ミャンマー情勢を「紛争分析」する 「平和構築」最前線を考える(26)
“平和構築/紛争分析”を専門領域にする私は、2月のクーデター以前には、あまりミャンマーについて語りたい願望は持っていなかった。日本においてミャンマーは「東南アジア最後のフロンティア」として、過熱する投資の対象であった。私も日本で仕事をしている以上、日本国内の雰囲気にも相当に影響される。ODA(政府開発援助)もその大部分は日本企業も関わる円借款だ。平和構築/紛争分析の研究者などお呼びではなかった。
もっとも今もなお、日本のエスタブリッシュメント層にとっては、私の存在は甚だ迷惑なものであるようだ。だがミャンマー情勢は混乱の一途をたどっている。紛争分析を忌避していれば、かつての日常が戻ってくるのではないか、と祈るのは、単なる現実逃避でしかない。
そこで本稿では、紛争分析の視点でミャンマーを見るとどうなるか、という観点で議論を進める。第1に、紛争分析枠組みで確認できるミャンマーの紛争地域としての特性、第2に、国際政治から見たミャンマーの地政学的な特性、第3に、近年の紛争分析理論から見たミャンマー情勢の理解の方法、について示唆を提示する。
「抑圧か民主化か」「秩序か混乱か」が紛争構造か
前回(『ミャンマー「平和構築」を阻み国際リスクを高める「歪な国家構造」』2021年5月3日)でも書いたが、4月にミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官が、
と、派手な言葉遣いで危機を煽る言葉を無根拠に使ったのは罪深かった。
人権問題に目を向けさせるために、わざと最大限のインフレ気味の言葉を使おうとしたのだろうが、結果として、人権を擁護するどころか、国軍の弾圧を容認する風潮を高めただけだった。「失敗国家」という概念を使うだけでも、単に国軍に利用される結果を招くだけの無責任な行為だ、と警鐘を鳴らす指摘もなされている。
ミャンマーは独立以来、紛争が絶えたことのない国である。植民地の遺産としての人工的な国境線、植民地時代から引き継いだ抑圧的国家機構、政治権力と経済利潤とが集中する社会構造、蔓延する汚職の文化、複雑な民族構成、政治的な宗教活動、地域格差を伴った貧困、「ユースバルジ」と呼ばれる若者人口の多さなどは、いずれも数多くの紛争地帯で顕著に見られる特徴だ。今年になってミャンマーが紛争国になった、といった安易な理解には、全く根拠がない。
ではミャンマーの紛争レベルが、今年になって低強度紛争の段階から「全面戦争」の瀬戸際の段階に移ったのかと言えば、その描写も正しくないと思われる。起こっているのは、依然としてもっと錯綜した複雑な紛争構造だ。
2月のクーデター以降、国の中心であるイラワジ平野のビルマ族が中心になった地域では、武装した国軍側の治安部隊が非武装の市民たちに対して一方的に暴力を行使している。これは「人道に対する罪」と呼ぶべき一方的な人権侵害である。
他方、主に山岳地域に住む134あるとされる少数民族集団の幾つかは、独自の武装組織を持つ。有力集団の1つである「カレン民族同盟(KNU)/カレン民族解放軍(KNLA)」は、独立以来世界最長とも言われる独立運動を戦っている。今年2月以降、国軍はKNU/KNLAの基盤である東部カイン州に軍事攻撃をかけたが、4万人以上の国内避難民が発生したとされる。その他、北部のカチン州、シャン州、西部のチン州、東部のカヤ―州で武力衝突が起こり、国内避難民が発生している。
これは確かに、今年2月以降の武力紛争再燃の動きを示すものだ。ただし、クーデターに反対する市民層が急に山岳地帯で武装集団に変身したわけではない。国軍と少数民族武装組織との間の武力紛争の構図は、今回のクーデターによって新しい段階を迎えたとはいえ、それ以前から存在していたものばかりである。
