『枝野ビジョン』は枝野代表の政権奪取宣言かブーメランの宝庫か
立憲民主党の枝野幸男代表の著書『枝野ビジョン 支え合う日本』(文春新書)が好調な売れ行きを示している。執筆に7年もかけたという枝野氏にとっても喜びはひとしおだろう。
もっとも、ネット書店でのレビューを見ると、高評価と低評価の両極端に分かれているようだ。「星5つ」が最も多いのだが、その次は「星1つ」という按配である。
基本的に著書というのはファンが買うのだから、高い評価が多いのは当然だし、一方で枝野代表の場合、アンチが批判のために読むことも多いのかもしれない。
その意味では、枝野代表が懸念している社会の分断をなくすのに貢献できているとまでは言えないのだろう。
立憲民主党など旧・民主党系の野党が今一つ多くの支持を得られない理由の一つは、2009年の政権交代後の政府が大きな失望を買ったから、というのは定説である。その理由を同書で枝野氏は「経験不足」だとしている。
また、もう一つの理由として挙げられるのが、「ブーメラン」的な言動である。自公政権などを責めた言葉が、そのまま自分たちにも返ってくる、というケースが少なからずあるようなのだ。もちろん、完璧な人間も政党もないのだから、そういうことがあっても仕方がないのだが、責める言葉が強すぎるがゆえに、ブーメランの威力も増してしまう。
そうした現象は、7年がかりの同書にも見られる。
同書で枝野氏は吉田茂に代表される戦後「保守」の歩みを高く評価し、それを壊したのは安倍政権だ、という見解を示している。たとえば次のような一節だ。
「第二次安倍政権発足以降の自民党からは、しばしば、『選挙で多数の民意を得た政権が、民意に従って政権推進を強行することの、何が悪いのか』という、傲慢とも言える姿勢が感じられた。残念ながら、こうした姿勢は、後任の菅義偉政権にも引き継がれてしまった。
私自身、立憲主義の重要性を訴えると、自民党の支持者などから、『多数の民意を得た政権の判断を否定するのはおかしい』と批判されることがある。
しかし、そもそも民主主義と多数決はイコールではない。民主主義とは、『みんなで話し合い、みんなが納得できる結論を導き出す』ことである。多数決は、みんなが納得できる結論を導くための、一つの手段にすぎない」(『枝野ビジョン』より)
しかし、これを読んで一部の人が思い出すのは、菅直人首相の有名な答弁だろう。
「ちょっと言葉が過ぎると気を付けなきゃいけませんが、議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだと思っているんです。しかし、それは期限が切られているということです。ですから、四年間なら四年間は一応任せると、よほどのことがあればそれは途中で辞めさせますが。しかし、四年間は任せるけれども、その代わり、その後の選挙でそれを継続するかどうかについては選挙民、有権者が決めると。そうでないと、余りにも途中で替わると、私はそれは国の指導部としての、何といいましょうか、そのことによるマイナスが大きいということがあるからです」(2010年3月16日参議院内閣委員会)
要するに「4年間という期限を区切って、与党がやりたいようにやるのが議会制民主主義だ」という主張である。この「独裁」発言は、その後国会で何度も問われているが、菅直人首相は否定や撤回をしていない。そして、この政権で幹事長代理や官房長官といった要職を務めていたのが枝野代表である。
枝野氏は、安倍政権の問題点として、社会の分断を進めたことも挙げている。
「安倍晋三前総理やその側近にみられた、自らを批判する勢力は全て間違っているかのように振る舞う独善的な姿勢、国民を敵と味方に分けて味方以外を敵視する姿勢もまた、全く『保守』的ではない。
自分と異なる価値観を一刀両断で否定する姿勢は、合意形成を重視してきた日本の歴史や伝統とは異なる。自分が独善的に『正しい』と信じる社会を思い描き、あらゆる異論を排して、『この道しかない』とまっしぐらに進もうとする姿勢は、本来の『保守』主義が嫌う姿勢であり、それはむしろ『確信』に近い」(『枝野ビジョン』より)
これもまた、過去を知る人は「?」と思うかもしれない。仮想敵を設定する政治手法は安倍政権特有のものではなく、洋の東西を問わずに存在している。近年では小泉総理の「郵政民営化」やトランプ大統領の言動、さらにはアジアの近隣諸国の反日政策もその典型だろう。
そして民主党政権時代における「事業仕分け」も、一方的に官僚を「敵」と設定することで、人気を博したのは事実である。
菅直人首相退陣時、櫻田淳東洋学園大学教授は、朝日新聞に次のようなコメントを寄せている。
「鳩山由紀夫、菅直人の両民主党内閣では執政に際し敵を演出する手法が採られた。鳩山首相は政治主導や事業仕分けで官僚層を敵に設定し、菅首相は震災前には小沢氏、震災後は経済産業省や東京電力などの『原子力村』を敵と見なした」(2011年9月9日付)。
枝野代表は、民主党政権が国民の期待に応えることが出来なかった理由について、こう述べている。
「その答えは、目に見える表層的な面をとらえるか、背景となり水面下にあった構造の点でとらえるかなど、人によって切り口が異なる。多様な切り口で見ている皆さんの、大方を納得させる答えは出せないし、当事者の自覚こそが本質であって、外に向かって大声で叫ぶものではないと考えている。
ただ、経験不足がさまざまな現象の根っこの部分にあったことは間違いなく、この認識を多くの皆さんに共有していただくことが、『次』に向けて不可欠だと感じている」(『枝野ビジョン』より)
意地の悪い見方をすれば「多くの人のツッコミにいちいち答えることはできないし、そんなのは無理。経験不足、ということで理解して次はよろしく」という主張にも取れるだろう。
菅内閣の支持率同様、自民党の支持率も落ちているが、立憲民主党の支持率アップにはつながっていない、というのはいつもの通りである。
政治部デスクに総括してもらうと、
「野党の議員に売れていると聞いて読みましたが、ビジョンを謳う割にはビジョンがないなぁという感想で、永田町ではあまり話題になっていないです。ひとえにこの本が新しい価値観やものの見方を提案したわけではないからでしょう。枝野さん本人は選挙前のタイミングで出版できて良かったと話しているようです」
「経験不足」と反省したことについては、
「その通りだと思います。しかし、政権与党が経験不足では国民のみならず諸外国は困ります。さらに言うと、政権を失ってから9年が経過する中でどんな経験を積んだのか国民にわかりやすく伝わっているでしょうか? 多数決についても、支持政党なしというが4割ほどで推移しており、その勢力をいくらかでも取り込み、アンチ政権与党を糾合すれば政権奪取は可能でしたし、これからもそうでしょう。政権与党とは違う魅力を訴え、支持を獲得する努力をせず、負け続けると多数決というルールに異議申し立てするような姿勢では、民主党政権の悲劇は払拭できないと思います」
果たして「ビジョン」が「リアル」となる日は来るのだろうか。