球史に残る伝説の満塁ホームラン列伝…根尾昂は球団史上3人目
プロ初打席でグランドスラム
中日3年目の21歳・根尾昂が5月4日のDeNA戦でプロ1号となる満塁本塁打を記録した。中日の日本人選手では杉下茂以来71年ぶりで、外国人選手を含めると球団史上3人目の快挙だった。
プロ1号が満塁弾だった日本人選手は、1983年の駒田徳広(巨人)、94年の鈴木尚典(横浜)、97年の井口忠仁(ダイエー。本名は忠仁で、現在の資仁は当時の登録名)08年の坂本勇人(巨人)ら錚々たる顔ぶれが並ぶ。中でもプロ初打席でグランドスラムを達成した駒田は、通算13本(歴代5位タイ)の満塁本塁打を放ち、“満塁男”の名をほしいままにした。
また、青野毅(ロッテ)は、06年にプロ1号、2号ともに満塁本塁打を記録。二岡智宏(巨人)は06年4月30日の中日戦で2打席連続満塁弾を含む3本塁打で10打点を挙げたが、いずれも史上初の快挙である。
今回は、本塁打の中でも最もドラマチックな場面を数多く生み出してきた満塁本塁打について振り返ってみたい。
日本でただ一人2本
プロ野球史上でただ一人、二度にわたって逆転サヨナラ満塁本塁打を記録したのが広野功(中日→西鉄→巨人→中日)だ。1966年、慶大からドラフト3位で中日に入団した広野は、春先のオープン戦で右肩を脱臼。医師から「もう野球は無理」と宣告され、一時は引退を覚悟するほどのどん底から、執念で這い上がってきた。
5月末に1軍合流をはたした広野は3番に定着し、8月2日の巨人戦の9回、「あいつだけには負けたくない」とライバル視していた高卒ルーキー・堀内恒夫から中越えに逆転サヨナラ満塁弾を放った。
それから5年後の71年、西鉄から巨人に移籍した広野は、代打の切り札として北陸シリーズに帯同。福井県営球場で行われた5月20日のヤクルト戦、3対5とリードされた9回無死満塁で、「代打・広野」が告げられた。
1ボールから会田照夫の内角低め速球をすくい上げると、快音を発した打球はライトスタンドに飛び込む史上3人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打となった。広野にとって、“逆転サヨナラ満塁”と名のつく本塁打を日本でただ一人2本打った快挙は、野球人生で最高の勲章になった。くしくも、スコアは2試合とも7対5だった。
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