なお事実上の独立国として存在してきているワ州の「ワ州連合軍(UWSA)」や、カチン州やラカイン州に拠点を持つ「アラカン軍(AA)」は、中立的な立場をとる構えを見せている。これらの武装勢力は、中国とも独自の関係を持っており、国軍も手を出しにくい。
長い間、国軍が抑圧的な体制をとりながらも権力を維持し続けることができたのは、「国軍がいなければミャンマーは分裂する」という民族的・宗教的な感情に訴えるロジックがあったからだ。つまり「抑圧か民主化か」の対立の構図を、「秩序か混乱か」の対立の構図に置きかえて、特異な政治体制を維持しようとしてきた。ただそれにもかかわらず、ミャンマーでは、国軍が国土を完全に掌握した時期はない。
日本では、現在のミャンマー情勢を、国軍とアウン・サン・スー・チー率いる「国民民主連盟(NLD)」との政治対立に還元して理解しようとする動きがある。中でも、円借款中心の日本の援助手法を歓迎していなかったNLDを快く思っていない政府系組織関係者の人々の間で、特に根強いように感じる。
しかしそれでいたずらに「全面戦争」を恐れたり、クーデターに反対する市民運動家たちに「妥協」を求めたりするのは、首尾一貫性のない態度だと言わざるを得ない。市民のデモによってミャンマーの紛争構造が生まれているのではない。2月のクーデターですら紛争構造の表出であって根本原因ではない、と捉えるべきなのである。
「国軍に忖度しないとミャンマーが中国寄りになる」という神話
日本では、「国軍に忖度しないとミャンマーが中国寄りになる」という神話が広く浸透している。国軍との関係に利害関心を持つ層が、意図的に誇張している可能性が疑われる。
上述のように、中国は、国軍だけでなく少数民族集団との間にも、独自の関係を築いている。NLDとも良好な関係を保持しており、アウン・サン・スー・チーは中国に近寄りすぎだ、と批判されていたほどだ。
一方国軍は、中国との距離を保つため、特にクーデター後にはロシアに接近している。中国と国軍が一心同体ということはなく、単にミャンマーの地政学的な位置づけのため、中国の巨大な影響力が排除できないだけである。
日本の政府系組織関係者は、「日本が制裁しても国軍の態度を変えることはできない」といったことを繰り返すが、他方で、日本が国軍に忖度したところで、中国の影響力を低減させることなどできるはずもない。つまりどうあがいても、日本の影響力は限定的なのである。日本が中国と同じ影響力をミャンマーに行使することができる、と考えること自体が、幻想にすぎないのだ。
ミャンマーは、中国とインドという大国の間に位置する国である。ミャンマーは海に面しているといっても、ベンガル湾に乗り出せば必ずインドの権益とぶつかる。ビルマ族が大英帝国に征服された結果、流入してきたのはインド系の人々であった。
ミャンマーが中国の影響下から本格的に抜け出たいのであれば、インドとの関係を強固にし、さらには自由主義諸国の海洋国家群との連携を打ち出すしかない。だが、そんなことをすれば国家分裂の危機は一層強まると懸念されるため、踏み切ることはできない。
冷戦時代のミャンマーは、米ソ対立の冷戦構造の空白地帯のような位置づけをされていた。インドシナ半島先端のベトナムでは激しい米ソの代理戦争が行われ、その周辺のカンボジアやラオスにも冷戦構造を反映した混乱が起こった。
中ソ対立が進み、米中接近が果たされた1970年代以降は、中国は第三勢力の位置づけとなり、1980年代のカンボジアをめぐっては、親ベトナム・親ソ連のヘン・サムリン政権に対抗するポル・ポト派を含む諸派を、アメリカと中国は共に支援していた。中国に近いミャンマーは、冷戦終焉後においても、緩衝地帯と言うべき位置づけを与えられていた。
