元小結「竜電」が不倫相手に中絶強要 1500万円で口止めを持ち掛けるも、女性は拒否
昨年、新型コロナウイルスにより28歳の若さで弟弟子が亡くなった悲劇のかたわら、愛人と逢瀬を繰り返したのは元小結・竜電(30)。別れ話を切り出すと、立ち合いで相手から“待った”をかけられて、いまは協会の処分を待つ身だ。顛末を当の不倫相手が告発する。
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「私は出産直後には40歳になる年齢だったので産みたいと思っていました。しかし、彼は堕ろす方向でしか話をしてくれませんでした。“俺の希望を言っていい? ばれないこと”としか言わず、子どもは堕胎するしかなかったんです……」
そう涙ながらに語るのは関西在住でロングヘアーが印象的な中野裕子さん(40)=仮名=。彼女の言う「彼」とは、高田川部屋に所属する元小結、竜電のことだ。
竜電は夏場所を休場した。というのも、今月7日に日本相撲協会の芝田山広報部長が竜電に新型コロナウイルス感染防止対策のガイドラインに抵触する行為があったとして、場所後に処分する意向を示したからだ。
実はその原因となったのは、彼が抱えていた女性トラブルだった。「既婚者」にもかかわらず、裕子さんと3年にわたり男女の関係を結び、挙句、妊娠、堕胎までさせていたのである。
山梨県甲府市出身の竜電は中学卒業後に角界の門を叩き、2006年に初土俵を踏んでいる。18年に新入幕し敢闘賞、翌年には技能賞を獲得。小結にまで昇進した期待の関取だった。プライベートでは19年6月、5歳年上の元看護師と結婚し、盛大な披露宴を開いている。
また、昨年5月にコロナで急逝した同じく高田川部屋に所属する勝武士の兄弟子にあたることでも知られる。勝武士とは同じ山梨出身で、かつては付け人も務めてもらうほど親しい間柄だった。
まだ独身だった竜電が相撲ファンだった裕子さんとやり取りするようになったのは、彼が上り調子にあった18年の春頃のことだ。裕子さんが続ける。
「相撲を見ているうち、自然に竜電関が好きになり、巡業中にサインをもらったりしていました。18年4月に知人に誘われて、愛知の刈谷巡業に行き、その知人と竜電関で食事をすることになったんです。ご飯を食べた後に知人はかなり酔っぱらってしまったので、竜電関がタクシーで私をホテルに送るような形になりました。その車内でLINEを交換して、彼がホテルに帰ってからお礼のLINEをすると、“来る?”と返信されたんです。ファンだったので一緒にいたいと思い、ホテルに行くと“泊っていきなよ”と言われ、男女の関係になりました」
しかし、ほどなくして彼に婚約者がいることが明かされる。
「後日、“内緒にしてほしいけど今度婚約するんだ”とLINEがきたんです。あまりに驚いて電話すると、“それでも裕子に会いたい”と言ってくれました。いけないことだと思いながら、彼への気持ちを断ち切れず、関係を続けることになったのです」
その後、二人は巡業や本場所の度に逢瀬を繰り返すようになった。会うのはもっぱら夜。場所は宿泊先のホテルばかりで、当初から竜電は避妊をしていなかったという。
「最初はびっくりしました。ただ、私は竜電関のことが好きだったし、彼も私との子どもができても構わないということなのかと思っていました。経済的に余裕があるなら、私とその子を養ってくれるという覚悟もあったでしょうし、彼との子を望むようになりました」
裕子さんが竜電と付き合っている間、婚約者以外の複数の女性の影もチラついていた。彼にとって、裕子さんは“遊び相手”の一人に過ぎなかったのだろうか。その関係のかたわら、19年2月には竜電が婚約を発表。同6月の結婚式を経ても二人の仲は変わらなかった。変化が訪れたのは、同じ年の11月のこと。裕子さんの妊娠が発覚したのである。
“お腹の子は人じゃない”
「生理が遅れて、下腹部に違和感があったので、妊娠検査薬を使用したら反応があったんです。すぐに産婦人科を受診しました。その時は場所中だったので、12月の沖縄巡業の時に彼に知らせることにしました」
那覇で合流し、市内のホテルで彼に妊娠9週である事実を伝えた。
「“妊娠してん”って言ったら“えっ”って言われて。もう一度“妊娠してん”と告げました。そうしたらベッドから起き上がって“えっ、ほんとに? どうしよう、どうしよう、どうするの?”と取り乱し始めた。エコーの写真を見せたら、もういきなり堕ろすための手術の話をされました。世間や奥さんにばれることを何より恐れていたんです。正直、ショックでした。避妊していなかったらどうなるかくらい分かるやんって」
悪阻(つわり)で体調不良を訴える裕子さんを横目に、竜電は中絶について携帯で検索するばかり。さらに、出産にも中絶にも同意書にあなたのサインが必要だと話すと、
