結婚発表の新垣結衣、知られざる“ニコモ時代”をガッキー名付け親の編集者が語る
沖縄と東京の往復生活
ニコラモデルになってからのガッキーは、平日は沖縄の中学に通い、仕事がある週末には1人で東京に来ていた。
「ニコラの撮影は、基本的に学校が休みの週末に行われます。ガッキーも学校が終わった後に飛行機で東京に来て、そのままホテルに泊まり、翌日から撮影をこなして、日曜に沖縄に帰るというような生活を続けていました。人気モデルだったので、ほとんど毎週末撮影に呼ばれていましたから、相当ハードな生活だったと思います。彼女は、乗り物酔いをすることもあり、とくに飛行機が苦手だと言っていて、搭乗前に酔い止めを飲むこともあったようです」(同)
当時「ニコモやってて辛いと思ったことはなんですか?」という読者からの質問にも、〈移動。〉と答えていた。さらに彼女は、中学で女子バスケットボールのマネージャーも務めていたというのだから、生活は多忙を極めたことだろう。
「モデルの撮影は、朝早くから始まることも多いので、早朝5時に集合なんてことも当たり前でした。当時の彼女は、朝が弱くて寝坊することが多かった。一緒に泊まったモデル仲間と夜更かしをしたせいで集合時間にホテルから出てこず、叱ったこともありました」(同)
沖縄の撮影で見せた“素ガッキー”
モデル業の傍ら、2003年には「エリエールティシュー」のCMに出演するなど、徐々に活動の幅を広げていった。人気を極め、2004年には1冊丸ごとガッキーを特集する『nicola ガッキーブック』なる別冊が発売されるに至った。
「彼女の故郷、沖縄で撮影しました。彼女が生まれ育った村や、卒業したばかりの中学を訪れて同級生と一緒に撮影をすると、これまで見たことのない自然体でのびのびとした、いわば“素ガッキー”の姿を見せてくれました。編集部一同が、この“素ガッキー”に魅了され、彼女のポテンシャルに改めて気づかされました。それと同時に、これまでの東京の撮影ではかなり緊張していたんだということもよく分かりましたね」(同)
その後、東京の高校に進学したガッキーは、2005年5月号をもって「ニコラ」を卒業。女優業に本格的に進出し、2006年にはブレイクのきっかけとなる「ポッキー」のCMに出演を果たした。
「ニコラ卒業後も、遠くから活躍を見守ってきました。いつの頃からか分かりませんが、テレビでも沖縄ロケの時と同じ、魅力的な“素ガッキー”の姿が見られるようになりました。飾らないのびのびした姿こそが、彼女らしさだと思います」(同)
最後に、『ガッキーブック』で読者から好きなタイプを問われた、当時16歳のガッキーの答えを紹介したい。
〈個性あって、優しくて、おもしろい人だと、なおいい。身長高い人がいいんだけど、実際好きになるのは低い人が多いです。〉
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