阪神「佐藤輝明」は5打席目で…「プロ初安打がホームラン」は持っている男の証明か?

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「運がいいのではない」

 デビューから21打席連続無安打と不調だった阪神の新助っ人・ロハスが5月18日のヤクルト戦で、22打席目にして来日初安打となる1号ソロを放った。阪神では、ルーキー・佐藤輝明も開幕2戦目、3月27日のヤクルト戦で、プロ初安打となる中越え2ランを放ったのは、周知のとおりだ。

 佐藤は、ロハスとは対照的に通算5打席目と早く結果を出し、現在は4番を任されているが、プロ初安打がホームランだった日本人選手には、後に大打者になった者も少なくない。

 その代表が、“世界のホームラン王”王貞治(巨人)である。

 1959年、高卒ルーキーとして4月11日の開幕戦(国鉄戦)、7番ファーストでスタメンデビューをはたした王だったが、金田正一の前に2打数2三振に打ち取られ、以後、26打席連続無安打と苦闘の日々が続く。

 そして、4月26日の国鉄戦、0対0の7回2死一塁で打席に立った王は、カウント1-2と追い込まれながらも、村田元一の内角低めカーブをすくい上げるようにして、右翼席ギリギリに飛び込む決勝2ラン。開幕から半月後、27打席目にしてようやく記録した「プロ初安打&初アーチ」だった。

 2対0の勝利でヒーローになった王は「『シュートを打つな』。ファーストのコーチスボックスにいた川上(哲治)さんの声だけよく聞こえたんです。2ストライクともシュートでした。それを見送ったあとが、おあつらえ向きのカーブでした」と振り返った。

 アドバイスどおりに打ったら、たまたま本塁打になったという印象も受けるが、川上ヘッドコーチは「運がいいのではない。その一打で試合を制したという貴重な安打を生む力を持っている選手なんだ」と、その潜在能力を高く評価。眼力どおり、王は世界のホームラン王になった。

「打った瞬間、行くと思った」

 王とは対照的に、プロデビュー戦の2打席目に早くも初安打初本塁打を記録したのが、清原和博(西武)だ。

 86年4月5日の南海戦、6回から途中出場した清原は、7回1死二、三塁のプロ初打席で四球を選ぶと、1対4の9回2死の2打席目で藤本修二の初球を左中間の芝生席に運ぶプロ1号。「初球から狙っていた。振り回さず、振り抜くことだけを考えていた。打った瞬間、行くと思った」と会心の笑みをもらした。

 オープン戦では本塁打ゼロに終わり、前日の開幕戦も出番なし。プロの壁にぶち当たっているように見えたにもかかわらず、打撃フォームの修正を重ね、デビュー戦で記憶に残る一発を放ったのは、やはり、“持っている男”と言えるだろう。

 一方、巨人の岡本和真は、1年目の2015年9月5日のDeNA戦で、プロ3打席目にして初安打となる左越え2ランを放ったが、シーズン終盤に記録したことからもわかるように、その道のりはけっして平坦ではなかった。

“未来の主砲”と期待されたドラ1ルーキーも、3月に腰の張り、5月に下半身の張りで1ヵ月ずつリタイアし、イースタンでも1本塁打に終わっていた。そんな苦闘の日々を乗り越えての一発だけに、「今やっと僕の野球人生がスタートした。調子に乗るとかテングになることはなく、ホームランを積み重ねていけるようにしたいです」と謙虚に語っていた。

 このほか、横浜時代の筒香嘉智は、ルーキーイヤー(10年)のシーズン最終戦、10月7日の阪神戦で、プロ10打席目にして初安打となる右越えソロを記録。また、西武の“おかわり2世”山川穂高は、1年目は開幕から15打数無安打と結果を出せず、1軍と2軍の往復を繰り返した末、14年9月15日の楽天戦で、バックスクリーン右にプロ初安打の先制ソロを放っている。

 プロ初安打がホームランという幸運を掴むまでの過程で、みんなそれなりに苦労していることがわかる。

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