「BAD HOP」メンバーが語る地元・川崎“南部”の不良文化 今や成功した彼らの原点とは
“川崎サウスサイド”
一方、川崎市南部は別種のリアリティを持っている。例えば、川崎区でまさに95年に生まれ、東日本大震災が起こった2011年3月に最終学歴となる中学校を卒業したメンバーを中心に構成されるラップ・グループ、BAD HOP。彼らの楽曲を再生すると、シカゴ南部発のジャンル“Drill(ドリル)”を思わせる煽(あお)り立てるようなトラックの上で、“川崎サウスサイド”と叫ぶ声が聞こえるだろう。イリノイ州シカゴのサウスサイド地区ではギャングが熾烈(しれつ)な抗争を繰り広げており、特に11年には抗争による死亡者数が、同年にイラクで死亡した米兵の数を上回ったため、Chicago(シカゴ)とIraq(イラク)を掛け合わせ、“Chiraq(シャイラク)”とさえ呼ばれるようになった。また、ギャングのメンバーの中にはラッパーも多くいて、彼らが歌う暴力的だが切迫した表現によって、同地はラップ・ミュージックの新たな聖地として注目を集めるようになる。BAD HOPはそんなシカゴのサウスサイドと、自分たちの地元を重ね合わせているのだ。
もちろん、川崎区にもベッドタウンとしての、平穏だが退屈な顔がある。恒例のハロウィン・パレードを見物するために川崎駅に降り立った人々の多くは、この街のもうひとつの顔には気づかないかもしれない。しかし、BAD HOPのメンバーたちの身体(からだ)を埋め尽くしているタトゥーは決して仮装ではない。そんな彼らにとって身近なのは、同じ市内の北部よりも、むしろ、重工業地帯としてつながっている横浜市鶴見(つるみ)区かもしれない。また、その身近さは敵対という形をもって表現される。
暴力団の部屋住みを経てラッパーに
14でsmoke weed 15で刺青(いれずみ)
16で部屋住み で傷は絶えずに
犯す間違い できない真面目(まじめ)に
お巡(まわ)り相手に 日々が戦い
何度もブツを捌(さば)いた
欲のため人騙(だま)した
女も金に変わった
馬鹿(ばか)は喰いものになった
シャンパンにweed 毎晩party
汚いmoney 関係ない
飼い殺し バビロンの犬
欲溺(おぼ)れて先なら見ず
17、18 2年の空白
次で見つけた 夢が膨らむ
BAD HOP 新たな生き方
変わりゆく 昔の日々から
――BAD HOP「Stay」AKDOWのパートより
AKDOW(悪童)と名乗るラッパーは、彼の激動の10代を16小節で端的にそう表現する。そして、横浜市鶴見区臨海部の町・生麦(なまむぎ)で生まれ育ち、中学生のときに暴走族に加入、卒業と同時に地元の暴力団の部屋住み(事務所に住み込み、雑用を担当すること)を始めるにあたって、40万円をかけて両肩を和彫りで埋め尽くした彼の、今ハンドルを握る拳(こぶし)に刻み込まれているのは“B・A・D・H・O・P”という六つのアルファベットだ。
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