球史に残る伝説の満塁ホームラン列伝…根尾昂は球団史上3人目

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「何とかせないかん」

 2試合続けて逆転サヨナラ満塁本塁打で、劇的勝利を収めたのが、84年の近鉄だ。6月9日の南海戦、2対3とリードされた近鉄は、9回1死から代打・柳原隆弘の中前安打を皮切りに、大石大二郎の二塁打と四球で2死満塁のチャンスをつくる。

 次打者は同年広島から移籍してきた4番・加藤英司。敬遠四球直後の初球を「直球勝負」と読んで迷わずフルスイングすると、高々と上がった打球は逆転サヨナラ満塁弾となって、藤井寺球場の右翼席中段に突き刺さった。「チームの状態がこのところ良くないし、何とかせないかん」という執念が、「ヒットでいい」はずの打球をスタンドまで運び込んだ。

 翌日の試合が雨で流れたあと、同11日の南海戦で再び奇跡が起きる。8回まで山内和宏に6安打無得点に抑えられていた近鉄打線は0対2の9回、加藤、デービス、羽田耕一の安打と押し出し四球で1点を返し、なおも1死満塁。ここで岡本伊佐美監督は、2日前に逆転劇の口火を切った柳原を代打に送る。

 柳原は山内のスライダーが真ん中に入ってくるところを見逃さず、右中間席最前列に叩き込んだ。「二塁打で逆転と思ったんですが、まさかホームランとは……」。打った本人が一番ビックリしていた。

 なお、近鉄は01年9月26日のオリックス戦でも、北川博敏が2対5の9回にプロ野球史上初の優勝を決める代打逆転サヨナラ満塁弾。前年最下位からのミラクルVの快挙とともに不滅の伝説を打ち立てた。

「釣り銭なし」

 逆転サヨナラ満塁本塁打の中でも、“珠玉の一発”の名にふさわしいのが、0対3から4対3にひっくり返す“お釣りなし弾”だ。56年3月25日の中日戦で、史上初の代打逆転サヨナラ満塁弾を放った巨人・樋笠一夫は、ファンにサインを頼まれると、「釣り銭なし」と書き加えていた。

 このほか、お釣りなし弾は、阪急・松永浩美が83年8月31日のロッテ戦、西武・伊東勤が94年4月9日の開幕戦(近鉄戦)で記録。どちらも0対0の9回表に3ランで勝ち越された直後に飛び出した起死回生弾だった。

 一方、スコアは10対9だが、ロッテ・ボーリックが01年7月9日のダイエー戦で、延長10回に大道典良の3ランで突き放された直後に放った逆転サヨナラ満塁弾も、ロッテファンの間で“ボーリックナイト”として、98年の18連敗、05年の日本一とともに語り継がれている。

 そして、同じ満塁本塁打でも足で稼いだランニング満塁ホームランを記録したのが、77年に来日した中日・デービスだ。塁間8歩の快足で前年までメジャー通算397盗塁を記録。“黒豹”の異名をとった。

 5月14日の巨人戦、3対2の7回2死満塁で、西本聖からライト・二宮至の頭上を襲うライナーを放ったデービスは、ジャンプ捕球を試みた二宮がフェンスにぶつかって転倒する間に、極端な前傾姿勢で急加速すると、一気にホームイン。

 一塁走者の高木守道は「2死だから全速力で走ったけど、振り返ったらすぐ後ろにいた」と証言している。NPBでは、ロッテ・弘田澄男が74年8月28日の南海戦で記録して以来、ランニング満塁ホームランは史上3人目だった。

 それから1ヵ月後の6月13日、巨人・松本匡史が、大洋戦の9回に代走で出場したあと、打者一巡して回ってきた打席で左越えにダメ押しの満塁本塁打を記録している。代走出場した選手が打者一巡後に満塁弾を放ったのは、もちろん史上初の珍事だった。

 2021年シーズンもこれからたけなわ。ファンを狂喜乱舞させるような満塁本塁打をめぐる更なるドラマが見られそうだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年5月22日掲載

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