「ウーバーイーツ」と覇権争い「出前館」創業者が振り返る「私に残ったのは借金10億円だけでした」
映画をヒントに
コロナ禍で人気のフードデリバリーの二大勢力は「出前館」と「ウーバーイーツ」と言えるだろう。そもそも、「ネットで宅配」のビジネスモデルを日本に定着させたのは、出前館創業者の花蜜幸伸(はなみつこうしん)である。ところが彼は、出前館との関係を完全に断たれ、一時は「住所不定無職」にもなった。当の花蜜氏が、波瀾万丈の半生を辿る。
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花蜜氏の初の起業は1991年、21歳のとき。大学受験に失敗し、大阪でバイク便の会社を興した。ネットの普及とともに、バイク便で運んでいたCDロムや版下などを「添付ファイル」のかたちで受け渡しするようになり、
「会社の先行きに不安を覚え始めたころに観たのが、米国の“ザ・インターネット”という映画です」
ネットでピザを注文するシーンにヒントを得た花蜜氏は、99年、出前館の運営会社「夢の街創造委員会」を設立。
「当初、私が社長を務めましたが、事業が軌道に乗った2002年、現社長の中村利江に譲り、会長職に退きました。中村はもともと、加盟店の一つ“ほっかほっか亭”のマーケティング部長でした」
05年に花蜜氏が経営から完全に手を引く。そして翌年、夢の街は「大証ヘラクレス」に上場。中村社長は、筆頭株主だった“TSUTAYA”を運営するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)から役員参画を持ちかけられ、09年、夢の街を去った。
猛烈な空売り
中村氏は2年半ほどで古巣に会長として舞い戻った。その後、社長に復帰した中村氏の要請で花蜜氏も特別顧問として夢の街に戻る。中村氏と同等の発言権を得ようと株を買い集めたが、意図的に株価を下げようとする動きが現れ出す。花蜜氏は、保有する現物株をキャッシュに換え、知人らからの借金10億円も信用買いに投じた。
資金調達が苦しくなり、外資系の証券マンから紹介された米国系ファンド「ハドソン・ベイ・キャピタル・マネジメント」と契約した途端、猛烈な空売りが入る。花蜜氏の抵抗もむなしく、信用買いしたすべての株は強制決済される結果に。
「私に残ったのは、10億円の借金だけでした」
後々、空売りを仕掛けたのはハドソン・ベイだったという事実が判明する。すべてを失ったベンチャー起業家に対し、証券取引等監視委員会が「相場操縦」「株価固定」の疑いで特別調査に乗り出したのは、その8カ月後のことである。(つづく)
「週刊新潮」2020年5月28日号「MONEY」欄の有料版では、自ら興した出前館をめぐって花蜜氏が追い込まれていく経緯を詳報する。