「レイプされたとか、相手が拒否しているといえば、大丈夫だよ」
と言い放ったという。
避妊すらせず快楽を貪ってきた男が妊娠を突き付けられた途端、冷徹な態度で接し始める。この「想像力の欠如」が裕子さんを深く傷つけた。
「未婚で産婦人科に行くのはとても怖いし、惨めでした。彼は“(中絶手術は)チクって痛いらしいけど、大丈夫、大丈夫”と言って、手術をしてほしいという態度に終始していた。那覇での別れ際、不安だったので、帰ろうとする彼にハグくらいしてほしい、と言うと、ようやく抱きしめてくれた。“これを乗り越えたらまた会えるよ”などと言い、“いや、乗り越えるのは私だけやん”と」
竜電は執拗に中絶を勧め、裕子さんはそれを拒むという問答がしばらく続いた。結果的に19年末、関西のさる病院で中絶手術を受けることになるが、裕子さんは当日も手術を受けるかどうか、最後まで迷いに迷っていた。
「姉に相談したら、“あんた産みや。私が協力するし、産んだらいいねん”って。年齢的にも最後のチャンスだと思って、手術数日前に母子手帳を役所でもらっても、彼は“ばれると山梨に帰れなくなる”“二つの家庭は養えない”と繰り返すばかりでした。当日も彼に産みたい旨を伝えましたが、“朝稽古を抜けるの大変だったんだよ、時間ないよ”と促され、手術の手続きをしたんです。診察を待つ間も“手術したくない”と伝えたら、“(お腹の子は)人じゃないんだから”とまで言われました」
半ば強要されて中絶手術を受けた裕子さんは、慰謝料という形で竜電から約500万円を受け取った。しかし、後悔先に立たず。裕子さんは我が子を失った自責の念に苛まれ続けた。
「当時から街中で赤ちゃんの声が聞こえたり、ベビーカーを見るだけで辛くて。テレビで赤ちゃんのCMを見ると涙が流れるようになったんです。実際に、病院で鬱症状だと診断されました。だから中絶手術後、彼に“もう一回妊娠させてほしい、それで縁が切れてもいいから”と伝えました。“そうしないと生きていけない。それくらい辛い”と」
竜電はその申し出を承諾し、彼女との間で奇妙な妊活が始まる。
名前の漢字も知らず…
「向こうから人工授精を提案されたこともありました。ただ、人工授精には独身証明書が必要なので“独身に戻れるの?”“それはできない”というやり取りがあり、結果、昨年3月に大阪のホテルで会いました。ちょうど相撲協会から外出自粛が求められていた期間です。彼はニット帽で顔と髷を見えないようにしてやってきた。その月末に再び妊娠が分かり、心音も確認できたのですが、結局、稽留(けいりゅう)流産してしまいました」
裕子さんが流産後の手術を受けた翌日、同じ部屋で弟弟子の勝武士が新型コロナウイルスにより28歳で亡くなる。小学校の頃、山梨の同じ柔道のスポーツ少年団で出会った二人は幼馴染だった。
当時、竜電はメディアの取材に「心にぽっかりと穴があいた」と語っていたが、その頃は外出自粛の禁を破ってまで不倫相手との妊活に励んでいたのだ。一体何を考えていたのか。
続く外出自粛期間中も、竜電は裕子さんと大阪や東京、名古屋などのラブホテルやビジネスホテルで逢瀬を重ねた。しかし、「不貞相手との子作り」という歪(いびつ)な関係は長く続くはずもない。実子がいないため彼が妻と行っている妊活や裕子さんと会う時間が短くなっていることを巡って、次第に諍いが絶えなくなる。そして今年の4月になり、ついに竜電から別れのLINEが届く。
「奥さんにも私のことを打ち明け、これまでの関係を清算したいとのことでした。さらにその後、本人や弁護士さんからこれまでの行為の謝罪として1500万円で示談したいという申し出がありました。ただ、この件を口外しないという規定が設けられていた上、お金で解決しようという誠意のない姿勢に失望し、お断りさせていただきました」
さて、当の竜電はいま、どんな心境でいるのか。謹慎中の彼の携帯に連絡するが、応答せず。高田川部屋に親方を訪ねるも、取材には応じなかった。
竜電の代理人弁護士は、
「日本相撲協会コンプライアンス委員会の調査中のため、回答できません」
と答えるのみ。
裕子さんが最後に言う。
「中絶する直前、竜電関は子どもを堕ろしてほしいがために“これからも会おう”“支える”と言って、私と会い続ける旨の誓約書を書きました。それなのに彼は何を言ったのかも忘れていて、しかも別れのLINEでは私のフルネームをカタカナで送ってきていました。名前の漢字すら知らなかったんです。私との3年間は一体何だったのでしょうか……。不倫関係については私にも非があったとはいえ、彼の子どもを産みたかった。最後まで自分の保身しか考えなかった彼に、“子どもを返してほしい”と言いたいです」