テルアビブ空港乱射事件から49年 元日本赤軍「岡本公三」容疑者の今

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今もレバノン在住

 テルアビブ空港乱射事件は今から49年前の1972年5月30日に発生した。3人の日本人がイスラエルの空港で自動小銃を乱射し26人が死亡、73人が負傷した。まさに背筋も凍るようなテロ事件だ。(一部敬称略)

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 来年は事件から50年の節目を迎える。60代以上の読者なら“光陰矢のごとし”の感慨を持つ方も少なくないだろう。

 この記事では、乱射事件の犯行グループのうちただ1人だけ生き残り、犯行後、イスラエルの警察に逮捕された岡本公三容疑者(73)の近況を伝える。警察庁が作成した「国際手配中の日本赤軍」というポスターで、岡本容疑者の写真を見た方もいるだろう。

 テルアビブ空港乱射事件で、日本の警察は岡本容疑者を殺人容疑などで国際手配を行っている。だが後述するように、岡本容疑者は事件後、イスラエルの警察に逮捕され、終身刑の判決が下った。

 日本赤軍は70年代に結成。74年から日本赤軍を自称し、テルアビブ空港乱射事件やダッカ日航機ハイジャック事件などを引き起こした。2001年に解散したことになっており、岡本容疑者の肩書を「元日本赤軍メンバー」と表記した記事も散見される。

 今回、岡本の支援活動に携わる映画監督の足立正生氏(82)に取材を依頼した。岡本容疑者は73歳という年齢もあり、健康状態が芳しくなかった時期もあったという。そもそも岡本容疑者はイスラエルで苛酷な拷問を受けた後遺症で、統合失調症になったことも明らかになっている。

空港は地獄絵図

 足立監督のインタビュー内容をご紹介する前に、まずは乱射事件と岡本容疑者について説明しておこう。

 事件が起きたのは、イスラエルのロッド国際空港(現:ベン・グリオン国際空港)だった。関係者が言う。

「当時のロッド空港は、イスラエル空軍も使用していました。そのためテロ行為の目標に選ばれたようです」

 朝日新聞の縮刷版を見ると、5月31日の夕刊1面で事件を速報したことが分かる。1面で他に載っている記事は沖縄県知事選だけで、大ニュースとして報じたのが一目瞭然だ。

 見出しは「日本人ゲリラ3人が乱射 テルアビブ空港の待合室 死亡26 重軽傷72 犯人2人死に1人を逮捕」というものだった。1面の記事から一部をご紹介しよう。(註:以後、漢数字はアラビア数字に改める)

《パリ発ローマ経由のフランス航空機から降り立った男の3人組が国際空港待合室の群衆約300人に向けて自動小銃を乱射、さらに手投げ弾数発を投げ、空港は逃げまどう人々の悲鳴と流血で一瞬にして地獄絵図と化した》

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