作家・山内マリコが「もう一度会いたい」と思う人は 5年前に突然亡くなった「東京のプリンセス」
突然届いた友人の訃報
門脇麦・水原希子出演の大ヒット映画「あのこは貴族」の原作などを著書に持つ人気作家の山内マリコさん。ある日突然、彼女に「東京」を教えてくれたある人物の訃報が届いて……。
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夜8時、帰りの電車に揺られていると、友達からLINEが入った。それは突然のあまりに悲しい知らせで、冷静にならなきゃと自分に言い聞かせながら、あわてて来た道を戻る。
駆けつけたときには、連絡を受けた人たちがすでに何人も集まっていた。華やかでにぎやかな、東京で知り合った女性たち。みな神妙な表情だ。友人に促され、前へ進み出て、棺へ向かう。そっと中をのぞきこむと、彼女は静かに横たわっていた。
純白のドレスを着ていたからか、素晴らしい鼻梁のせいか、目を閉じたその姿は、さながら古(いにしえ)のディズニープリンセスで、姫を案じておろおろする我々は森の小人のよう。小人は7人どころか次々やって来た。我らのプリンセスに王子はいなかったが、友達はたくさんいた。わたしはプリンセスの、たくさんいる友達の一人だった。
よく誘ってもらった。渋谷のイタリアン、四谷のスナック、麻布十番の高級カラオケ、果ては銀座資生堂ビルのホールで行われた誕生日パーティー。家にこもって原稿書きに追われているわたしは、彼女が巻き起こす“東京”の竜巻に、時折くるくると気持ちよく巻き込まれ、お酒を飲んだりおしゃべりしたり笑ったりする時間を過ごした。出不精で人と会う約束を億劫がる性格だが、彼女からお声がかかればしっぽをふって出かけた。人を集めて楽しい会を催す才のある人だった。
だから実を言えば、わたしは彼女と、一対一で会ったことがない。昼間に差し向かいで話し込んだことはなく、わたしは彼女の半生や考え方を、彼女の書く文章によって知った。
彼女が亡くなった年齢に
一度、雑誌の撮影を終えたあと、二人きりになったことがある。駅まで歩き、電車に乗った。いざ二人になるとなにを話していいかわからず、こちらから、なぜか下着の話題をふった。「マリコフはここの下着が似合うと思う」と、彼女は親切に教えてくれた。電車の中での不器用な、下着の情報交換。それがわたしにとって唯一の、プリンセスをひとりじめした思い出だ。
ずっとあとになって彼女のエッセイに、実は話し下手で内気なところがあるという告白を見つけた。案外、似た者同士だったのかもしれない。
葬儀はなく、わたしが駆けつけたあの日の翌日、彼女は荼毘に付された。
そこには立ち会えなかった。新刊小説のインタビューの予定がみっちり組まれていた。呆然としながら取材を終えると、夜のタクシーで編集者さんが「あのぅ、これ」と言って原稿を差し出した。それはおととい逝ってしまった我らの、東京のプリンセスが書いてくれた書評だった。
あれから5年が経ち、わたしは彼女が亡くなった年齢になった。その書評は文庫に再録させてもらい、小説は映画になった。もし映画を観たら、彼女はどんな感想を持ったろう。なにを語っただろう。東京の話だから、東京のプリンセスに、どう思ったか訊かなくては。
雨宮まみさん、わたしはあなたに、もう一度会いたい。