワーキングメモリーの消費を少なくすることができます。動画を見ている間はワーキングメモリーをほぼ使い切ってしまい、思考を巡らす余裕がなくなってしまいます。
授業を、ノートをとらずに録画して復習する場合と、ノートをとってそれを見返す場合の比較をしてみましょう。
録画の場合は、授業の様子が丸ごと記録されているので聴き洩らしはありませんし、何度でも繰り返し見ることができます。しかし、早送り機能を使っても復習には相当の時間が掛かりますし、録画を目で追っている間は主体的に思考することも困難です。一方、ノートをとって見返す場合には、1回の授業が数ページにコンパクトにまとまっているので短時間で復習でき、何より、主体的に考えることが可能になります。
また、ノートをとる行為そのものが、授業への集中力を高め、要点を頭の中で整理することによって理解の助けになるでしょう。私は録画を見て復習することより、ノートを見返す復習法を強く勧めます。
このように「情報量を少なくすることが教育効果を高める」ので、「考えなくても入ってくる」分かり易さを持つデジタル教材の導入は、必ずしも教育効果を高めるわけではないということを認識しておく必要があります。ICT教育の効果がテストの成績として表れていない理由も、そこにあると考えられます。
印刷された本と、コンピュータ画面とでは情報量が全く異なります。コンピュータ画面に向き合うと受け身になってしまい、主体的に考えることは困難です。ハイパーリンクの沢山ついた文章とついていない文章を被験者に読ませた後、その内容について正確に記憶しているか、内容を理解しているかを確かめた実験があります。すると、記憶の正確さも内容の理解度も、ハイパーリンクのついていない文章を読んだ時のほうが高かったのです。ハイパーリンクは一見分かり易さを増すように思われますが、文章を深く読むにあたっては注意散漫になってしまい、逆に理解の障害になっているのです。
世界のAI化の先頭を走る巨大IT企業Amazonでは、ジェフ・べゾスCEOの意向により、社内でのパワーポイントの使用を禁止していることが報じられています。会議資料も、きちんと文章形式で書くことが求められているそうです。デジタル機器は受け手に強い刺激を与えますが、その刺激が思考の妨げになり、本質的な理解に繋がるとは限らないのです。
10年には、情報処理学会、日本数学会、日本物理教育学会など理数系の教育に関わる八つの学会が連名で、デジタル教科書の導入に際しての「要望」を文科省に提出しています。
その内容は、デジタル教科書の導入が、
・手を動かして実験や観察を行う時間の縮減につながらないこと
・生徒が紙と筆記用具を使って考えながら作図や計算を進める活動の縮減につながらないこと
・授業のプレゼンテーション化が起きないようにすること
といったものです。この「要望」を読むと、デジタル機器が思考を省略してしまうことに対する、学者たちの懸念がよくわかります。
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