「終活」は本当にすべきか 遺族の本音、相続トラブル、「遺言信託」のワナ
「就活」「婚活」「終活」といった言葉が、人生の節目に挟まるようになって久しい。哀しい哉、ニッポン人は「活」と聞けば、我先にと励んでしまうが、死んでからではやり直しがきかないのが「死後の準備」。まずは腰を落ち着けて、本当に必要かどうか再考してみよう。
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いつもとは違うゴールデンウイークが終わった。気軽に外出できず自宅で時間を持て余し、はてはコロナ禍で先行きに不安を覚えて、「死後の準備」に思いを巡らした方もいたのではないだろうか。今や誰もがやって当たり前のものとして定着した「終活」だが、貴方にとってそれは本当に必要なことなのか。
亡くなれば必ず直面する「お墓」や「相続」の問題に改めてスポットを当て、さまざまな失敗例から「死後の準備」の落とし穴を探っていきたい。
「昨今の『終活ブーム』をみていると、とかく団塊の世代が“子供に迷惑をかけたくない”とばかりに、いかに安く、簡素にするかに心血を注いでしまっているように感じます」
とは、『自分らしい逝き方』(新潮新書)の著者で、葬祭カウンセラーとして「日本葬祭アカデミー教務研究室」の代表を務める二村祐輔(ふたむらゆうすけ)氏だ。
「高度経済成長期を支えてきた団塊の世代の皆さんは、経済的に豊かになることを優先してきた分、自分の死を考える際も、宗教や先祖代々の墓といったことよりも、合理性や経済性に重きを置くことに馴染みがあるのだと思います。一方で葬儀や墓参りといった昔ながらのやり方に則って親を弔ってきた世代でもあります。遺族の大変さを身に染みて分かっているので、子や孫に苦労をかけたくないという思いが強い。メディアが報じる際も、『死後の手続き』の記事ばかりなのは、こうした背景があると思います」
だからこそ「死後の準備」に手をつけていない人にも、「エンディングノート」や「断捨離」などあれこれ「終活」に励む人に対しても、二村氏はこんな助言をする。
「『終活』という言葉に翻弄され実利面で備えるだけではなく、根本的に自分はどう生きるのか、死ぬのかといった死生観を見つめ直す機会にしてほしいと思います。そもそも人の死とは『不在が確定する』ということ。当たり前の話ですが、人は死んだ時はもうそこにはいないわけで、つまりは如何に万全な準備をしても誰かの手を煩わせることになる。なるべく負担をかけたくないと思いがちですが、残された遺族にしてみれば、少しぐらいの負担ならやってもいいと考える人もいる。そうした面も含め、日頃から家族で話し合うことが大切だと思うのです」
独りよがりに事を進めれば、これからご紹介するようなトラブルを引き起こすやも知れぬのである。
「散骨」「墓じまい」遺族の本音
「終活」で誰もが避けては通れない課題は、お墓をどうするのかということだ。故郷に先祖代々の墓を持っていれば、墓参りに便利なように自宅の近くに買い求める。子供や孫に面倒をかけたくないからと、「墓じまい」を済ませて納骨堂と契約する。葬儀も戒名もいらないから「散骨してくれ」と希望するケースもひと昔まえに比べればそう珍しくない。
だが、そうした故人のよかれと思う“親心”が、残された家族らを戸惑わせる結果を生むこともある。
事実、前出の二村氏自身も、子供との話し合いの中で大きなギャップを感じた経験を持つと話す。
「我が家のお墓は長野にあります。東京に住む私としては、子供のためにもゆくゆくは墓を近所に移すべきだと考えていました。ところが先日、うちの息子にどう思うか尋ねてみたら予想外の答えが返ってきたんです。端的に言えば、都会で育った僕らには故郷がないので、お墓くらいそのまま置いておいてほしいという気持ちだった。このように親の世代が考えていることと、子供の考えは全然違っていたりする。だから、よかれと思って勝手に一人で進めるのはよくないのです」
そして、いくら入念に「終活」をしても、故人の希望どおりにいくとは限らないと二村氏は続ける。
「私のセミナーを受けた男性の父親は、東京の近郊に故郷があって死後はそこにお墓を作りたいと考えていたそうです。生前、父親は自らお墓の土地を用意して、必要なお金も残してくれた。その通りにお墓を作って供養したところまではよかったのですが、男性は仕事が忙しくなり、なかなか郊外へ墓参りに行くことが難しくなってしまった。で、結局のところ『墓じまい』をして都内の納骨堂に遺骨を納めたそうです。お墓の費用が余計にかかってしまい、もったいないことをしてしまった。こうした事例は本当によく耳にするんです」
やっぱりそうか。せっかく多額の費用をかけてお墓を用意しても、子供たちに負担をかけるばかり……。墓に入れば菩提寺へのお布施も必要だろう。ならば、いっそのこと遺骨を自然に帰してくれて構わない――ミニマリズムの風潮を受けてか、「終活」の選択肢のひとつとして注目を浴びているのが「散骨」である。
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