しかし米中対立が本格的に国際政治の基本構造となり、アメリカがこれを「民主主義vs.専制主義の戦い」と位置付けている現代では、ミャンマーの国軍独裁が持つ意味は異なってくる。世界的な米中対立の構図の中でミャンマーは認識される。国軍はロシアからの兵器購入を増やすことで、欧米と対立しながらも中国に従属することを避けようとしているが、構造的な対立の影響から逃れることは究極的には不可能である。ミャンマーは、21世紀の国際政治の現実の中で、翻弄されざるをえない状況にあるのだ。
紛争分析理論による洞察
紛争分析理論家の中で最も有名な人物の一人が、ポール・コリアー(オックスフォード大学教授)だ。
彼を世界的な著名人にしたのは、2000年の論文「貪欲と不満(“Greed and Grievance in Civil War”)」である。そこでコリアーは、虐げられた者が不満を爆発させるときに紛争が勃発するという見方を批判し、“貪欲な者が利潤を拡大させようとすることによって紛争は勃発する”と論じた。彼が回帰分析を通じて明らかにした、貪欲な者を紛争へと誘発する要因は、低経済成長、一次産品依存、低所得である。これらの条件が存在しているとき、貪欲な者が利潤を極大化させるために軍事行動を起こす「機会」が存在している、とみなされる。
2021年のミャンマーに、これらの条件が存在していたとは認定しにくい。クーデターはそれ自体としては必ずしも武力紛争の勃発ではなかった。ただし、紛争構造の再燃につながる効果を持つものではあった。なぜなら、「貪欲な者」によって引き起こされた危機は、ミャンマーに「貪欲な者」に有利な紛争構造の「機会」を取り戻させるからだ。
かつてコリアーの指摘する条件がより明白に存在していた時代に、国軍は特異な強権体制を確立していた。ミン・アウン・フライン国軍司令官は、クーデターを通じて、ミャンマーに紛争の温床となる条件を作り出し、自らの力と富を永続化させようとしている、と言える。紛争勃発の「機会」が減少する「民主化」に抵抗し、紛争状態における国軍の覇権を取り戻そうとしている。自らの力と富の永続化のためなら、市民の抑圧も、紛争構造の再燃も気にしない。まさに「貪欲な者」である。
これに対して、政治的混乱が飛び火していく国家全体の紛争の構図の側には、一貫して存在する脆弱性がある。それはフランシス・スチュワート(オックスフォード大学教授)らが重視する「水平的不平等」の構図である。
マルクス主義者が予言するような形では、階級闘争は頻繁には顕在化せず、貧困層が武力紛争を開始できる可能性も少ない。マルクス主義的な意味での「不平等」は、それ自体としては、必ずしも武力紛争に帰結するとは言えない。
しかしスチュワートによれば、民族・宗教・文化的地域性等の明確なアイデンティティを持った社会集団がすでに存在していて、その社会集団間に「水平的不平等」が存在している場合には、武力紛争が起こりやすい。なぜならハンデを負わされた者たちも、すでに集団化が進んでいれば、対抗勢力を形成することが比較的容易だからだ。
ミャンマーは歴史的に言って、「水平的不平等」が武力紛争の温床になってきた典型例の一つだ。少数民族地域は一様に低開発地域であり、繰り返された国軍の抑圧の対象になってきた。中央の政治情勢に敏感に影響を受けるだろうが、だからといって構造的な要因が取り除かれるまでは、安定化が果たされるはずもない。2月以降の状況で「悪化した紛争」とは、「水平的不平等」によってそもそも構造的に存在していたのである。
「紛争を分析するということ」とは
クーデター後の劇的な事態の変化を捉えることは、もちろん重要である。しかし当然それだけが全てではない。新しい要素は、従来から存在していた要素と結びつき、事態を複雑化させる。「ミャンマーはシリアになるのかならないのか」といった的外れな問いを投げかけて、その場限りの思い付きの対応策ばかりに頭を悩ませていても、同じことの繰り返しである。そんな分析態度では、長期的なミャンマーの平和の達成が難しくなるだけでなく、持続可能性のある日本外交を構築していくことも難しくなるだろう。